2015年11月10日
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2015年11月10日
遠藤賢司の音楽は時代によって変化している。変わり続けている、と言ったほうが正しいだろうか。基本となる部分はどっしりと構えているのだが、それぞれの時代を過ごしていく度に、静と動との振幅が大きくなっているように思われる。
では『満足できるかな』の頃はどうだったのだろうか。このアルバムは71年の11月10日に発売された。東芝からシングル「ほんとだよ b/w 猫が眠ってる」(69年2月)でデビュー、中津川でおこなわれた全日本フォーク・ジャンボリーに出演し好評を得て、URCレコードからファースト・アルバム『niyago』(70年4月)をリリース。そして71年のセカンド・アルバム『満足できるかな』に続いていく。発売時、遠藤賢司は24歳であった。
この時期は、音楽舎関係や春一番コンサートなどライヴも多く、怒濤の日々であったかと思う。それらの中で、遠藤賢司は自分しか出来ない音楽を見つけ出したていった。そのお披露目が、この『満足できるかな』ではなかっただろうか。とてもシンプルなアルバムだ。弾き語りでの研ぎ澄まされたような繊細さとはまた違った、メロウな感覚が注ぎ込まれている。それは、それまでのフォークにはなかったものだ。すでにこの頃の遠藤賢司はフォーク期を抜け、シンガー・ソングライター的なる世界に突入している。個を歌い上げる、愛を歌う。「待ちすぎた僕はとても疲れてしまった」のルーラルなカントリー・ロックや、これ以上ないほどの優しい眼差しをもった「ミルク・ティー」など、まさにシンガー・ソングライター的だ。
「カレーライス」には、色々なものが投影されている。これは時代の空気感そのものだと言ってもいい。生活という名の共同生活を始め、ギターを弾きながらカレーライスが出来上がるのを待っている。そしてそこに臨時ニュースが流れてくる‥‥。さり気ない日常の一場面であり、時代性を的確にドキュメントしている。がしかし、それ以上の意味合いはなく、意味を求めてはいけない。これは70年のスナップであるからだ。
このアルバムでの、はっぴいえんどとの共演がよく取り沙汰される。正確に書けば、大滝詠一抜きの、細野晴臣、鈴木茂、松本隆の三人なのだが、過剰に主張するでなく、的確なバッキングに徹している。しかし考えてみれば、この当時の遠藤賢司の音楽を的確に伴奏できるミュージシャンが他にいたのだろうか。バッファロー・スプリングフィールドを介しての音楽性が、遺憾なく発揮されている。
「寝図美よこれが太平洋だ」や「君はまだ帰ってこない」にしても、遠藤賢司のロックン・ロールの原点ともいえる「満足できるかな」にしても、まるで初々しさを失ってはいない。44年経った今こそ、さらなる輝きをおびているように思えてならないのだ。
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