2015年09月12日
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2015年09月12日
9月12日はあがた森魚の誕生日だ。
1948年生まれだから今日で67歳。還暦を迎える前後からギアを一段も二段も上げ、全国縦断のライヴ・ツアーを実施。2011年以後、すでに7枚のオリジナル・アルバム、ライヴ盤、ベスト盤に旧作を集大成した『あがた森魚の世界史B』シリーズ6作を発表するなど精力的な活動を続けている。
あがた森魚といえば「赤色エレジー」。72年4月、ベルウッド・レコードの発足とともにその第一弾シングルとして発表されたあがた森魚のデビュー曲である。
雑誌『ガロ』に連載された林静一による「赤色エレジー」に刺激され、あがた森魚がその主題歌のつもりで手がけたという「赤色エレジー」は、哀愁と郷愁に満ちたメロディーを持ち、懐かしい〝ジンタ〟の調べに乗せてむせび泣くようにして歌うあがた森魚の歌唱もあいまって鮮烈な印象をもたらし、話題を呼んでビッグ・ヒットになった。
Tシャツにジーパン、しかも下駄ばき姿で歌うあがた森魚の特異な出で立ちも話題となり、若者の間で流行する。あがた森魚は同じ72年の年頭に「結婚しようよ」のビッグ・ヒットを放った吉田拓郎とともに、時代の寵児としてもてはやされた。
そして72年の9月10日、デビュー・アルバムの『乙女の儚夢』を発表した。自主制作による『蓄音盤』に続く、メジャー・レーベルからのデビュー・アルバムで、「赤色エレジー」同様に話題を呼んだ。
林静一が美術を手がけたアルバムのカバーは特殊な見開き仕様によるもので、「乙女の儚夢~花鳥風月號」と題した大判のリーフレットが添付されていた。
それには「「儚夢の國」への「魔法百科事典」序」を筆頭に、雑誌の目次に倣って「少女劇『乙女の儚夢』」の制作スタッフ、登場人物のクレジット、アルバムの冒頭を飾る主題歌「乙女の儚夢」の歌詞や、収録曲のハイライト、松島詩子の歌唱にあわせてあがた森魚が遠藤賢司とデュエットした「女の友情」の原作、吉屋信子作の同名小説にまつわる特集記事も。
さらに収録作品の歌詞だけでなく林静一の書下ろしによる漫画「大道芸人」、「最近流行の音楽青年団」としてアルバムでバックを務めた〝蜂蜜麺麯(はちみつぱい)〟の面々が紹介され、『乙女の儚夢』が生まれた経緯、背景、制作意図やその過程を詳細に記したあがた森魚自身による「あとがき」などが掲載されていた。
『乙女の儚夢』は〝少女劇〟と記されているようにトータル・アルバム構成による。
冒頭を飾る主題歌「乙女の儚夢」は「赤色エレジー」同様に〝ジンタ〟風のスタイルで、大正、昭和の初期の時代を背景に、極貧の一家の生活、人生模様が歌われる。次いで、バロック風のギターをバックに少女の手紙が朗読される「春の調べ」を挟んで、あがた自身の中学、高校時代の体験も垣間見られる「薔薇瑠璃学園」、〝あなた〟が忘れていった〝傘〟にもう逢うことのできない〝あなた〟への募る思いが歌われた「雨傘」が続く。
かつて女性読者の支持を得た吉屋信子作の「女の友情」が映画化された際の同名主題歌を、松島詩子の歌う原曲にかぶせた遠藤賢司とあがた森魚のデュエットが秀逸だ。さらに、祭りの縁日の様や明治、大正、昭和初期の浅草の賑わいが目に浮かぶ「大道芸人」や「電気ブラン」。「赤色エレジー」はシングル盤よりもテンポを落とし、じっくりと情感を込めて歌われる
さらに堀辰夫に触発されたという「冬のサナトリウム」。最後は「赤色エレジー」での踊る場面ともイメージが交錯する「清怨夜曲」で締めくくられる。
バックを務めたのははちみつぱい。鈴木慶一、武川雅寛、本田信介、和田博己、カシブチ哲郎、渡辺勝の面々が様々な楽器を手がけ、演奏にあたっている。
大正、昭和初期への昔に思いをはせたあがた森魚の『乙女の儚夢』。
「あの時代って惨めな敗戦につながる前夜の狂い咲きみたいなもので、デカダンとエログロ・ナンセンスが盛んだった~それでいてさびしくて惨めな雰囲気もあって、それが僕自身が生きてきた背景とダブル・イメージになって惹き付けられるのかな~。
それにエキゾチックなものも惹かれる。住んでいたところが北海道の小樽や函館だったかもしれない。かつて華やかだった港町は、今や寂れる一方の過去の街。教会と坂道の多い街。そんな街でウジウジと暮らしてきたことが、あの大正、昭和の初期という時代に目を向けさせるのかもしれない」と語っていたことがある。
北海道の留萌に生まれ、小樽、函館といった港町で育った背景は、今もってあがた森魚の創作の源となり、それをテーマにした作品を手がけ続けている。
さらに『乙女の儚夢』について「僕がこんなL盤(LP盤)を作ってしまったのも、幼くからいつくしんだ神話や童話、冒険物語やら多くの物語たちがその想い出の宝箱をくぐりぬけて1枚のL盤(LP盤)の上に散らばってしまったまで、なんだ」とも語っている。
その言葉にあるように、童話、冒険物語、さらには文学への親しみも、それは現在にいたるまであがた森魚の創作意欲を駆り立てる源であるのも見逃せない。
そして、あがた森魚の音楽歴、その背景を明らかにするのが最新アルバム『浦島65BC』、同作と対を成すその1作前の『浦島64』だ。
幼い頃には歌謡曲や日本のヒット・パレードを耳に、中学生、高校生になって洋楽に親しみ、ラジオにしがみつきはじめたという。
「1964年にはまだ歌おうなんて思わなかった。ラジオを聞いてはしゃいでただけで、「ビー・マイ・ベイビー」! スペクターってすごいなあ、キンクス、かっこいいなあって思ってただけだから。ビーチ・ボーイズ? かっこいいけど、あんなの歌えないって。
65年にボブ・ディランの「ライク・ア・ローリング・ストーン」を聞いた時、あらゆる意味で目からうろこだった。自分で歌を書いて歌えば、手っ取り早くてかっこいいんだって勝手に思い込んじゃった。いつか東京に出て、歌うんだ!ってね」
あがた森魚の背中を押したはボブ・ディランの「ライク・ア・ローリング・ストーン」だった。何かを表現したい、歌いたいという衝動に駆られ、それを実践した。そして「赤色エレジー」でデビューしたのは、それから7年後のことだ。
「「誰に影響を受けたんですか?」って聞かれて「もちろんボブ・ディランです!」って言っても、誰も信じない、どこも似てない。それが俺とディランの距離だし、スタンスなんだけど、意識はどっぷり。誰が聞いたって(俺の音楽には)ディランはないし、アメリカの匂いもしない。俺の中ではアメリカだったんだけど、アメリカぽいものはやってこなかったし、やらなかった。そこが自分の中では不思議なんだけど……」
確かに「ライク・ア・ローリング・ストーン」と「赤色エレジー」は似ても似つかず、遠い隔たりがある。が、あがた森魚にとって「ライク・ア・ローリング・ストーン」がすべての始まりであり、「赤色エレジー」は何かを表現したい、歌いたいという内的な衝動に駆られて生まれたものだった。ディランへの敬意を込めた返答でもあった。
社会の片隅に生きる若いふたりを描き、追憶、郷愁に満ちたその歌からうかがえるあがた森魚の視線は、遠い昔だけでなく、あがた森魚が生きている時代そのもの、現代を映し出したものであり、あがた森魚自身の立ち位置、心情の在り様を表していた。
あがた森魚はアルバム『浦島64』でポップスとの出会いを振り返り、『浦島65BC』では「ライク・ア・ローリング・ストーン」との出会いを振り返った。とりわけ「50年目のボブ・ディランにありがとう&ごきげんよう」として、ディランにまつわるいくつかの作品を書下ろしたディランへのオマージュ作である『浦島65BC』は、傑作と語るにふさわしい。
「赤色エレジー」や『乙女の儚夢』が大正や昭和をふりかえりながら、60年代末から70年代の時代を投写していたように、『浦島65BC』は、ボブ・ディランの「ライク・ア・ローリング・ストーン」に背中を押された昔を振り返り、懐かしむのではなく、今、現在のあがた森魚の立ち位置を明らかにし、現代を映し出し、明日、未来についても語りかけている。
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