2016年01月29日
スポンサーリンク
2016年01月29日
テレサ・テンは日本人が知っているよりはるかに大きな存在の歌手だ。
彼女が日本でデビューしたのは1974年の「今夜かしら明日かしら」で、このときは中途半端なポップス調だったが、ポップな演歌風に路線変更したセカンド・シングル「空港」がヒットして、レコード大賞新人賞を受賞。中国語圏の歌手では、欧陽菲菲 (オウヤン・フィフィ)、アグネス・チャンに継ぐ人気者になった。
台湾生まれの彼女の地元デビューは1967年、14歳のとき。日本に来る前から彼女はすでに香港、シンガポール、マレーシアをはじめとする中国語圏の大スターだった。当時の曲を聞くと、ポップス、ラテン、ジャズ、カンツォーネ、歌謡曲から中国民謡までさまざまな曲をうたっていた。
たとえば日本では江利チエミの歌で知られたローズマリー・クルーニーの「うちへおいでよ」を、チャチャチャにアレンジしてうたっていたりして、カバー曲にも楽しめるものが多かった。
中国語圏での人気を維持しながらの日本滞在は、スケジュール的には負担が大きかった。しかし日本にはレコーディング技術や大きなマーケットの魅力もあった。そんなときにパスパート事件が起こる。
国交のない台湾から日本に入国する場合、手続きが面倒だったので、彼女はインドネシア政府発行の正規のパスパートを使ったのだが、それが入国時に問題視され、数年間日本で仕事ができなくなったのだ。
その間、彼女は中国語圏向けに素晴らしい作品を残したので、結果としてみれば、災い転じて福となすだったのだが、マスコミは偽造パスパート事件と騒いだ。
84年の復帰作のタイトルが「つぐない」というのも、事件と関係のない歌とはいえ、なんだかなあという感じだった。しかし彼女はその後も「愛人」「時の流れに身をまかせ」などのミリオンセラーを放って、日本での人気を不動のものにした。
中国語圏では人気の高まりゆえに台湾と中国の政治的対立の板ばさみにされたこともある。戦前の上海で人気があり、大陸で禁止されていた「何日君再来」などをうたったカセット・テープが大陸でコピーされて出回ったときは、共産党政府から禁止されている。
その背景には、彼女の父親が共産党に破れて戦後に大陸から台湾に渡ってきた国民党側の軍人だったことや、パスパート事件の解決と台湾の国民党政府への協力のバータなどもあったと言われている。
1989年の天安門事件のとき、彼女が香港の集会で熱心に学生たちを支援したことは、ニュースでも大きく取り上げられた。
彼女は音楽活動の少なかった90年代にタイのチェンマイで42歳の短い生涯を終えた。10億人に向き合う彼女にかかっていたプレッシャーの大きさをしのびたくなるような別れだった。
大海のさざなみのような彼女のなめらかな歌声は20世紀後半の東アジアの歌手の中で群を抜いて素晴らしかった。その声は日本制作の歌謡曲でも味わえるが、歌詞内容まで含めたら、中国語の歌のほうがずっといい。
まだ聞いたことがない人は名作アルバム『淡々幽情』や「何日君再来」にぜひ一度耳を傾けてほしい。
中国のカリスマ的なロック歌手、ツイ・ジェンも彼女の「小城故事」をサンプリングして使ったことがある。彼女の存在は世代やジャンルや国境を超えていたのだ。
1983年12月19日、欧陽菲菲の「ラヴ・イズ・オーヴァー」がオリコン・シングル・チャートの1位を獲得した。彼女にとってはデビュー曲「雨の御堂筋」に続く1位作品であり、現在も愛される代表曲として...
独特のハイトーン・ヴォイスと、ミニスカートにハイソックス。マイクを両手で持って懸命に歌う愛くるしい姿。本日8月20日はアグネス・チャンの誕生日。彼女の登場は70年代日本のアイドル・シーンに衝撃を...
本日5月2日は、今もなお個性派俳優・歌手として独自の道を歩み続ける夏木マリの誕生日。今日で66歳という年齢が信じがたい程、その仕事欲とパワーに圧倒されるばかりだ。1971年本名の中島淳子名義でデ...
1976年11月15日、研ナオコの「あばよ」がオリコン・チャートの1位を獲得した。この曲は研ナオコにとって初の、そして現在まで唯一のオリコン1位作品である。作品提供した中島みゆきは研ナオコが愛川...
今年でプロ生活47年目を迎えた野口五郎のポップス歌手としての事実上のデビュー曲。実際には演歌調の「博多みれん」に続く第2弾シングルであることはよく知られている事実だが、15歳にして夜の盛り場を廻...
石川さゆりの代表作「津軽海峡・冬景色」をはじめ、テレサ・テン「つぐない」、わらべ「めだかの兄妹」など、国民的なヒット曲を次々と世に送り出した作曲家、三木たかしが2009年5月11日にこの世を去っ...
一昨年(2014年)3月15日、安西マリアが亡くなったという衝撃のニュースが伝えられたのが、まだ昨日のことのよう記憶に新しい。デビュー曲「涙の太陽」がヒットし、妖艶なルックスで昭和の男子を魅了し...
ザ・サーフ・コースターズとの共演による最新シングル「真夏の出来事〜ナウ・アンド・ゼン」が話題の平山みき(三紀)だが、いったい何ヴァージョン目の録音となるのだろう? この昭和歌謡史に燦然と輝く大名...
ヒデとロザンナのヒデこと出門英は、もともと水木英二の名でソロデビューし、ユキとヒデのデュオ時代を経て、1968年に結成したヒデとロザンナでヒットを飛ばして一躍スターとなった。パートナーのロザンナ...
3月16日はトワ・エ・モワ として、そしてもちろんソロ・シンガ-として幅広い活躍を続ける白鳥英美子の誕生日である。ある日、「或る日突然」で突然音楽シ-ンに現われたト・ワエ・モワの二人…。でもいき...
1971年、尾崎紀世彦「また逢う日まで」が第13回日本レコード大賞に輝いた。しかし、この曲が大賞を受賞するまでの物語は、実に2年に及ぶ。ことの始まりは1970年初頭、ズー・ニー・ヴーのある曲から...
1970年代初頭、雑誌やCMのモデルから歌手や女優へと乗り出すのはちょっとしたトレンドであった。そんな中で登場した小林麻美はそのスレンダーな肢体と10代とは思えないアンニュイな佇まいを持ち、歯磨...
台北のレストラン・シアター「中央酒店」で歌って人気を博していた欧陽菲菲を見出したのは、坂本九をはじめ多くのスター歌手を発掘・育成してきた、東芝の草野浩二ディレクターであった。氏が一連のベンチャー...
今日、7月31日は歌手・女優の岡崎友紀の誕生日。子役時代に既にミュージカルも経験済みという演技力&歌唱力に加え、コミカルな芝居やコント、バラエティ番組での立ち回りもお見事……というマルチ型アイド...
今からちょうど42年前(1973年)の今日7月5日にリリースされた安西マリア(本名:柴崎麻利子。1953年12月16日-2014年3月15日)のデビュー曲「涙の太陽」。当時20万枚を超えるセール...
1971年の6月1日に「17才」でデビューしてから約1ヵ月後に17才の誕生日を迎えた“歌手・南沙織”が生まれたのは、同年の2月にオーディションのために初来日した彼女が、リン・アンダーソンの「ロー...
70年8月にデビューしたのが、5人全員がハーフという触れ込みで結成された“ゴールデン・ハーフ”である。もっともデビュー・シングルとなった「黄色いサクランボ」のジャケットには5人のメンバーが写って...
1969年8月、「天使のらくがき」を引っさげ日本デビューした彼女は、未だ当時の洋楽界に於いては主流のひとつだったフレンチ・ポップスの若手女性歌手の一人だった。