2017年03月17日
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2017年03月17日
あのつぶらな瞳と、すきっ歯を見せた笑顔で見つめられたら…。そんな思いでビートルズの「サムシング」(69年)のプロモーション・ヴィデオを観たビートルズ・ファンは、いったいどれぐらいいるだろうか。ビートルズの“21世紀”のベスト盤『1』にようやくプロモーション・ヴィデオなどが加わった『1+』が出たのは2015年の秋だったが、画質が向上したその映像の中で、早く観たいと思ったのがその「サムシング」だった。
ビートルズは知らなくても、パティ・ボイドは知っている。そんな若い女性が特に日本には多いように思う。だからと言うわけではないが、『ビートルズ・ストーリー』という年代別のシリーズ本を始めた時に、一緒にやっている竹部吉晃さんとも、「若い人にも広く読んでほしいから、パティ・ボイドの似顔絵をイメージ・キャラクターにしちゃおう!」などと話していたほどだ。
「サムシング」のヴィデオの主役(と言うと語弊があるかな)パティ・ボイド―本名パトリシア・アン・ボイドは、1944年3月17日生まれ。あのパティがもう73歳! とはいえ、もうすぐポール・マッカートニーは75歳になるし、リンゴ・スターも77歳になるのだから、ビートルズのメンバーや関係者には、一人でも多く、幸せで長生きしてほしいとつ くづく思う。亡くなってしまう人がどんどん増えているから。
パティと言えば、まずはジョージ・ハリスンである。ビートルズの最初の主演映画『ハード・デイズ・ナイト』(64年)の撮影中に、女学生のファン役で登場したパティ(19歳)に一目惚れしたジョージ(21歳)は、「結婚してほしい!」と最初に言ったそうだ。でも、当時ボーイ・フレンドがいたパティはそれを断った。…というのも凄い話だけれど、そうしたらジョージは「食事ならいいかい?」と伝えて、最初はマネージャーのブライアン・エプスタイン同行での食事会と相成ったという。ちなみに出演した女学生役の中でセリフを与えられたのはパティだけだった。いま“Prisoners?”というセリフとイントネーションが即座に頭に浮かんだ人は、上級の、いや中級以上のビートルズ・ファンだろう。
パティは62年にロンドンに家族で移住してからモデルとしての活動を始めた。最初の仕事はシャンプーの宣伝だったそうだが、『ヴォーグ』のイギリスとイタリア版の表紙にもなるなど、ジョージに出会う前から順調に仕事が増えていった。
そしてパティはジョージと66年2月21日に結婚、ビートルズがライヴ活動をやめた66年秋にはシタールを習いにインドのボンベイに向かうジョージについていき、67年と68年にはマハリシ・マヘシ・ヨギの超越瞑想の修行にも同行した。パティのほうがむしろジョージよりも宗教にはまっていたという話もある。
ロック・ミュージシャンに限らず、人との出会いの縁は面白い。60年代半ばからマルチ・プレイヤーのポールがジョージに代わってリード・ギターを弾く曲が増えたこともあり、68年の『ザ・ビートルズ(通称:ホワイト・アルバム)』セッションで、ジョージはクリームのギタリスト、 エリック・クラプトンに自作の「ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス」でギターを弾いてもらいたいと声をかけた。これが縁で、ジョージを介してクラプトンもパティに一目惚れ、である。ロックの名曲誕生秘話に必ずと言っていいほど出てくるエピソードだが、クラプトンがパティに捧げて代表曲にもなったデレク・アンド・ザ・ドミノスの「いとしのレイラ」(70年)はこうして生まれたのだった。
稀代のロック・ギタリスト2人を虜にしたパティ。ジョージと74年に別れる前には、現在も仲の良いロン・ウッドとも“いい関係”になったようだが、パティはクラプトンと79年に結婚。祝賀パーティには、「主夫」時代のジョン・レノンを除く“元ビートルズ”3人が顔を揃え、ミック・ジャガー、ジンジャー・ベイカー、ロニー・ドネガン、レイ・クーパーらも交えてその場で即興で「ゲット・バック」「サージェント・ペパーズ…」「サムシン・エルス」「ローディ・ミス・クローディ」をやったという。
同じくクラプトンがパティに捧げた「ワンダフル・トゥナイト」(77年)も、ポールとリンダ夫妻が毎年主宰していた『バディ・ホリー・ウィーク』が76年に開催された時に、そのパーティに出席するためにパティの準備が終わるのを待っている間に書かれたというから、クラプトンの名曲の影にはパティだけじゃなく、ビートルズもあったと(ちょっと強引だけど)言ってしまってもいいかもしれない。
クラプトンとは89年に別れてしまったが、91年に知り合った不動産業者のロッド・ウェストンと長年寄り添い、2015年に結婚。その間、写真家としても活動を始めたパティは、2005年に“2人のギタリスト”との日々を振り返る写真展を2005年に初めて開催。以後、ほぼ毎年、世界のどこかで写真展を開いている。2007年には『パティ・ボイド自伝 ワンダフル・トゥディ』も出版し、半生を振り返った。
そして2017年3月から5月にかけて、ついに東京でも『George, Eric & Me -パティが見たあの頃-』のタイトルで写真展が開催されることになった。これはもう、写真はもちろん、いくつになっても変わらないあのつぶらな瞳(と、すきっ歯)を見に行かねば!
≪著者略歴≫
藤本国彦(ふじもと・くにひこ):CDジャーナル元編集長。手がけた書籍は『ロック・クロニクル』シリーズ、『ビートルズ・ストーリー』シリーズほか多数、最新刊は『GET BACK… NAKED』。映画『ザ・ビートルズ~EIGHT DAYS A WEEK』の字幕監修(ピーター・ホンマ氏と共同)をはじめビートルズ関連作品の監修・編集・執筆も多数。最新刊は『ビートル・アローン』(4月18日発売予定)。
◆ リコーイメージングスクエア銀座>Pattie Boyd(パティ・ボイド)写真展「George, Eric & Me –パティが見たあの頃- 」>
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