2017年01月05日
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2017年01月05日
ついに本2017年はザ・タイガースが1967年2月5日に「僕のマリー」でレコード・デビューしてから50周年!
とはいえ、その1967年はグループサウンズ(GS)の先達であるブルー・コメッツやザ・スパイダースが全盛だった時代であり、デビュー時のタイガースの注目度は実はそれほど高くは無かったようだが、続いてのダンサブルなサマー・ロック・ソング「シーサイド・バウンド」は大ヒットとなり(その印象もあって、これがデビュー作と思われている節もある)、さらに夏の終わりに発売された「モナリザの微笑」は一転して芸術の秋に向けて優雅に迫るバラードで、こうしたリリースの季節にも合わせた曲想の妙と、どちらにもフィットするタイガースの幅の広さを示して大いに認知され、右肩上がりに売れたと思われる。
思われる、と書いたのは、この時期は未だ『オリコン』が無かったので客観的と言い得る資料が無いためであるが、『オリコン』が正式発足してから初めてのタイガースの新曲は明けて1968年1月5日(1967年12月25日発売との資料もあるが)に発売の第4作「君だけに愛を」であり、当然の如く1位が大いに期待、いや、確信されたはず。
その次の「銀河のロマンス/花の首飾り」まで全部を作曲したすぎやまこういちはタイガースのシングル5曲を並べるとクラシックの交響曲のようになるという構想を持っていたとのことだが、その全体の大いなるクライマックスともなるように作られたのが「君だけに愛を」であり、冒頭は静かに始まって、またバラードかと思わせながら、「君だけに」のフレーズで一気にロック的に爆発!後は雪崩の如く畳み掛ける展開はインパクト絶大。
この年の1月15日より開催された『日劇ウエスタンカーニバル』で同曲を披露する模様は同年4月10日に封切られたタイガースの初主演映画『世界はボクらを待っている』の冒頭で見ることも出来るが、ジュリーが「君だけに」と指を差すアクションは女性ファンへの訴求力もメガトン級。
特にkimikoとかkimieとか自分の名前にkimiが付く女性は人一倍ドキドキしたという(そのような名前だった私の初恋の人から聞かされたものであります)。
前年大晦日のレコード大賞はブルー・コメッツの「ブルー・シャトウ」が獲得、続けて『紅白歌合戦』にも同曲で出場してGS時代を大いに印象付けたが、一夜明けて新年になったら主役はタイガースになっていたというような感があったと思う。そして振り返ってみるならば、この1968年こそは(永遠に続くかと思われた)GSの絶頂期であった。
そうした年の幕開けに公式ヒットチャートの1位に輝くはずだった「君だけに愛を」は、しかし、2位に留まることになる。
前年12月25日に急遽発売されたフォーク・クルセイダーズの「帰って来たヨッパライ」が前代未聞の国民的メガヒットと化し、トップを独走したのだ。
当コラムで何度も書かせていただいているが、この出来事が象徴的なように、私は同時期にタイガースとフォークルが共に浮上したことこそが日本ポピュラー音楽史において最重要事項だと思っている。
片やロックの範疇でエレクトリック、片やグループ名からしてフォークでアコースティック、一方は高校を中退してまで奮闘努力を重ねて大手芸能プロダクションからスカウト、全社を挙げて強力にプッシュされたが、一方は現役大学生が就職を控えて解散する記念として自主製作した音源がラジオ放送で注目され、レコード会社から請われてメジャー発売となったのに合わせて期間限定で再結成してみたという遊び半分みたいな活動スタンス、とアレもコレも正反対と思えたが、実は両者とも同じ京都で同じ1965年に結成、メンバーの大半も「戦争を知らない子供たち1年生」と言うべき1946年~1947年早生まれでもあり、彼らが成人を迎える頃、その直後に存在した厖大な数の「団塊の世代」の先頭に立ち、音楽だけではない新しい日本の文化の潮流を率いて行くことになったとの構図になるだろう。
そして、それぞれが日本のビートルズと評されることになったものだが、どちらが真の日本のビートルズかというような捉え方ではなく、私は両者が共に存在してこそ、今にまで至る日本のポピュラー音楽の太いルーツとなったと確信している。いわば「フォークル・タイガース」が、日本のビートルズ。
もっとも、当時も今も両者の公の音楽的交流はほとんど無く、わずかに1970年2月1日にリリースされた岸部一徳と四郎兄弟のサリー&シロー名義のアルバム『トラ70619』にフォークルの加藤和彦が作曲した曲が収録されている程度と思われるが、近年の2013年3月9日に開催された、加藤和彦追悼の意味合いもあった第4次フォークルとしての渋谷公会堂のステージには、サプライズ・ゲストとしてタイガースの瞳みのるが登場!
確か「あの素晴しい愛をもう一度」での共演だったが、ほんの一瞬でも幻の「フォークル・タイガース」を目の当たりにして、大いに感じ入った次第。
≪著者略歴≫
小野善太郎(おの・ぜんたろう):高校生の時に映画『イージー・ライダー』と出逢って多大な影響を受け、大学卒業後オートバイ会社に就職。その後、映画館「大井武蔵野館」支配人を閉館まで務める。今春、太田和彦編著による『本物のシネフィルを育てた伝説の名画座・大井武蔵野館の栄光』出版予定。現在は中古レコード店「えとせとらレコード」店主。 著書に『橋幸夫歌謡魂』(橋幸夫と共著)、『日本カルト映画全集 夢野久作の少女地獄』(小沼勝監督らと共著)がある。
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