2018年12月19日
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2018年12月19日
1983年12月19日、欧陽菲菲の「ラヴ・イズ・オーヴァー」がオリコン・シングル・チャートの1位を獲得した。彼女にとってはデビュー曲「雨の御堂筋」に続く1位作品であり、現在も愛される代表曲として知られている。だが、この曲がヒットを記録するまでは、4年に至る長い道のりがあった。
欧陽菲菲は1949年9月10日、台湾出身。首都・台北のレストランシアター「中央酒店」の専属シンガーとして活動していた際にスカウトされ、日本で歌手デビューする。そのデビュー曲「雨の御堂筋」はザ・ベンチャーズの作曲で、71年9月5日に東芝音楽工業から発売され、9週間に渡ってオリコン1位を独走する大ヒットとなり、「雨のエアポート」「恋の追跡」「恋の十字路」など、2作目以降は橋本淳=筒美京平のヒットメーカー・コンビによって連続ヒットを記録。72年日本デビューのアグネス・チャンと並んでアジア圏女性シンガーの日本デビュー・ブームを引き起こした。
だが、70年代中盤からセールス的に低迷し、79年にはポリドールに移籍、同年7月1日には通算17作目となる「うわさのディスコクイーン」を発売し再起を賭けた。「ラヴ・イズ・オーヴァー」は当初、この「うわさのディスコクイーン」のB面に収録されていた曲である。
「うわさのディスコクイーン」「ラヴ・イズ・オーヴァー」ともに、作詞・作曲は伊藤薫。フォーク・デュオの「竜とかおる」で活動ののち、作家活動に入り、水越けいこ「ほほにキスして」のヒットを飛ばしたほか、香坂みゆき「レイラ」、甲斐智枝美「スタア」、杏里「コットン気分」(かおる名義)、石坂智子「ありがとう」など、マニアのツボをくすぐる佳曲を数多く手がけてきた。その中でも「ラヴ・イズ・オーヴァー」は異色ともいえるスケールの大きなバラード曲で、前述のポップな楽曲群とはテイストが異なっている。類似作を探すなら、桜田淳子の79年作「パーティー・イズ・オーバー」があるが、こちらは同じバラードながら比較的あっさりとしたナンバーである。
「うわさのディスコクイーン」は東芝時代の欧陽菲菲のイメージに即した、ノリのいいディスコナンバーで、台湾や香港ではヒットしたものの日本では不発に終わった。だが、菲菲はB面である「ラヴ・イズ・オーヴァー」に心惹かれていた。この曲を世に送り出すことを諦めきれず、翌年7月にA面曲として再リリース。さらには川上了から若草恵にアレンジャーを変更して再吹込みし、82年9月1日に3度目のリリースを果たす。そして83年5月にはジャケットを変更して発売と、粘り強いプロモーションを続け、その成果もあって83年7月には遂にチャートインを果たした。また、この曲は83年に各社競作扱いとなり、内藤やす子、黛ジュン、やしきたかじん、ニック・ニューサー、弾ともや改めAORシンガーに転身した生沢佑一らの競作となった。カヴァーも数多く存在するが、最も早いカヴァーはまだヒットに火がつく前の80年に森進一が「恋月夜」のB面として発表。西城秀樹も82年のライヴ・アルバムにこの曲を収録している。日本では数少ない、スタンダードになり得るラブ・バラードとして実力派のシンガーたちが注目していた楽曲でもあったのだ。
では、なぜ欧陽菲菲はこの曲に、半端でない執着をみせたのだろうか。
欧陽菲菲のシングルA面曲を、デビューから順に聴いていくと、そこにはある傾向がみてとれる。1つは圧倒的に、アップテンポのナンバーが多いということ。当時流行していたブラス・ロックを導入した「恋の追跡」や3連ロッカバラードの傑作「恋の十字路」(この曲はバラードというよりはミディアム・テンポ)、あるいは純歌謡曲的メロディーながらスピード感あふれる「夜汽車」など、アップナンバーか、ソウル色の強いミディアム作品がほとんどを占める。歌唱力に自信のある菲菲にとっては、その実力を存分に活かした大バラードを一度は歌いたいという思いがあったのではないだろうか。そこで巡り合ったのが「ラヴ・イズ・オーヴァー」だったのだ。
もう1つは、この曲で歌われる女性像である。別れの局面において「泣くな男だろう」という場面はかなりインパクトが大きく、相手の男を励ましている女性像は、こういった雰囲気の楽曲ではまだ珍しかった。同時期のテレサ・テンの、「つぐない」に始まる三部作に近いシチュエーションだが、未練を引きずる男に対し、おおらかに包み込むような母性と、静かに身を引く女の哀しみが歌われ、強がりにも聞こえるその内容は、実に80年代的な女性像と言えるのではないか。
70年代の欧陽菲菲の楽曲、ことに2作目「雨のエアポート」から9作目「海鴎(かもめ)」まで続いた橋本淳の描く女性像は8作すべて「男に一方的に捨てられた女」というシチュエーションで統一されている。筒美京平の楽曲が極めてコンテンポラリーなポップスであったために気づきにくいが、そこで歌われているのは案外と古典的で男性に都合のいい女性像なのだ。そういう内容の男女関係をポップかつソウルフルに、ときにボディ・アクションを交えて歌うという試みが新しいものであったのだが、80年代に入り、より自立した能動的な女性像を歌うことに意味があったのだと思われる。もっとも菲菲自身はリリース時点では歌詞の深い意味までを理解していなかったそうだが、競作やカヴァーも含め数多くの実力派シンガーたちに愛され、大ヒットを飛ばす楽曲にまで成長したのは、そこで歌われる女性像に多くの聞き手が共感したからに他ならない。もちろん、彼女の歌唱に抜群の説得力があってこそだが。
ところで、素の欧陽菲菲は、極めて陽気でコミカルなキャラクターである。TV番組のMCなどでは頓珍漢な日本語解釈で周囲を爆笑に包むこともしばしばだった。そんな彼女の代表的なナンバーが、いずれも女の哀しみを歌った別れ歌であることは面白い。そのヴォーカルには最初から哀しみを表現する資質が備わっていたのだろう。
欧陽菲菲「うわさのディスコクイーン」「ラヴ・イズ・オーヴァー」×2内藤やす子、生沢佑一「ラヴ・イズ・オーヴァー」ジャケット撮影協力:鈴木啓之
≪著者略歴≫
馬飼野元宏(まかいの・もとひろ):音楽ライター。月刊誌「映画秘宝」編集部に所属。主な守備範囲は歌謡曲と70~80年代邦楽全般。監修書に『日本のフォーク完全読本』、『昭和歌謡ポップス・アルバム・ガイド1959-1979』ほか共著多数。近著に『昭和歌謡職業作曲家ガイド』(シンコーミュージック)、構成を担当した『ヒット曲の料理人 編曲家・萩田光雄の時代』(リットー・ミュージック)がある。
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