2016年03月01日
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2016年03月01日
1977年の今日、3月1日にキャンディーズの13枚目のシングルとして発売された「やさしい悪魔」は、彼女たちの転機となる曲だった。
平成になって放送されたNHK-BSの番組「わが愛しのキャンディーズ」(初放送は2006年7月17日)の中で取り上げられ、ファンの間でも大きく話題になったひとつのプロジェクトがある。「キャンディーズ大人化計画」。そこでは作詞家の喜多條忠(まこと)が、彼女たちが所属していた渡辺プロダクションの渡辺晋に電話で呼び出され、社長室でふたりだけで話をした時のことをこう語っていた。
「“実はキャンディーズなんだけど、大人の女の歌を書いてやってくれないか? 大人の女にしてやってくんないか?”みたいなことを突然言われたんですよね。(中略)一年間お前に任すから三つやってくれって言われたんですよね。それで家に帰って一年間の設計図、キャンディーズ大人化作戦みたいな設計図を書いて…」
彼が別の場所で語った内容も併せて補足すると、その「大人化計画」の第一弾がこの「やさしい悪魔」であり、彼自身が親友の吉田拓郎に大人っぽい曲を頼み、3人に大胆な網タイツとレオタードの衣装を着せるというアイディアも自身が出したものだったという。
この一連の喜多條発言に関しては、吉田拓郎や、キャンディーズのメイン作曲家であった穂口雄右 から疑義が呈されたりしていることに注意が必要だが、この時期のキャンディーズが何らかの新たな展開を必要としていたのは事実だろう。キャンディーズをそうした状況に追い込んだのは、ピンク・レディーの急速な台頭だと考えて間違いない。
ピンク・レディーが「ペッパー警部」でデビューしたのは前年の1976年8月。「やさしい悪魔」リリース直前の時期には、キャンディーズがまだなし遂げたことがなかったオリコン1位獲得をセカンド・シングル「S・O・S」で達成するなど(77年2月14日付)、ピンク・レディーの快進撃が始まっていたのだった。ピンク・レディーを生んだ「スター誕生!」が、渡辺プロとはこの時期、冷戦状態にあった日本テレビで放送されている番組だったこともあり、勢いづくピンク・レディーに、キャンディーズ側としても何らかの対抗策を取る必要が生じていたのであろう。
そこで最初に採用されたアイディアがアン・ルイス・デザインによる大胆な網タイツ&レオタード姿であり、「悪魔」という非日常的だが魅惑的なキー・ワードの使用であった。前者に関しては清楚なキャンディーズに一体何を求める気だったんだ!?という意見が今でも出るくらい衝撃的なものだったが、当時これが実際に大人っぽいイメージを醸し出し得ていたか?というと疑問もある。「悪魔」がモティーフの振り付けも含めたそのヴィジュアル・イメージは当時の中学生から見ても結構コミカルで、結果的にかえってピンク・レディーの世界観に近い受けとられ方をしてしまった部分が少なからずあった気がする。しかし、そこから生まれた親しみやすさと、大人の世界を描いた歌詞や、さしものキャンディーズも歌入れに苦戦したという楽曲の難易度の高さとの間のギャップを奥の深い魅力に変換し、この曲を大成功に至らしめたのは、まだまだフレッシュでキラキラした3人のハーモニーなのであった。
なお、イントロの「悪魔がひっそりと近寄ってくる感じ」のコツコツという音に関しては、吉田拓郎自身の靴の音というのが定説だが、「自分のくつやゲタ、スリッパ、ブーツ、あらゆるはき物で音を選び、結局、誰れ(ママ)がはいていたくつを使ったのかは分からずじまい」(オールナイト・ニッポン+キャンディーズ編著『ビバ・キャンディーズ』より)というランの証言も残されている。
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