2018年03月07日
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2018年03月07日
1988年3月7日、南野陽子の11枚目のシングル「吐息でネット」がオリコン・シングル・チャートで1位を獲得した。87年1月リリースの「楽園のdoor」から数えて6作連続の1位であり、南野陽子にとっても最大のセールスを記録した。
この曲は同年のカネボウ化粧品の春のキャンペーンソングに起用され、その効果もあってのヒットであるが、アナログEP盤末期にあたるこの時期らしく、大型ジャケット(下敷きサイズ)の限定盤が発売されたことも話題を呼んだ。
作詞の田口俊は、80年に南野と同じCBSソニーからデビューしたロック・バンド「ローレライ」のギターとヴォーカルで、同時に作詞・作曲・編曲も担当していた。82年にはバンド活動と並行して作詞家としてもデビューし、須藤薫や麗美などに詞を提供している。現在はプログレ・バンドで活動している田口だが、ちょうどこの曲のリリースと前後して、プリンセス・プリンセスのプロデューサーとしても活動を始めている。作曲の柴矢俊彦は、ジューシイ・フルーツのギタリストから作曲家に転身。南野陽子には「涙はどこへいったの」「へんなの!!」などを作曲、他にも高橋由美子、富田靖子、渡辺満里奈らに楽曲提供しているが、最も名高いヒット曲は「おさかな天国」である。
南野陽子のシングル曲は、デビュー曲「恥ずかしすぎて」こそ都倉俊一の作曲だが、その後は作曲者に来生たかお、亀井登志夫、木戸やすひろ、岸正之、国安わたる、朝倉紀幸。作詞者に小倉めぐみ、康珍化(「接近」の森田記も康の別名義)、戸沢暢美といった具合に、従来の歌謡曲、アイドル・ポップスを手がけてきた職業作家による楽曲ではなく、むしろバンド経験者やシティ・ポップ系のシンガー・ソングライターによる作品が多い。これはディレクターの吉田格の意向によるところが大きく、もともと南野陽子にはお嬢さま的なキャラクターで、ユーミンや竹内まりやの世界観を彼女の歌に当てはめていく音楽制作を試みている。いわば「少女版ユーミン」ともいうべき歌の世界だが、ちょうどこの「吐息でネット」の頃には20歳を迎えており、少しずつ「深窓の令嬢」的な奥ゆかしいイメージから脱却して、自立した意志をもつポジティヴな女性像を歌い始めていた。それは化粧品のCMソングという、時代の先端的な女性像とも合致するものでもある。
アイドルが化粧品のCMソングに起用される例は、70年代には、すでにアイドルを脱却していた南沙織の「春の予感―I’ve been mellow」(78年)の例があるぐらいだが、80年代に入ると84年に松田聖子が「Rock’n Rouge」でカネボウ春のキャンペーンに起用されると、同年秋にも「ピンクのモーツァルト」で再登場、86年には中山美穂が「色・ホワイトブレンド」で資生堂のCMソングに選ばれた。この88年にはカネボウが春は南野、夏は浅香唯「C-girl」、秋には工藤静香「MUGO・ん・色っぽい」と、自社のキャンペーン・ソングに、トップ・アイドルを立て続けに起用している。この流れは女性アイドルがティーンや異性だけでなく20代前半の女性にも共感をもたれるようになった証明ともいえるだろう。
ところで、通常は歌謡曲、特にアイドル歌手の楽曲に、若手の作曲家ばかりを集めただけでは、そのシンガーの世界に統一感をもたせることが難しくなってしまうが、南野陽子の世界に一貫したイメージの統一が図られているのは、デビュー2曲めからシングル・アルバム含めほとんどの楽曲のアレンジを施している萩田光雄の力によるところが大きい。南野陽子の作家陣の中で、萩田光雄は最年長であり、唯一、70年代から活躍してきたアレンジャーでもある。山口百恵や太田裕美の一連のヒット曲で知られる萩田だが、南野陽子に関しては刺激的で派手なアレンジではなく、打ち込み中心ながらも上品で洗練されたサウンドを提供しており、デジタルと生楽器のナチュラルな融合がなされている。「吐息でネット」も春らしくリズミカルにハネた音作りで、トップアイドル・ナンノのもつ華やかさを見事に描き出した。彼女にとってもアイドル人気のピークとなる1曲である。
≪著者略歴≫
馬飼野元宏(まかいの・もとひろ):音楽ライター。月刊誌「映画秘宝」編集部に所属。主な守備範囲は歌謡曲と70~80年代邦楽全般。監修書に『日本のフォーク完全読本』、『昭和歌謡ポップス・アルバム・ガイド1959-1979』ほか共著多数。
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