2018年08月20日
スポンサーリンク
2018年08月20日
独特のハイトーン・ヴォイスと、ミニスカートにハイソックス。マイクを両手で持って懸命に歌う愛くるしい姿。本日8月20日はアグネス・チャンの誕生日。彼女の登場は70年代日本のアイドル・シーンに衝撃を与えた。
アグネス・チャンは1955年生まれ。71年に故郷・香港で姉のアイリーン・チャンとともにジョニ・ミッチェルの「サークル・ゲーム」をカバーし歌手として本国で人気を得ている。姉とともに出演した映画の公開もあり、香港のみならず東南アジア各国でも人気が出た。ちょうどこの時期、香港のTV番組『アグネス・チャン・ショウ』にゲスト出演した平尾昌晃との出会いによって、日本に紹介され、72年11月25日、ワーナー・パイオニアから「ひなげしの花」で日本デビューを果たす。
山上路夫の作詞、森田公一の作曲、馬飼野俊一の編曲による「ひなげしの花」は、日本でのブッキングを手がけた渡辺プロダクションの大アイドル、天地真理が同年9月1日にリリースした「虹をわたって」と同じ座組である。このことからもアグネスにかける期待の大きさがわかるが、「ひなげしの花」の歌い出しを聞いた誰もが、それまでにない歌声に驚かされた。「おっかのうーえー」と素っ頓狂にも聞こえる彼女のハイトーンな響きは、中華圏特有の発声法にも思えるが、香港で「サークル・ゲーム」を歌っていた時はこういう歌唱法ではなかったから、これはあえてインパクトを狙った制作陣のアイデア勝利だろう。ハイトーン・ヴォイスもさることながら、日本語をよく理解していないまま歌っている彼女の持ち味を活かし、「来る来ない」「帰らない帰る」と助詞を省いた外国人特有のカタコト喋りを「花占い」というアイデアに置き換えた、山上路夫の作詞術も面白い。ポップにハネた森田公一のメロディーも、彼女のスタッカート唱法を強調したもの。この1曲で彼女のアイドル人気は日本で大爆発した。
カタコトの日本語で歌う外国人シンガーでは、ちょうどこの前年にデビューした欧陽菲菲のブレイクとリンクするものがある。「こぬか雨が降る」と言うところを「こぬか」「雨降る」と日本語の流れに合わせない区切り方で歌わせた「雨の御堂筋」は、やはり日本語を上手く話せない彼女の発音を活かしたもので、オリコン・チャート1位の大ヒットになる。これに続くアグネス・チャンの登場は、やはり日本語とは異なる発音とリズムを持つ彼女独特の歌い方によって、日本のポップシーンに新たな風を吹き込んだのだ。
2人の成功により、その後73~74年には香港、台湾、韓国を中心に続々と若手女性シンガーたちが日本の歌謡曲シーンへ参入してきた。台湾出身のテレサ・テン、優雅、ファン・イーツン、王祥齢、ヤン・シスターズ、香港からはアグネスの実姉・アイリーン、リンリン・ランラン、韓国からは李朱朗、シルビア・リー、現地でパール・シスターズとして活躍していた姉妹デュオのジュンとシュクなど百花繚乱。これに「世界歌謡祭」でグランプリを獲得し「ナオミの夢」の大ヒットを放ったヘドバとダビデや、シュキ&アビバのイスラエル勢も含めると、70年代前半の歌謡界は実にワールドワイドであった。
アグネス・チャンで重要な作品に、シングル2作目の「妖精の詩」がある。作詞に松山猛、作曲に加藤和彦を迎え、従来の歌謡曲とは異なるスタイルのポップスを歌ったことは、アグネスのその後の歩みを象徴しているといえよう。2作目で早くも、いわゆる職業作家でないアーティストに楽曲提供を受けたことも時代的に早かったが、この起用は加藤がフォーク・クルセダーズの盟友・北山修と組んで手がけた、カタコト日本語の先輩、ベッツィ&クリス「白い色は恋人の色」の成功があってのことと思われる。その後もアグネスはムーンライダーズをバックに歌ったり、74年の「ポケットいっぱいの秘密」でキャラメル・ママをバックに起用しているのも、彼らの生み出す洋楽的なサウンドに対応できるノリとリズム解釈を、アグネスが擁していたと言えるのではないか。「ポケットいっぱいの秘密」は松本隆がはじめてアイドルに提供した詞でもあり、こういった点にも渡辺プロダクションのスタッフの先見の明を感じさせる。その後もアグネスが矢野顕子、松任谷正隆、吉田拓郎、荒井由実といった作家陣に楽曲提供を受けているのは、必然でもあったであろう。
75年のユーミン作「白いくつ下は似合わない」で、それまでのハネた歌唱法からしっとりした歌い方を身につけ、76年から2年間のアメリカ留学を経て、78年の帰国後は新生SMSレコードに移籍、ゴダイゴのメンバーが全面参加したアルバム『不思議の国のアグネス』を発表、さらに83年の『GIRLFRIENDS』では新進気鋭の女性作編曲家・山川恵津子に全編曲をまかせており、彼女のスタッフ陣の先見の明はブレることはなかった。
70年代日本の音楽シーンに大きな功績を残したアグネス・チャンだが、思えばアグネス、菲菲の大ブレイクの後を受けたアジア圏カタコト女性シンガーのブームもあっという間に消え去ってしまった。上記の2人とテレサ・テンを除けば、みんな短期間で母国に帰ってしまったのだ。アグネスの成功は、どれだけ日本に溶け込もうと努力したか、が決め手になったのかもしれない。近年は文化人としての活動が目立つものの、歌手としての彼女は多くの日本人男子に、そして気鋭のソングライター、ミュージシャンたちに愛されたシンガーでもあったのだ。
アグネス・チャン「ひなげしの花」「妖精の詩」「ポケットいっぱいの秘密」「白いくつ下は似合わない」欧陽菲菲「雨の御堂筋」ジャケット撮影協力:鈴木啓之
≪著者略歴≫
馬飼野元宏(まかいの・もとひろ):音楽ライター。月刊誌「映画秘宝」編集部に所属。主な守備範囲は歌謡曲と70~80年代邦楽全般。監修書に『日本のフォーク完全読本』、『昭和歌謡ポップス・アルバム・ガイド1959-1979』ほか共著多数。近著に『昭和歌謡職業作曲家ガイド』(シンコーミュージック)、構成を担当した『ヒット曲の料理人 編曲家・萩田光雄の時代』(リットー・ミュージック)がある。
1974年6月10日、アグネス・チャンの6枚目のシングル「ポケットいっぱいの秘密」がリリースされた。この曲は3月に発売されたアルバム『アグネスの小さな日記』からのシングル・カットで(シングルとア...
1983年12月19日、欧陽菲菲の「ラヴ・イズ・オーヴァー」がオリコン・シングル・チャートの1位を獲得した。彼女にとってはデビュー曲「雨の御堂筋」に続く1位作品であり、現在も愛される代表曲として...
故郷の香港で芸能活動を始めた後、日本でも1972年に「ひなげしの花」でデビューしてトップアイドルの仲間入りを果たしたアグネス・チャン。次々とヒットを連ねる中、4枚目のシングル「小さな恋の物語」で...
本日10月26日は、今やすっかりベテランシンガーとなったあいざき進也の62歳の誕生日である。幼い頃から合唱団にも所属しており、当初はクラシック系の声楽家を目指していたというが、やがて歌謡曲にも興...
「そよ風みたいな女の子」のキャッチフレーズで、1974年に歌手デビューした林寛子。カンコの相性で親しまれ、溌剌としたヴォーカルの魅力をもって、アイドル・シンガーとしても活躍した。本日10月16日...
1980年6月1日、「No.1」でデビュー。その年の新人女子アイドル・レースにおいては、松田聖子、河合奈保子を追う第3ランナー群の一人として、あまり目立たない位置にいたと言える柏原よしえだが、8...
‘70年代初頭、新三人娘(小柳ルミ子、南沙織、天地真理)と、花の中三トリオ(森昌子、桜田淳子、山口百恵)の誕生が現在まで続く女性アイドルの原型を作ったと思われる。その強力な2組のトリオに挟まれて...
ハワイ州出身のベッツイとアイダホ州出身のクリスで1969年に結成された“ベッツイ&クリス”は、デビュー曲「白い色は恋人の色」をヒットさせて一世を風靡した女性フォークデュオ。作詞と作曲を手がけたの...
1973年9月24日、西城秀樹のシングル6作目にあたる「ちぎれた愛」がオリコン・シングル・チャートの1位を獲得した。西城にとっては初のオリコン1位獲得曲である。のちのちまで「絶唱型」と呼ばれる西...
1972年9月21日、南沙織の「哀愁のページ」がリリースされた。5枚目のシングルで初のスローバラードに挑戦。有馬三恵子と筒美京平のコンビはデビュー曲「17才」の時点から従来の歌謡曲に ない斬新な...
秀でたルックスと歌唱力を兼ね備えたアイドルとして1978年にデビューした石川ひとみは、NHKの人形劇『プリンプリン物語』の主演に抜擢されるなど、徐々に人気を高め、81年には「まちぶせ」のカヴァー...
素朴で親しみやすい笑顔の、庶民的なキャラクター。背中を丸めながらアコースティック・ギターをつま弾く、ちょっと寂し気な姿。70年代後半のアイドル・ポップスを語るときに、忘れ難い一輪の花。本日9月7...
1976年(昭和51年)の本日8月21日、森田公一とトップギャランのシングル「青春時代」がリリースされた。翌77年のオリコン年間チャートで第2位をマークするジャイアントヒットとなった「青春時代」...
本日、8月13日はフォーク・クルセダーズ(フォークル)やサディスティック・ミカ・バンドの陰のメンバーと呼ばれ、その後は雑誌編集者、ライター、特に「時計王」として世界的にも知られる松山猛の誕生日。...
伝説のバンド、はっぴいえんどのドラマーから職業作詞家に転じ、挙げたらキリがないほどのヒット曲を送り出してきた松本隆。本日7月16日は時代も世代も超えて愛され続ける作詞家の69回目の誕生日である。...
ヒデキ、逝く。…1982年の本日、西城秀樹は通算42枚目になるシングル「聖・少女」をリリースする。作曲者は初めて起用された吉田拓郎である。互いに広島出身であるものの、デビューからしばらくは水と油...
1972年(昭和47年)の本日6月12日は、天地真理の3枚目のシングル「ひとりじゃないの」がオリコンチャートの1位を記録した日。その後計6週に渡って1位の座を独走し、売り上げ的にも真理ちゃん最大...
本日5月8日は、榊原郁恵の誕生日。還暦まであと1年というのが信じられない、親しみやすいキャラは今もなお健在。模範的アイドルとして、日本芸能史に燦然と残しておきたい一人だ。彼女のデビューのきっかけ...
44年前、1974年(昭和49年)の本日4月20日は、伊藤咲子のデビュー曲「ひまわり娘」が発売された日である。73年10月、東芝のレコード部門・東芝音楽工業株式会社は、英国の名門EMIレコードと...
1977年(昭和52年)の本日3月28日、オリコン・チャート1位を射止めたのは、ピンク・レディー「カルメン'77」。「S・O・S」が、前年11月25日にリリースされてから3ヶ月近くかけてチャート...
1972年(昭和47年)の本日3月13日、オリコンチャートの1位に立ったのは、天地真理の2枚目のシングル「ちいさな恋」だ。作曲に浜口庫之助を起用し、短調〜長調への鮮やかな展開に高貴なムードが漂い...
1979年2月21日にリリースされ、3月12日には自身3作目のオリコン1位を獲得した西城秀樹「YOUNG MAN(Y.M.C.A.)」。本人がロスで聴き、気に入り、ステージで歌っていたものだが、...
本日12月29日は、今もなお個性派女優として存在感を振り撒き続ける岸本加世子の誕生日。もう57歳を迎える。その大女優にも、若き日のレコード活動があるのをご存じだろうか。text by 丸芽志悟
1977年の本日12月19日、オリコン・チャートの1位に立ったのは、ピンク・レディー6枚目のシングルとなる「UFO」である。「UFO」の1位は翌年2月20日になるまで続き、その後もしばらく、PL...
1972年、普通の高校生だった栗田ひろみが大島渚監督に見初められ、映画『夏の妹』のヒロインとしてデビュー。それから約半年後の73年3月、彼女にとって出世作となった『放課後』が公開され、井上陽水が...
1973年(昭和48年)の本日4月21日は、浅田美代子が「赤い風船」でデビューした日。発売されるや否や、3週後にはオリコンチャートの1位に立つという、当時の新人のデビュー曲にしては異例の瞬発力を...
美しい日本語による、ヒューマニズム溢れる人間讃歌。日本を代表する作詞家の一人、山上路夫は1936年8月2日に生まれた。本日めでたく傘寿を迎えることになる。 text by 馬飼野元宏
中国語圏の歌手では、欧陽菲菲(オウヤン・フィフィ)、アグネス・チャンに継ぐ人気者になったテレサ・テンだが、その存在は日本人が知っているよりはるかに大きなものである。大海のさざなみのような彼女のな...
1975年12月21日太田裕美の「木綿のハンカチーフ」が発売された。現在のJ-POPに通じる原点との評価も高い、まさしくエポックメイキングな一曲。もともとは3作目のアルバム『心が風邪をひいた日』...
台北のレストラン・シアター「中央酒店」で歌って人気を博していた欧陽菲菲を見出したのは、坂本九をはじめ多くのスター歌手を発掘・育成してきた、東芝の草野浩二ディレクターであった。氏が一連のベンチャー...
1973年9月1日に「あなたに夢中」でCBSソニー(当時)からデビューしたキャンディーズは、所属の渡辺プロダクションにとって傘下の東京音楽学院の生徒で構成されるスクール・メイツから誕生した初めて...
今からちょうど42年前(1973年)の今日7月5日にリリースされた安西マリア(本名:柴崎麻利子。1953年12月16日-2014年3月15日)のデビュー曲「涙の太陽」。当時20万枚を超えるセール...
1971年の6月1日に「17才」でデビューしてから約1ヵ月後に17才の誕生日を迎えた“歌手・南沙織”が生まれたのは、同年の2月にオーディションのために初来日した彼女が、リン・アンダーソンの「ロー...