2018年05月02日
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2018年05月02日
本日5月2日は、今もなお個性派俳優・歌手として独自の道を歩み続ける夏木マリの誕生日。今日で66歳という年齢が信じがたい程、その仕事欲とパワーにはますます圧倒されるばかりだ。
夏木マリ名義で初のレコード「絹の靴下」をリリースしたのが、1973年(昭和48年)6月5日のこと。今回はまず、その頃の女性歌謡曲の「新しい波」について語ることからはじめたい。
過去、筆者のコラムに何度か出てきた「グラム歌謡」という言葉。70年代の音楽に精通した方なら、英国を発祥地としてその頃世界を席巻した「グラム・ロック」の応用形であることに、すぐに気づかれるかもしれない。T.レックス、デヴィッド・ボウイに代表されるその音楽に「グラマラス」という形容を与えたのは、他の何にも増してその過剰とも言える妖艶なイメージに他ならない。もちろん、その影響は日本の音楽界にも届かないわけがなかった。ただ、陶酔的な反復ビートやアレンジの装飾といった音楽的な部分が、サディスティック・ミカ・バンドや頭脳警察といったロック勢に及ぼした影響に比べると、表面的なユニセックス感覚はまだまだ異端としか思われず、それを意識してアイドル的展開に打って出た日本の男性歌手は皆無に近かった(3~4年遡るところの「ピーター症候群」はこの流れとは全く別のものであり、それに関してはより深い考察が待たれる)。
だからこそ、女性歌謡曲の側から既定概念をぶち破るグラマラスなアプローチが始まったのは必然だったと言える。台湾からやってきた欧陽菲菲が、ダイナミックでソウルフルな歌唱で次々とヒットを放ち、長らく低迷していた朱里エイコが「北国行きで」で一躍ブレイクした72年前半に既に兆候が表れていたが、決定打となったのは、これまた新興のキャニオンに移籍した途端、起死回生の一発「どうにもとまらない」で大ホームランをかました山本リンダだった。金ラメのパンタロン、過剰としか言いようがないボディアクション、ミノルフォン時代が嘘のような派手すぎる歌唱。遂にグラマラスな嵐が歌謡界を襲ったのだ。T.レックスの初来日に5ヶ月も先駆けた、72年6月の発売であった。
その頃夏木マリは、本名の中島淳子名義で既に2枚のシングルをリリースしていたが、全く泣かず飛ばずであった。2枚目のシングル「月光のエロス」(72年2月)は、タイトルの割にフェロモンも控えめで地味なポップス。そんな彼女を、グラマラスな嵐がかっさらうのは必然であった。夏木マリという新しいアイデンティティを得て、「絹の靴下」を73年6月にリリースする。イントロの特徴あるフレーズに乗せて繰り出されるフィンガーアクションは、幼い子供に対してまで絶妙にアピールする。当時放映開始を目前にしていたアニメ『キューティーハニー』にも通じる、解りやすいエロティシズム。この再デビュー曲でオリコン15位という、幸先のいいスタートを飾る。
快進撃を続けるリンダに続いて、デビュー12年目にしてついに悲願の大ヒット曲「他人の関係」を3月に放った金井克子、そしてマリが追随し、さらに7月には「涙の太陽」で安西マリアがデビューと、グラム歌謡の女王達の駒が揃った73年。当時は「アクション・グラマー」と呼ばれることもあったが、いずれにせよ派手なことはいいことである。我らが夏木マリは、第2弾シングル「裸足の女王」でさらに妖艶に迫り、第3弾「お手やわらかに」はオリコン10位にランクインする最大のヒットとなった。グラム歌謡のサウンド的特色として、フェイザーを筆頭とするうねり系エフェクターを過剰に使った派手な演出が挙げられるが、彼女のサード・アルバムに収められたフィフス・ディメンション「ビートでジャンプ」のカヴァーでは、自信なさそうな歌をカムフラージュするが如く、異常な域に達したエフェクト処理がなされていたりして、思わずトホホである。
しかし、派手な栄光の日々も長くは続かない。低迷の70年代後半を抜け、80年代以降は表現者としての自我に目覚め、女優として、さらに未知の領域を開拓するレコーディング・アーティスト活動へと羽を広げていった。95年リリースしたミニ・アルバム『九月のマリー』を皮切りとする、小西康陽との一連のコラボレーション作品で彼女の魅力に目覚めたという方も少なくないはず。その頃からテレビのバラエティ番組にも頻繁に顔を出すようになったが、そんな番組の一つで証言された「ザ・タックスマンの追っかけをやってました」という過去には、GSファンとして胸が熱くなったものである。思えば、藤圭子もオリーブの追っかけだったという逸話があるし、やはり表現者としてのレベルが常人と違う者の選択は只者ではない。今後もますます油の乗った活動が期待できそうだ。
夏木マリ「絹の靴下」「裸足の女王」「お手やわらかに」ジャケット撮影協力:鈴木啓之
≪著者略歴≫
丸芽志悟 (まるめ・しご) : 不毛な青春時代〜レコード会社勤務を経て、ネットを拠点とする「好き者」として音楽啓蒙活動を開始。『アングラ・カーニバル』『60sビート・ガールズ・コレクション』(共にテイチク)等再発CDの共同監修、ライヴ及びDJイベントの主催をFine Vacation Company名義で手がける。近年は即興演奏を軸とした自由形態バンドRacco-1000を率い活動、フルートなどを担当。 2017年5月、3タイトルが発売された初監修コンピレーションアルバム『コロムビア・ガールズ伝説』の続編として、新たに2タイトルが10月25日発売された。
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