2018年08月21日

1976年8月21日、森田公一とトップギャランのジャイアント・ヒット曲「青春時代」がリリース

執筆者:丸芽志悟

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1976年(昭和51年)の本日8月21日、森田公一とトップギャランのシングル「青春時代」がリリースされた。


翌77年のオリコン年間チャートで第2位をマークするジャイアントヒットとなった「青春時代」は、その年の1月17日から4週間、週間チャートのトップに立っている。発売から約5ヶ月かけて絶頂に上り詰めたスロースターターだった。果たして、この大ヒットに至るまで、トップギャランはどのような歩みを続けてきたのであろうか。


当然、この曲は彼らのデビュー・シングルではない。トップギャラン名義で出た初めてのレコードは、遡ること5年半、71年2月リリースされた航空会社のキャンペーンソング「恋のグアム島」だった。さらにそのデビューに至るまでにも、半端ない棘の道がいくつもあった。

タイガース、テンプターズといった人気GSが相次いでその活動に終止符を打ち、日本のバンド史に於ける一大ターニングポイントになっていた71年の初頭に産声を上げたトップギャランのメンバーは、それぞれ熱狂のGS時代(66〜68年)の中、決して派手な光を浴びることなく叩き上げられ、経験値を上げていた。サイドギターの原田正美とベースの小原重彦は、共に荒木一郎のバックバンド、マグマックス・ファイブで活動した後、それぞれポニーズ、スカイ・ホークスというバンドへと巣立ち、GSの歯車の中に組み込まれた。リードギターの岩田康男とドラムスの北村勝彦は、京都のカレッジシーンでブイブイ言わせていたスケルトンズに在籍。後にレモン・ルーツとして新編成された際にもシングルをリリースしている。そしてそのハーモニーに欠かせない要素となる紅一点ヴォーカルには、日劇ダンシングチームで経験を積んだ後、万里れい子名義でソロデビュー。残した7枚のシングルが今や「和モノ」ファンの間で熱狂的な支持を受けている渡部玲子が抜擢された。そして、リーダー森田公一は、60年代後期高度な音楽性でGSファンよりちょっと上の層の支持を集めた、原トシハルとBアンドB7に在籍する傍ら、68年手がけた森山良子「愛する人に歌わせないで」を皮切りに、職業作曲家としての活動へと手を広げていた。蛇足ながら、レモン・ルーツを除く諸GS及び万里れい子のレコードは、奇遇にもコロムビアからリリースされていた。山下達郎や杉村尚美の大ブレイクに便乗して、それぞれ『TATSURO FROM NIAGARA』や、日暮しのベスト盤を『尚美』というタイトルでリリースしたコロムビアが、彼らのシングルを集めて『ROOTS OF トップギャラン』みたいなコンピを77年にリリースしなかったのは、今となっては不思議でならない。90年代の「カルトGS」再評価の時期を経ても、彼らのトップギャラン時代の業績再評価にそれが直結することはなかなかなかったのだから余計である。



そんな兵たちが集まり、PYGの派手な話題の陰に隠れながら密かにデビューしたトップギャランだが、作曲家としての森田のような昇り調子にはなかなか恵まれなかった。むしろ、3枚目のシングル「アフリカの雪」(73年)のような大胆な実験的レコードを残す場所として、良い意味で機能したのではなかろうか。「劇画調音楽」を志向したそのシングルにおいて、トップギャランは初めて阿久悠という時代の覇者を迎え入れることになる。

75年には心機一転して東芝EMI(当時)からCBS・ソニー(当時)に移籍。8月には待望のファーストアルバムがリリースされた。「我が良き友よ」や「時の過ぎゆくままに」など、GSヒーローもここまで大人になったのかと思わせる大ヒット曲が生まれた75年らしく、ここで聴かれるのは数年前まで若者だった青年たちの内省的な心象風景である。この時点でも未だ「若者の音楽」然としていたフォークとも、オーバーグラウンドを蝕み始めたハードなロックとも一味違う落ち着いた風味を漂わせつつ、職人的演奏手腕とさりげない実験精神を隠し味に、大人のロックという言葉が最も似つかわしいと言える彼らのサウンドは、悩める時代を経て社会の中枢に躍り出ていた当時の20代後半〜30代の間で静かな支持を受け、シングル曲「下宿屋」は初めてオリコンチャートにランクイン、最高48位にまで達している。


さて、その成功を引き継いでの「青春時代」の登場となる。当時小学生だった筆者にとっては、まずイントロのイヤーキャッチャーぶりが衝撃的だった。さすが、ヒット請負人・森田公一の手腕である。初期の「タモリ倶楽部」の1コーナーで、このキャッチーなイントロに歌詞をつけて歌うという試みが強烈に印象に残っている人も多いであろう。むしろ、曲の歌詞そのものに対して当時そこまで実感が沸かなかったのは仕方ない。しかし、その世界観こそが当時既に「青春時代を通り過ぎた」側面を迎えていた者たちに対して熱くアピールしたのは、否定できない事実である。

発売2ヶ月後にTBS系でスタートした音楽番組『トップスターショー・歌ある限り』のエンディングテーマに起用されたのも手伝い、徐々にセールスに勢いが付いて行き、年明け早々にはチャートのトップにまで達していた。ピンク・レディーとジュリーで「時代そのもの」の言葉面での象徴となり、「北の宿から」や「津軽海峡冬景色」で演歌の世界にリリカルな色彩感を持ち込んだ阿久悠が最も訴えたかったこと、それはきっと「青春時代」の中にあったに違いない。機会があれば、トップギャランの初期のアルバムで、そんな阿久ワールドの真髄が絶妙なサウンドで音像化される様をじっくり聴いていただきたい。彼らに対して単なる一発屋だという認識があれば、絶対覆るはずだから。

そして、森田・阿久両氏が審査員を務めていた、あの「スター誕生!」の同窓会的集いが開かれるたび、参加者の皆さんが熱い心を胸に抱きながらこの曲を歌っているという事実だけでも、永遠の青春アンセムとしてのこの曲の価値を象徴しているではないか。


森田公一とトップギャラン「下宿屋」「青春時代」写真提供:ソニー・ミュージックダイレクト

ソニーミュージック森田公一とトップギャラン公式サイトはこちら>

森田公一とトップギャラン「恋のグアム島」 万里れい子「サイケな街」ジャケット撮影協力:鈴木啓之


≪著者略歴≫

丸芽志悟 (まるめ・しご) : 不毛な青春時代〜レコード会社勤務を経て、ネットを拠点とする「好き者」として音楽啓蒙活動を開始。『アングラ・カーニバル』『60sビート・ガールズ・コレクション』(共にテイチク)等再発CDの共同監修、ライヴ及びDJイベントの主催をFine Vacation Company名義で手がける。近年は即興演奏を軸とした自由形態バンドRacco-1000を率い活動、フルートなどを担当。初監修コンピレーションアルバム『コロムビア・ガールズ伝説』3タイトルが2017年5月に、その続編として、新たに2タイトルが10月に発売された。

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