2019年01月17日
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2019年01月17日
平成最後の年が明けた――。と書くには、些か時機を逸した感もあるが、筆者にとっては2019年最初の「大人のMusic Calendar」なので、どうかお許しいただきたい。
かつては「日本レコード大賞~紅白歌合戦~ゆく年くる年」、近年は「紅白歌合戦~ジャニーズカウントダウン~CDTVスペシャル!」をハシゴするのが、筆者お決まりの越年コースなのだが、年末年始の歌番組の視聴以外にも新年の到来を実感するものがある。CMだ。新しい年を迎えた瞬間、ナショナルクライアントの多くは新素材に切り替える。イメージキャラクターを一新したり、新しいキャンペーンを開始したり。最近は通信各社のシリーズものが目立っているが、昭和のテレビでは化粧品のCMが大きな存在感を示していた。その中核をなしていたのが資生堂とカネボウの大手2社である。
70年代前半より、春は口紅、夏はファンデーション、秋はファンデーションとアイシャドウ、冬はスキンケア商品を中心に、季節ごとのキャンペーンを展開していた両社は「印象的なキャッチコピー」と「美形モデルの起用」で話題を集めていたが、76年以降はタイアップ曲の売上でもしのぎを削るようになる。それまでの広告業界は、社名や商品名を連呼する15秒や30秒の“CMソング”が主流で、その多くは商品化されることはなかったのだが、75年春、資生堂のキャンペーンに起用された、りりィの「春早朝」はシングル「しあわせさがし」のB面として発売され、オリコン最高40位をマーク。CMとは独立した“イメージソング”の評判がキャンペーンに及ぼす有効性に着目した資生堂は、76年春のりりィ「オレンジ村から春へ」(同14位)を皮切りに、小椋佳「揺れるまなざし」(76年秋/同5位)、尾崎亜美「マイピュアレディ」(77年春/同4位)、ダウン・タウン・ブギウギ・バンド「サクセス」(77年夏/同2位)など、ニューミュージック系の楽曲を次々とヒットさせていく。追うカネボウは、デイヴ「ギンザ・レッド・ウィ・ウィ」(76年春/同30位)、ゴダイゴ「僕のサラダガール」(76年夏/同37位)、グラシェラ・スサーナ「黒い瞳はお好き?」(76年秋/同72位)、ジュリー・バタイユ「シャンテ、シャンテ、ピンキッシュ」(77年春/同36位)、ティナ・チャールズ「Oh!クッキーフェイス」(77年夏/同62位)・・・と洋楽路線でスマッシュヒットを重ね、新井満「ワインカラーのときめき」(77年秋/同10位)で初のトップ10入りを果たす。そして78年夏、資生堂陣営の矢沢永吉「時間よ止まれ」と、カネボウ陣営のサーカス「Mr.サマータイム」がともにオリコン1位を獲得するに至り、両社はヒットチャート上でも覇を競うようになった。
前置きが少々長くなってしまったが、79年はその2大化粧品会社が繰り広げる“バラ戦争”で幕を開けた。季節を先取りする化粧品業界では、毎年1月から春のキャンペーンを開始していたが、この年の資生堂は楽曲ではなく、『シェルブールの雨傘』(64年)のジャック・ドゥミ監督とミシェル・ルグラン(音楽担当)がタッグを組んだ実写映画『ベルサイユのばら』(79年3月公開)とタイアップ。主演に抜擢された新進女優のカトリオーナ・マッコールをCMにも登場させ、「劇的な、劇的な、春です。レッド」というコピーで大々的なプロモーションを展開した。対するカネボウは、映画『ロミオとジュリエット』(68年)でスターの座を獲得した英国女優のオリヴィア・ハッセーを起用。キャッチコピーを曲名にしたイメージソング「君は薔薇より美しい」(但し、コピーの表記は「きみは薔薇より美しい」)で迎え撃つ形となった。映画の「ばら」と楽曲の「薔薇」。土俵が違うので単純な比較はできないが、当時を知る人間の多くは、前者は記憶に乏しく、後者は鮮明に焼き付いているのではないか。実際、映画はこの年14位の配給収入(9.3億円)を記録したものの、製作費10億円(公称)には届かず、期待された成果を上げられなかったが、カネボウのイメージソングはオリコン8位、『ザ・ベストテン』(TBS系)では4位まで上昇。年末の紅白歌合戦でも披露されるなど、79年を代表するヒット曲となった。
ちょうど40年前の本日、1月17日に発売された「君は薔薇より美しい」を歌唱した布施明は当時31歳。65年に「君に涙とほほえみを」でデビュー以来、「霧の摩周湖」(66年)、「愛の園」(68年)、「甘い十字架」(73年)、「積木の部屋」(74年)・・・とヒットを連発し、75年にはミリオンセラーとなった「シクラメンのかほり」で日本レコード大賞を受賞、さらに自身が作詞・作曲を手がけた「落葉が雪に」(76年)でもオリコン1位を獲得するなど、シンガー・ソングライターとしても才能を発揮していた。業界では同世代の五木ひろし、沢田研二、森進一とともに“四天王”と呼ばれ、人気・実力を兼ね備えた歌手として活躍していたが、77~78年はトップ10から遠ざかっていたため、「君は薔薇より~」は久々のビッグヒットとなった。当時はCMやドラマ主題歌に起用されたニューミュージック系の楽曲がヒットチャートを賑わせていたが、同曲は日本テレビ系ドラマ『西遊記』のエンディングテーマ「ガンダーラ」(78年)でブレイクしたゴダイゴのミッキー吉野が作曲と編曲を担当(作詞は門谷憲二)。春の到来を告げるような心浮き立つブラスサウンドのイントロから、サビ部分での変拍子の導入、そして布施ならではのハイトーンで「変わぁった~」と心地よく歌い上げるエンディングまで、バークリー音楽院仕込みのミッキーの音楽的手腕が随所に見られる、上質のポップスに仕上がっている。
15世紀の英国で勃発したバラ戦争(1455~85年)は、ランカスター家の血筋であるヘンリー7世が勝利。敵対していたヨーク家の王女・エリザベスと結婚して戦争は終結したが、79年のバラ戦争はカネボウが勝利し、イメージソングを歌った布施明がキャンペーンモデルを務めたオリヴィア・ハッセーと結婚することで収束する。だが「資生堂VSカネボウ」の戦いは、その後も様々な名曲を生み出しながら80年代末まで続くことになる。
≪著者略歴≫
濱口英樹(はまぐち・ひでき):フリーライター、プランナー、歌謡曲愛好家。現在は隔月誌『昭和40年男』(クレタ)や月刊誌『EX大衆』(双葉社)に寄稿するかたわら、FMおだわら『午前0時の歌謡祭』(第3・第4日曜24~25時)に出演中。近著は『ヒットソングを創った男たち 歌謡曲黄金時代の仕掛人』(シンコーミュージック)、『作詞家・阿久悠の軌跡』(リットーミュージック)。
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