2019年01月16日
スポンサーリンク
2019年01月16日
本日1月16日は、池上季実子の誕生日。1959年(昭和34年)生まれということは、祝・還暦である。平成も終わろうという今、この事実にしみじみとするしかないのだが、今一度彼女の「美少女時代」に残された意外な輝きのかけらを拾ってみようではないか。ここは音楽を語る場所なのだから。
池上季実子の女優としての出世作は、言うまでもなく梶原一騎による恋愛戯曲『愛と誠』のテレビドラマ版、『純愛山河 愛と誠』である。主人公の役名・早乙女愛を芸名としてそのまま継承した新人女優と大スター・西城秀樹の絡みが、今でも伝説として語り継がれている映画版公開から3ヶ月後となる1974年10月4日、東京12チャンネル(現・テレビ東京)にて放映開始。早乙女愛役を勝ち得た池上は、当時15歳の新進女優。すでにいくつかのテレビドラマで初々しい魅力を振りまいていた。秀樹に代わる誠役には、赤松愛の後任としてオックスに参加後、青春派俳優として人気をじわじわ高めていた夏夕介を抜擢。年の差9歳とは思えない青春のぶつけ合いで、両者ともに知名度を一気に上げた。
このドラマの主題歌「わたしの誠」が、記念すべき池上の初レコーディング作品。プレデビュー盤的位置付けで、東芝EMI(当時)からリリースされた。女優・早乙女愛(ややこしいですがわざわざそう明記せねば)が歌った映画版の主題歌同様、梶原一騎自ら作詞を手がけている。音楽的構造がもろ小坂明子の「あなた」を意識していて微笑ましいが、たどたどしい歌唱が15歳の恥じらいを感じさせ、ついつい真剣な耳で聴いてしまう。特にBメロでの力み具合は、好き者にはたまらない。
そんな『愛と誠』でブレイクした池上は、翌年『はだしの青春』の問題児・真奈美役で映画デビュー。着実に女優業をこなす傍ら、CBSソニー(当時)で本格的歌手活動を開始。奇しくも、女優・早乙女愛とレーベルメイトになってしまった。75年7月リリースした「あなたなら」では、プチ山口百恵的な印象。翌年6月の第2弾「夢ごこち」では、作詞に悲劇のヒロイン・中里綴(フォーマリー・ノウン・アズ・江美早苗)を起用したためか、当時の南沙織を彷彿とさせるアンニュイ路線に転じている。いずれも、「わたしの誠」から格段の進歩が見られ、彼女の歌唱特性の良い部分を前面に出した好作品となっているが、ヒットチャートには入らなかった。本人にとっても、歌手活動はあくまでも「脇道」だったのだろう。
ドラマで大活躍といっても、当時小学生だった筆者にとっては、歌番組に出まくるアイドルなんかに比べると、ちょい手が届きづらい存在だった神秘の美少女。ましてや『愛と誠』みたいなハードな恋愛ものとなると、親が子供に見せたがるものではない。そんな距離を一気に縮めてくれた本格的ブレイク作品といえば、1977年の映画『HOUSE ハウス』(東宝)だ。大林宣彦にとって記念すべき初の監督作品であり、近年は海外からもそのポップな映像感覚が熱いまなざしを浴びている、日本映画史に於いても超重要作の一つ。
主人公・オシャレを演じる池上の周りをフレッシュな新進女優6人で固め(言うまでもなく、この映画を踏み台にスーパーアイドルの座にのし上がったのがかの大場久美子)、他のキャスティングも遊び心満載。さらには音楽に昇り調子のロックバンド・ゴダイゴを起用。ここでの大抜擢をきっかけに、彼らは翌年、テレビドラマ『西遊記』の音楽で国民的大ブレイクを果たす。7人の美少女による積極的なプロモーションとゴダイゴの音楽は、筆者にも大きくアピールした。映画館に足を運ぶにはまだ幼すぎたけど。
『ハウス』で映画女優としての揺るぎない存在感を手に入れた池上季実子は、その後も快進撃を続けていく。何と言っても忘れちゃいけないのは、名作かつ問題作として日本映画史に燦然と輝く『太陽を盗んだ男』(79年・キティフィルム)。昨年あたりは、この映画の話題がSNSで持ち出される頻度も相当高かったが、その都度彼女の存在が脳裏を横切って、ホッとした気分になった方も多いのではなかろうか。
この快進撃の間に、もう1枚レコードが残されている。夏目雅子主演で大ヒットした映画『鬼龍院花子の生涯』のテレビドラマ版(TBS)で主役を演じ、その主題歌「流されて」を歌い、ビクターからリリースした(84年6月)。女優としての風格とは別に、24歳という数字相応の乙女らしさが滲み出た歌唱は貴重である。なかにし礼/筒美京平作品でありながら、数ある二人の関連CDに収録されることがないのが不思議だが、オンデマンドサービスのMEG-CDで入手できるようになった。
女優・早乙女愛も、西城秀樹も、夏夕介も、夏目雅子も、もう帰らぬ人となってしまった今。女優としての輝きを今尚増し続けている池上季実子さんに、今宵乾杯しようではないか。
≪著者略歴≫
丸芽志悟 (まるめ・しご) : 不毛な青春時代〜レコード会社勤務を経て、ネットを拠点とする「好き者」として音楽啓蒙活動を開始。『アングラ・カーニバル』『60sビート・ガールズ・コレクション』(共にテイチク)等再発CDの共同監修、ライヴ及びDJイベントの主催をFine Vacation Company名義で手がける。近年は即興演奏を軸とした自由形態バンドRacco-1000を率い活動、フルートなどを担当。初監修コンピレーションアルバム『コロムビア・ガールズ伝説』3タイトルが2017年5月に、その続編として、新たに2タイトルが10月に発売された。
女優のみならず、近年は映画監督や大学客員教授など、多方面で才能を発揮する桃井かおりは、1951年4月8日生まれ。本日で68歳となる。桃井が歌手としても顕著な実績を残していることは、意外と知られて...
記者会見での「普通の女の子に戻りたい」という台詞が流行語となったキャンディーズの解散宣言。その解散発表から9ヵ月後の1978年4月4日、後楽園球場で伝説のライヴ『キャンディーズ ファイナルカーニ...
1971年2月5日に発売された天地真理のセカンド・シングル「ちいさな恋」は、デビュー曲に続きヒット。3月13日のチャートで初の1位を獲得し、4月3日には4週連続の1位を記録した。この次のシングル...
1979年3月1日、ちょうど40年前の本日、山口百恵の25枚目となるシングル「美・サイレント」が発売された。阿木燿子と宇崎竜童のコンビによる作品で、一番の特徴は歌っている途中で口だけ動かして声を...
1974年2月25日、西城秀樹のシングル8作目「薔薇の鎖」がリリースされた。西城秀樹が日本で初めてスタンド・マイクによるパフォーマンスを持ち込み、その後の我が国のステージ・パフォーマンスに大きな...
1975年2月20日、小林麻美「アパートの鍵」がリリースされた。筒美京平による第2次三部作の第2弾、70年代アイド ルの転換期を象徴するような作品である。ソフィスティケートされながらもメロディー...
故郷の香港で芸能活動を始めた後、日本でも1972年に「ひなげしの花」でデビューしてトップアイドルの仲間入りを果たしたアグネス・チャン。次々とヒットを連ねる中、4枚目のシングル「小さな恋の物語」で...
1973年5月、“フリージアの香り”のキャッチフレーズで、キャニオンレコード(現・ポニーキャニオン)から「コーヒーショップで」で歌手デビューした時は21歳。アイドルとしてはかなり遅いスタートとな...
42年前の本日11月21日、キャンディーズの「哀愁のシンフォニー」がシングル・リリースされた。この曲はキャンディーズの12枚目のシングルとなる。ランをセンターにした「年下の男の子」以来、「ハート...
ユーミンの「14番目の月」や子門真人の「およげ!たいやきくん」が大ヒットしていた1976年11月、数々の日本人アーティストのアルバムを抑えて1日、8日、15日と3週連続でオリコンチャート1位をキ...
本日10月26日は、今やすっかりベテランシンガーとなったあいざき進也の62歳の誕生日である。幼い頃から合唱団にも所属しており、当初はクラシック系の声楽家を目指していたというが、やがて歌謡曲にも興...
「そよ風みたいな女の子」のキャッチフレーズで、1974年に歌手デビューした林寛子。カンコの相性で親しまれ、溌剌としたヴォーカルの魅力をもって、アイドル・シンガーとしても活躍した。本日10月16日...
‘70年代初頭、新三人娘(小柳ルミ子、南沙織、天地真理)と、花の中三トリオ(森昌子、桜田淳子、山口百恵)の誕生が現在まで続く女性アイドルの原型を作ったと思われる。その強力な2組のトリオに挟まれて...
1973年9月24日、西城秀樹のシングル6作目にあたる「ちぎれた愛」がオリコン・シングル・チャートの1位を獲得した。西城にとっては初のオリコン1位獲得曲である。のちのちまで「絶唱型」と呼ばれる西...
1972年9月21日、南沙織の「哀愁のページ」がリリースされた。5枚目のシングルで初のスローバラードに挑戦。有馬三恵子と筒美京平のコンビはデビュー曲「17才」の時点から従来の歌謡曲に ない斬新な...
2010年の本日7月20日、幻のカルトアイドル女優・早乙女愛の訃報が伝えられてから、早くも7年が経過した。生きていれば58歳である。子育てに専念するため第一線を退いていたとはいえ、まだまだ真実を...