2019年04月18日
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2019年04月18日
1977年4月18日、ハイ・ファイ・セットの3作目のアルバム『ラブ・コレクション』がオリコン・アルバム・チャート1位を獲得。この作品は同年2月21日に首位を獲得して以来、ここまでで9週連続の1位。5月2日まで首位をキープしたので、通算で11週間も1位を独占した。
ハイ・ファイ・セットは「翼をください」などで知られるグループ、赤い鳥が74年に解散し、3つのグループに分かれた、そのうちの1グループで、メンバーは山本潤子、山本俊彦、大川茂の3人。残る2人は紙ふうせんと ハミングバードに分かれて活動を開始。ソフト・ロック的な洗練されたアプローチと、「竹田の子守唄」などに代表される民謡などの日本伝統路線が混在していた赤い鳥は、この2グループに分かれるのも必然だったと言えるだろう。
ハイ・ファイ・セットは75年2月にデビュー。76年12月1日には、7枚目のシングル「フィーリング」がオリコン・チャート1位の大ヒットを記録し、一般リスナーにもその名が知られるようになる。この「フィーリング」はブラジルのシンガー・ソングライター、モーリス・アルバートの「Feelings」になかにし礼が詞を載せた、洋楽カヴァー曲だが、デビュー以来の洗練された都会的な曲調と3人の見事なコーラスワークに、大人の行きずりの恋愛を描いた艶やかさが加わったのがこの「フィーリング」からである。
その「フィーリング」を収めた3作目のアルバムが『ラブ・コレクション』である。「フィーリング」のほかにも、ドミニク・フロンティアの「オン・エニイ・サンデー」(映画『栄光のライダー』の主題歌)のカヴァーを冒頭に配しており、アルバム全体の洗練度をグッと上げている。さらに佐藤博作曲の「眠い朝」、戸塚省三作詞・作曲によるボッサ・レゲエ「夢に見たジャマイカ」など、楽曲のバリエーションも豊かである。だが、最も注目すべきは荒井由実作詞・作曲の「中央フリーウェイ」であろう。
「中央フリーウェイ」はユーミンがテレビ番組『セブンスターショー』で共演したムッシュかまやつ(かまやつひろし)と、互いに楽曲を交換するという企画で作られた作品で、当初はムッシュに提供した楽曲であった(ちなみにムッシュがユーミンに書いたのは「楽しいバス旅行」という何ともムッシュらしいのどかな曲)。それを76年11月発売のアルバム『14番目の月』でユーミン自身のヴォーカルで発表。その3か月後にハイ・ファイ・セットが『ラブ・コレクション』で発表しているので、これはハイ・ファイ・セットがカヴァーしたというより、作者との競作に近い形なのである。もう1曲、「雨のステイション」もユーミンの作品だが、こちらはユーミンの3作目のアルバム『コバルト・アワー』に収録された曲のカヴァーである。初期のハイ・ファイ・セットにとってユーミンは最重要ライターであった。
ハイ・ファイ・セットのデビュー曲「卒業写真」は、今でこそユーミンの名曲として世に知られるスタンダード・ナンバーであるが、元はハイ・ファイ・セットに提供した楽曲であった。ほかにも「朝陽の中で微笑んで」も初出はハイ・ファイ・セットであり、逆に「海を見ていた午後」などはユーミンのカヴァーとして発表している。「フェアウェル・パーティ」のように荒井由実作詞・作曲作品でありながらユーミン自身は歌っていない曲や、作詞のみ提供し作曲は松任谷正隆に委ねた「荒涼」「グランド・キャニオン」「十円木馬」などの楽曲もある。79年7月発売のアルバム『閃光(フラッシュ)』に収録された「最後の春休み」や、同年12月発売のアルバム『QUARTER REST』に収録された「DESTINY」などは、ユーミン自身のヴォーカルでの発表とほとんど僅差でリリースされており、アレンジの大幅な違いも含め単純にカヴァーとは呼べない関係になっている。76年4月発売のシングル「冷たい雨」はバンバンの「『いちご白書』をもう一度」のB面曲として発表されたものをハイ・ファイ・セットがカヴァーし、さらにユーミン自身が79年のアルバム『OLIVE』でセルフ・カヴァーするという流れ。ユーミンはある意味、ハイ・ファイ・セットのメインライターで、彼らのイメージ作りに大きく貢献した作家でもあるのだ。ユーミン作品の場合、どんなに歌唱力のあるシンガーが歌った楽曲であっても、最終的には実作者のバージョンが世に残ってしまうという宿命があるが、ハイ・ファイ・セットだけは例外的にユーミン作品の体現者としてある時期まで並走していたイメージが強い。ユーミン特有のメロディー、作詞術の体現者として最高のグループであったのだ。
ハイ・ファイ・セットのユーミン作品で、独特の運命をたどった楽曲に、75年11月5日発売の「スカイレストラン」がある。作詞はユーミンで、作曲は当時ユーミンもハイ・ファイ・セットも所属していたアルファミュージックの総帥・村井邦彦の手によるもの。だが、この曲の詞にはもともと、ユーミン自身のナンバー「あの日にかえりたい」のメロディーが乗っていた。
ユーミンのブレイクのきっかけとなったシングル「あの日にかえりたい」は、当初TBSドラマ『家庭の秘密』の主題歌として書かれた。当初はこのメロディーに「スカイレストラン」の詞が乗っていたのだが、ドラマの内容に合わないという理由で詞のみリテイクされ、書き直した歌詞が現在我々が知る「あの日にかえりたい」の詞なのだ。浮いてしまった最初の詞には、村井邦彦が曲をつけ、「スカイレストラン」としてハイ・ファイ・セットの歌唱でリリースされたのである。実際、「あの日にかえりたい」の詞で「スカイレストラン」のメロディーで歌ってみると、譜割がピッタリハマって何とも言えない気分になる。逆もまた然り。「あの日にかえりたい」の冒頭のスキャットは山本潤子のものであり、そんなところにも名残を感じさせる。
この話はユーミンファンには有名なエピソードで、かなり昔のユーミンの苗場コンサートのリクエストコーナー(客席からリクエストを募り、それにユーミンが答えて歌うというもの)では「スカイレストランの詞であの日にかえりたいを歌ってほしい」とリクエストした強者もいたとか。ともあれ、こんな大技が可能だったのも、ユーミンとハイ・ファイ・セット、それに村井邦彦や松任谷正隆も含めた密度の濃い抜群のチームワークあってのこと。村井邦彦ファミリーともいうべき、70年代アルファの蜜月を思わせる。
『ラブ・コレクション』はユーミンの作家としての洗練をハイ・ファイ・セットがそのコーラスワークで見事に体現しているアルバムでもあり、メンバーの自作曲も含めた他の曲も洗練度が高く、日本には数少なかった都会派ポップスのコーラス・グループとして、大きく認知された作品と呼べるだろう。
赤い鳥「翼をください」ハイ・ファイ・セット「フィーリング」「卒業写真」「冷たい雨」 「スカイレストラン」荒井由実「あの日にかえりたい」ジャケット撮影協力:鈴木啓之
≪著者略歴≫
馬飼野元宏(まかいの・もとひろ):音楽ライター。月刊誌「映画秘宝」編集部に所属。主な守備範囲は歌謡曲と70~80年代邦楽全般。監修書に『日本のフォーク完全読本』、『昭和歌謡ポップス・アルバム・ガイド1959-1979』ほか共著多数。近著に『昭和歌謡職業作曲家ガイド』(シンコーミュージック)、構成を担当した『ヒット曲の料理人 編曲家・萩田光雄の時代』(リットー・ミュージック)がある。
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