2017年03月07日
スポンサーリンク
2017年03月07日
松任谷由実にとって14作目となるオリジナル・アルバム『リ・インカーネーション(REINCARNATION)』(1983年2月20日発売)は、リリースから2週間後の3月7日にアルバム・チャートNO.1の座を獲得した(売上げ枚数31.9万枚)。『昨晩お会いしましょう』(81年11月1日)、『パール・ピアス』(82年6月21日)に続く3作連続のNO.1で、以後1997年の2月28日発売の『Cowgirl Dreamin'』まで、ユーミンの「オリジナル・アルバムNO.1」は継続することになる(17作連続)。
本作は「輪廻転生」(リ・インカーネーション)を主題としたコンセプト・アルバムだった。人類と宇宙人のコンタクトを描いた77年公開の『未知との遭遇』、宇宙人と子供たちとの交流を描いたファンタジーで82年公開の『E.T.』(いずれもスティーヴン・スピルバーグ監督作品)などのヒットで定着しつつあった宇宙ファンタジーの世界を、ユーミン独自の解釈で作品化したもので、そのコンセプトは、次作『VOYAGER』(83年12月1日)にも一部引き継がれている。
タイトル・チューン「REINCARNATION」は、81年のコンサートツアー『水の中のASIAへ』のために創られた楽曲だが歌詞は異なる。「川景色」は石川セリに提供した楽曲(82年)のセルフカバー、「心のまま」は、女性ばかりで太平洋を横断したヨット・RIB II世号を取り上げたラジオのドキュメンタリー番組のために創られた楽曲だ。「Esper」は、シングルとして3年も前の80年3月20日に発売されているが、シングル・バージョンと本作に収録のバージョンは別物である。なお、「ずっとそばに」は、本作発売から10年後の93年、 アニメ映画「Coo 遠い海からきたクー」(監督・今沢哲男、脚本・岡本喜八、原作・景山民夫)のエンディング・テーマに採用されている。
レコーディング・セッションは、ドラムス・林立夫、ベース・髙水健司、キーボード・松任谷正隆を基本に、エレキ・ギターで今剛、松原正樹、鈴木茂が、アコースティック・ギターで瀬戸龍介と吉川忠英が、パーカッションで浜口茂外也、斎藤ノブ、Peckerが、ホーンセクションでJake H. Conception、数原晋、新井英二が絡む編成となっている。
YMOの「散開」はこの年の12月だが、世はテクノポップ全盛期。ユーミンはテクノポップによって培われたテクノロジーを享受しつつ、アナログとデジタルの境界域をこのアルバムによって巧みに表現している。ユーミンのキャリアの中では比較的地味なアルバムといえそうだが、作品としてのクオリティやトータリティは高い。
≪著者略歴≫
篠原章(しのはら・あきら):批評.COM主宰・評論家。1956年生まれ。主著に『J-ROCKベスト123』(講談社・1996年)『日本ロック雑誌クロニクル』(太田出版・2004年)、主な共著書に『日本ロック大系』(白夜書房・1990年)『はっぴいな日々』(ミュージック・マガジン社・2000年)など。沖縄の社会と文化に関する著作も多い。
1993年8月9日、松任谷由実の「真夏の夜の夢」がオリコン・シングル・チャートの1位を獲得した。ユーミンにとっては75年の「あの日にかえりたい」以来、実に17年ぶりの首位で、自身初のミリオンセラ...
1980年6月21日、松任谷由実の通算9作目のオリジナル・アルバム『時のないホテル』が発売された。ユーミン史の中でも、全体に重たく暗い作品が多く、一見とっつきにくい印象があるが、ファンの間ではこ...
1983年7月6日、松任谷由実が初の日本武道館公演を行った。この日はアルバム『REINCARNATION』の発売に連動した『REINCARNATION』ツアーの初日でもある。このコンサートは、そ...
1982年5月10日から12日まで、後楽園球場でサイモン&ガーファンクルの再結成コンサートが行なわれた。アルバム『PEARL PIERCE』を制作中のユーミンは、録音の合間を縫って、彼らのコンサ...
1976年5月1日、沢田研二の「ウインクでさよなら」がリリースされた。沢田のソロ・シングルとしては通算16作目にあたる。作曲はこれまで「危険なふたり」「追憶」などを手がけてきた加瀬邦彦だが、作詞...
38年前の12月1日、松任谷由実『悲しいほどお天気』がリリースされた。『昨晩お会いしましょう』からはじまる80年代のユーミンの大ヒット作の数々からすると、70年代末のこのアルバムのころの彼女の音...
ユーミンのセカンド・アルバム『ミスリム』は1974年10月5日にリリースされた。ジャケットからして印象的なアルバムだ。当時荒井由実だったユーミンはピアノの前にドレスを着てこちらを向いて座っている...
日本のロックとポップスが、さまざまな意味で「豊饒さ」を示し始めた1975年の2月20日、荒井(松任谷)由実の5作目となるシングル「ルージュの伝言」(C/W「何もきかないで」)がリリースされた。若...
1981年11月16日、松任谷由実『昨晩お会いしましょう』がオリコンチャートの1位を獲得した。このアルバムをきっかけに、彼女は年に1〜2枚というアイドル並みのスピードのアルバム発表と、豪華な演出...
ニュー・ミュージックの興隆期に頭角を現し、中島みゆき、長渕剛ら幾多のアーティストを支えた名アレンジャー、瀬尾一三。今日9月30日は瀬尾一三の誕生日である。text by馬飼野元宏
本日3月4日は村井邦彦の誕生日である。村井邦彦は大学卒業とともにプロとなり楽曲管理のために立ち上げた“アルファ”を拠点として、音楽出版から原盤制作、スタジオ設立、レコード会社へと業容を拡大してい...
1月19日は松任谷由実、ユーミンの誕生日である。 ユーミンの才能や魅力や評価については、すでに数多くの人がさまざまな角度から語っている。そこにぼくが駄文を付け加えることもないので、今回は彼女のデ...
1975年12月22日、荒井由実の「あの日にかえりたい」がオリコン・シングルチャートの1位を獲得した。後の松任谷由実、当時は21歳。ニューミュージックという言葉が使われ始めた年のことであった。 ...
1956年の今日、12月12日は、三木聖子の誕生日。アイドル・ポップス史に残る珠玉の名作「まちぶせ」の初代歌唱者である。デビュー曲「まちぶせ」(1976年6月25日)は作詞・作曲が荒井由実、編曲...
1975年11月27日、バンバンの「『いちご白書』をもう一度」がオリコン・チャートで1位を獲得した。作詞・作曲はユーミン。学生時代に70年の安保闘争を経験したカップルが、何年か前に、映画『いちご...
日本ロック史上に大きな足跡を刻むはっぴいえんど(1970-1973年)とYMO(1978-1983年)のリーダーとして活躍し、プロデューサー・作曲家としても、多くの才能あるアーティストや名曲を世...
40年前の本日6月20日、荒井由実のアルバム『コバルト・アワー』が発売された。 1975年。日本のポップスはかつてないスピートで変化しようとしていた。
40年前、1975年の本日5月24日、「ティン・パン・アレー・フェスティバル」が中野サンプラザで開催されました。そのステージには細野晴臣さんを中心とするティン・パン・アレー・チームと、大瀧詠一さ...