2019年07月05日

1976年7月5日、丸山圭子「どうぞこのまま」が発売~プチ流行した女性シンガーによるボサノバ

執筆者:馬飼野元宏

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1976年7月5日、シンガー・ソングライター丸山圭子の「どうぞこのまま」が発売された。マイナー・コードのボサノバで、彼女のソフトなヴォーカルが耳に心地よく、同年秋から翌年にかけて売れ続け、オリコン最高5位まで上昇する大ヒットを記録した。


この1976年という年は、ニュー・ミュージックと呼ばれる新たなジャンルが勃興し、日本の音楽シーンを塗り替える勢いであった。ことに、前年秋にバンバンへの提供曲「『いちご白書』をもう一度」と、自身の「あの日にかえりたい」の連続大ヒットで一躍、シーンの中心に躍り出た荒井由実が脚光を浴びていた。ユーミンに続けとばかり、数多くの女性シンガー・ソングライターがデビューまたは頭角を表し始めたのが、1976年なのである。この年デビューの尾崎亜美、庄野真代をはじめ、前年デビューの中島みゆきや先行する高木麻早、五輪真弓なども注目作を発表。その中で丸山圭子「どうぞこのまま」のヒットは、まさにユーミンに続く女性シンガー・ソングライターの台頭を証明する結果となった。


一方では「ボサノバ」が1つのキーワードになっている。「あの日にかえりたい」と「どうぞこのまま」はどちらも哀愁系のボサノバで、その「あの日にかえりたい」の原詞に、村井邦彦が別の曲を付けて発表したハイ・ファイ・セットの「スカイレストラン」の山本潤子のヴォーカルも含めれば、女性シンガーのボサノバが、プチ流行した時期でもあった。現在、シティ・ポップ周辺で高い評価を受けている、やまがたすみこのボサノバ「夏の光に」も76年の発表。これらの現象は、キラキラ眩しいアイドル歌謡とは異なる、20代女性のシックでアンニュイなムードを醸し出すのに、ボサノバがうってつけだったと言えるだろう。


丸山圭子は54年5月10日、埼玉県生まれ。72年にニッポン放送主催の「VIVA唄の市」に自作曲で出場、神田共立講堂で行われた全国大会に入賞し、同年11月にエレックレコードからシングル「心の中の」とアルバム『そっと私は』でデビューを果たした。



その後、同じエレック所属のフォーク・グループ「ピピ&コット」に参加。このグループにはケメの愛称で知られる佐藤公彦が在籍していたが、佐藤がソロになるために脱退、その後、丸山が加入している。丸山の参加したレコードは佐藤作詞・作曲の3作目「愛をつかまえよう」と、「丸山圭子+ピピ&コット」名義で出た「空/裸のわたし」で、「裸のわたし」は緑魔子主演の映画『日本妖怪伝サトリ』の主題歌にもなった。


この間、彼女はラジオ関東(現・ラジオ日本)の『キョーリンヘルスフォーク・圭子のソネット』という10分の帯番組をレギュラーで担当。2年半続いた番組の中で、実に120曲を制作した。その音源の一部が、のちに『花紋様』というアルバムにまとめられている。


ピピ&コットは75年に解散。エレックレコードが経営危機に陥り混沌とする中、丸山圭子はミュージカルステーションの金子洋明の紹介でキングに移籍し、76年3月5日にセカンド・アルバムとなる『黄昏めもりい』をリリース。「どうぞこのまま」は当初、このアルバム収録の1曲だった。同アルバムの演奏を担当しているのは吉川忠英とホームメイド。カントリー・ロックのバンドなので、丸山自身がディレクションしたというジャケット・デザインも含め、オールド・アメリカンの香りを漂わせている。アルバム全体のトーンも、まだエレック時代のフォーキーな香りを残しているが、その中で注目したいのは、エレック時代のレーベルメイトであった山下達郎、大貫妙子、村松邦男のシュガーベイブ勢がコーラス参加した1曲目の「街風便り」や、同じく彼らのコーラスによるユーミン風の都会派ポップス「スカイラウンジ」、達郎がコーラスアレンジも手がけたスウィンギンな「Bye-Bye」など。特に「スカイラウンジ」の瀬尾一三による絶妙なアレンジと、シュガーベイブの絶妙なコーラスワークは、素晴らしい完成度。75年12月の録音だから、まさしく解散直前に彼らが放った名仕事の1つだ。

ほかにも、歌と朗読が交互に繰り返され、そこにタイム・ファイブのコーラスが重なる「夕暮れさびしがり」や、やはりエレック時代のレーベルメイトである仲井戸麗市の提供によるブルース「私の風来坊」など、秀逸な作品が多く収められている。そして、エレック時代の作品群に比べ、最も違っているのは彼女のヴォーカル・スタイルである。声に艶が加わり、物憂げな雰囲気を漂わせているのだ。


丸山圭子自身は、このアルバムの中で「どうぞこのまま」だけ雰囲気が異なっているので、次回作に収録する予定だったと語っている。また、当初のアレンジが気に入らず、ニック・デカロの「イタリアングラフィティ」を聴かせ青木望に再アレンジしてもらったという逸話があるが、そういった紆余曲折を経て完成した曲は、有線で評判になり急遽、シングル・カット。ちなみにファースト・プレスのジャケットはクリーム色ベースに、白い薄手の服を着た丸山圭子の写真で、まだ多少フォークの香りを残しているが、ヒットの兆しが出て差し替えられたジャケットは、ダークなパープルをベースにした色調で、コーヒーカップを前に頬杖をつく彼女の写真。「どうぞこのまま」のもつアンニュイでアダルトなムードが、丸山圭子のアーティスト・イメージを決定づけ、その後に展開されていく彼女の世界にも色濃く反映されていったのだとわかる。さらに同曲のヒットに伴い、一時期『黄昏めもりい』の帯までが『どうぞこのまま/丸山圭子』に変えられていた。


丸山圭子は一躍、気鋭の女性シンガー・ソングライターとして注目され、翌77年3月にはティン・パン・アレー系メンバーを演奏陣に迎えた『春しぐれ』、同年暮れにはブギ、スウィングなど多彩な音楽性を発揮させた『MY POINT OF VIEW』、78年6月にはロサンゼルス録音を敢行した『裸足で誘って』と立て続けにアルバムを発表。この頃から作家としての楽曲提供も増え、シングルになったものとしては南沙織の「木枯しの精/つぶやき」、由紀さおり「シングル・ナイト/琥珀色の悲しみ」があるが、ほかにも山口百恵「空蝉」「水鏡」、桜田淳子「夢のあとさき」「あなたに染って」「パンドラの箱」岩崎宏美「季節のかほり」「今様つづり」金井夕子「レモン気候」など、少し大人の雰囲気を出したい女性アイドル・シンガーへの提供が多い。


また、83年には自身の作詞で筒美京平の作曲による「ラ・ムール」を、84年には浜田省吾の名バラード「片想い」のカヴァーを発表するなど自作自演にこだわらない作品も発表、それもやはりあの物憂げで色っぽいヴォーカルあってのものである。


「どうぞこのまま」は数多くのアーティストにカヴァーされ、自身が楽曲提供した由紀さおりや岩崎宏美をはじめ、伊東ゆかり、ジュディ・オングなどのポップス系シンガーはもちろん、八代亜紀やマルシアなどの演歌系、松山千春や稲垣潤一などの男性歌手までが歌っており、近年名高いところでは椎名林檎によるカヴァーがある。


丸山圭子は近年、シティ・ポップ周辺でその楽曲群に注目が集まり、2014年にはアーバン・メロウ系作品を集めたコンピ盤『LIGHT MELLOW丸山圭子』も発売され、自伝『どうぞこのまま』(小径社・刊)も発表、2018年には最新アルバム『レトロモダン~誘い』をリリースし、再び精力的に活動を開始、ライブも積極的に行っている。

丸山圭子「心の中の」『そっと私は』『花紋様』『黄昏めもりい』「どうぞこのまま」丸山圭子+ピピ&コット「空/裸のわたし」ジャケット撮影協力:鈴木啓之


≪著者略歴≫

馬飼野元宏(まかいの・もとひろ):音楽ライター。月刊誌「映画秘宝」編集部に所属。主な守備範囲は歌謡曲と70~80年代邦楽全般。監修書に『日本のフォーク完全読本』、『昭和歌謡ポップス・アルバム・ガイド1959-1979』ほか共著多数。近著に『昭和歌謡職業作曲家ガイド』(シンコーミュージック)、構成を担当した『ヒット曲の料理人 編曲家・萩田光雄の時代』(リットーミュージック)がある。

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