2019年08月30日
スポンサーリンク
2019年08月30日
8月30日は井上陽水の生誕の日である。もし日本に陽水という存在が生まれなかったとしたら、この世はさぞかし寂しいものになっていたに違いない。そう思わせるだけの、絶大なる歌唱力を持ったシンガーである。すべての歌を黄金に変えることのできる、まるでギリシア神話に出てくるミダースのような声帯を持っているのだ。
例えば「ファイルが存在しません。読み取り権限がありません」といった無味乾燥な文句にしても、陽水の超人的な喉を介するのならば、それは人々を感動の渦に包む音楽に変わる。美しいヴィロードのような、艶やかななめし革のような、あのゴールデン・ヴォイスがそうさせるのだ。
がしかし、パソコンのエラー・メッセージでは著作印税を得ることは出来ない。そのことを天才・陽水はよく心得ている。さらに世界を黄金で満たすために、作詞作曲という錬金術を会得しているのだ。ではあるものの、溢れんばかりの情感をすべて歌詞に託してしまえば、陽水という才能が暴走してしまう可能性がある。歌詞の中に、あまり意味のない言葉や凡俗なフレーズを散りばめることによって暴発を抑制していく。これが井上陽水という機関なのだ。
その最たる例が、82年に発売された名曲「リバーサイド・ホテル」だ。優雅な旋律に騙されてはいけない。サビの歌詞にじっくりと耳を傾けていただきたい。
「ホテルはリバーサイド/川沿いリバーサイド」
あまりに官能的に歌われているので見逃してしまいそうになるが、「川沿い」で「リバーサイド」。まるで何も考えてはいない。これほどまでに意味のない歌詞が他にあっただろうか。これが魔王・井上陽水の骨頂であるのだ。その神髄は、パフィーが歌った「アジアの純真」の中にも如実に現れている。
歌詞崩壊の歴史をたどれば、かなり初期にまで遡る。井上陽水が生まれる前のアンドレ・カンドレ時代にも、「ビューティフル・ワンダフル・バーズ」という、鳥の歌だと思わせながら今年の経済の話になったり、宝くじの話になったりするシュルレアリスティックな曲があった。
そしてその代表曲となるのが、72年にリリースした「傘がない」だろう。歌詞の中には、若者の自殺や国会での答弁など、時事性がふんだんに盛り込まれている。この曲は当時、シラケ世代を代弁した歌だ、などと論評されたが、それは大きな的外れ。結局のところ、彼女に会いに行くのに傘がないという個人的な問題しか歌ってはいない。つまりは何も考えていない自分を表現しただけなのだ。
歌詞カードを何度見つめ直しても、なにも浮かび上がってこない。これこそが井上陽水の作詞術の流儀だ。実はこのことを密かに告白した曲がある。80年に発表された「クレイジー・ラブ」で、その歌詞の中で「夢を私がえがくのは/特に意味がないから」と、さりげなく告げているのだ。
アンドレ・カンドレ「ビューティフル・ワンダフル・バーズ」井上陽水「傘がない」「リバーサイド・ホテル」「クレイジー・ラブ」ジャケット撮影協力:鈴木啓之
≪著者略歴≫
小川真一(おがわ・しんいち):音楽評論家。ミュージック・ペンクラブ・ジャパン会員。ミュージック・マガジン、レコード・コレクターズ、ギター・マガジン、アコースティック・ギター・マガジンなどの音楽専門誌に寄稿。『THE FINAL TAPES はちみつぱいLIVE BOX 1972-1974』、『三浦光紀の仕事』など CDのライナーノーツ、監修、共著など多数あり。
8月30日は井上陽水の生誕の日である。もし日本に陽水という存在が生まれなかったとしたら、この世はさぞかし寂しいものになっていたに違いない。そう思わせるだけの、絶大なる歌唱力を持ったシンガーである...
さだまさしがソロになってから8枚目のシングル「関白宣言」を発表したのは1979年7月10日のこと。6分20秒という長尺の曲にもかかわらず、そのテーマの斬新さもあって大きな話題となり、約160万枚...
1976年7月5日、シンガー・ソングライター丸山圭子の「どうぞこのまま」が発売された。マイナー・コードのボサノバで、彼女のソフトなヴォーカルが耳に心地よく、同年秋から翌年にかけて売れ続け、オリコ...
本日、7月2日はよしだたくろう(当時の表記)のアルバム『伽草子』がオリコンで1位になった日だ。これは大きな出来事であったと言っていいだろう。なぜなのかは、その少し前の経緯から説明しなくてはならな...
日本テレビ系で放映された『飛び出せ!青春』のテーマソングとして、青い三角定規が歌う「太陽がくれた季節」がシングル・リリースされたのは、ドラマがスタートして5日後の1972年2月25日のこと。ドラ...
1977年4月18日、ハイ・ファイ・セットの3作目のアルバム『ラブ・コレクション』がオリコン・アルバム・チャート1位を獲得。この作品は同年2月21日に首位を獲得して以来、ここまでで9週連続の1位...
2019年2月、南こうせつのデビュー50周年を記念するエッセイ集『いつも歌があった』が発行された。古希を目前にした南こうせつが、自分の音楽人生を振り返り、ここから先への想いを語ったものだ。南こう...
3月19日はシンガー・ソングライター尾崎亜美の誕生日。77年2月5日に資生堂春のキャンペーン・ソングとなった「マイ・ピュア・レディ」をリリース。彼女初のヒットとなる。同年6月5日に発売されたセカ...
『氷の世界』は、井上陽水の3枚目のオリジナル・アルバム。1973年12月1日にポリドール・レコードよりリリースされた。LPレコードのそれまでの最高記録である森進一の『影を慕いて』の60万枚をはる...
1974年10月14日、井上陽水の4枚目のアルバム『二色の独楽』がオリコンのアルバムートで1位を獲得した。40日間にわたりロスアンゼルスのA&Mスタジオで行われたレコーディングは僕自身、その後の...
石川セリのデビュー曲となる「八月の濡れた砂」は、同名映画の主題歌。毎年夏の終りに聴きたくなる名曲。この映画の監督、藤田敏八の命日が8月29日というのも不思議な符合である。
モップスのギタリストとして、また、アレンジャーとして井上陽水の『氷の世界』を初めとし、数々の作品を作り上げてきた星勝。本日8月19日は星勝の誕生日。当時、ホリプロで制作担当であった川瀬泰雄による...
6月11日は「傘の日」、といえばやはり井上陽水「傘がない」。本日のコラムは当時、ホリプロで制作担当として現場にいた川瀬泰雄による「傘がない」誕生の知られざる経緯です。
今から43年前(1972年)の今日リリースされた井上陽水のアルバム『断絶』。1969年に「アンドレ・カンドル」の芸名でデビュー以来3枚のシングルをリリースしながらも鳴かず飛ばずだった彼が、レコー...