2017年11月23日
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2017年11月23日
小室等さん。面識もないのに“さん付け”でお呼びするのにはわけがある。1966年、朝日ソノラマから出た『Peter, Paul & Mary~フォーク・ギター研究』という教則本にはとてもお世話になったからだ。日本にもフォーク・ソングが定着し、アマチュアのフォーク・グループが続々と生まれていたころ、まともな楽譜・奏法解説書は1冊も存在しなかった。しかし、この本だけは違っていたのだ。ピーター・ポール&マリーのレパートリーが12曲、各パートの楽譜とタブ譜(タブ譜自体がまだ非常に珍しかった)、丁寧で的確な楽曲・奏法の解説とアドバイス、それに全曲の模範演奏を収録した厚手のソノシートが3枚(各ディスク両面に4曲ずつ)付いていた。タブ譜を頼りにギターを爪弾いてさらに驚く。なんと完全コピーだったのだ。たちまちこの本はぼくの仲間内で貸し借りされ、それぞれがフィンガーピッキング・ギターに初挑戦して、奏法をマスターするうち、豪華ハードカバーだったこの本はボロボロになり、ソノシートは傷だらけとなり、ついにはバラバラに分解して消失してしまったのだった。
前置きが長くなりました。この本を監修し、見事な模範演奏をしていたのが、小室等さん率いるP.P.M.フォロワーズ。その名の通り、ピーター・ポール&マリーの最良のコピーキャットとして、日本全国にその名を轟かせていたバンドだ。P.P.M.フォロワーズは翌67年に初アルバム『君はある日』を発表した。副題に“オリジナル・フォーク”とある通り、こちらは日本語のオリジナル曲集。とは言ってもヒット狙いのアルバムでなく、フォーク・グループとして新たなフェイズに取り組んだインテリジェントな作品だった。
さらに小室さんは68年、六文銭を結成して日本語によるフォーク・ソングの探究を続ける。米国フォーク・シーンを牽引したピート・シーガーは「自分の国の言葉で歌いなさい。たとえ聴く人には意味が通じなくても、いい歌なら感動は必ず伝わる」と言っている。おそらく、小室さんはシーガーの言葉を日本でいち早く実践した一人ではないかとぼくは思う。69年にはURCレコードから『六文銭/中川五郎』(2組のカップリング・アルバム)を発表した。70年だったか、六文銭が出演するオールナイト・ライブを観たことがある。小室さんの作ではないけれど、彼が歌った「比叡おろし」にはゾクっときた。ドメスティックな日本の詩情とフォークが融合すれば、こんな歌ができるのかと心を動かされた。
71年のファースト・ソロ・アルバム『私は月には行かないだろう』もよく聴いた。宇宙旅行はもう夢でないと浮かれるご時世に、詩人・大岡信による思慮深い教訓を伝えた表題曲、そしてその後も歌われ、これからも歌い継がれるであろう名曲「雨が空から降れば」(作詞は別役実)が収められていた。そして数多くのソロ作を発表する一方、六文銭は小室さん率いるフォーク・ユニットとして存続し、上條恒彦が「出発(たびだち)の歌」、及川恒平が「面影橋から」を歌う側には、小室さんがメンバーたちを優しくオーガナイズする姿があった。74年には吉田拓郎、井上陽水、泉谷しげるとともにフォーライフ・レコードを発足させ、その初代社長となって日本の音楽シーンの転換点を歴史に刻んだ。
小室さんの活動にはまだまだいくつも書き留めておくべきことが多いけれど、それには分厚い一冊の本ほどの紙幅が必要だろう。もう74歳になられたのか…。ときどきTVなどで優しいお顔を拝見すると、ほっこりすると同時に、陰、ひなたになりながら、日本のフォークのリーダーシップをとってこられた重みも感じる。今は亡きピート・シーガーと再会したような、温かいオーラが確かにある。
≪著者略歴≫
宇田和弘(うだ・かずひろ):1952年生まれ。音楽評論家、雑誌編集、青山学院大学非常勤講師、趣味のギター歴は半世紀超…といろんなことやってますが、早い話が年金生活者。60年代音楽を過剰摂取の末、蛇の道に。米国ルーツ系音楽が主な守備範囲。
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