2017年10月30日
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2017年10月30日
1975年10月30日、ボブ・ディランはマサチューセッツ州プリマスのウォー・メモリアム・オーディトリアムから新しいツ アー、ローリング・サンダー・レヴューをスタートさせた。 「さあ、田舎を回って、いっしょに音楽をやろう」ディランはいままでのツアーとはまったくちがう形式のツアーを創造したかった。
ローリング・サンダー・レヴューは、75年10月30日か ら12月8日までの第1期と、翌76年1月25日から5月25日まで の第2期に分かれておこなわれたが、重要なのは第1期だ。74 年にザ・バンドとおこなった8年ぶりの全米ツアーは、大成功 を収めたものの巨大ロック産業を形成する一面も担った。
ディランはそうしたショービジネスの歯車になることを嫌い、もっと自由に音楽を楽しめるツアーをやろうとしたのだろう。60年代のインタヴューで自分は「ソング・アンド・ダンスマ ン」と答えたボブは、かつて旅回りの一座が歌って踊って人々 と触れあったように、大がかりな告知もせずに小さな会場を回り、観客と一体となってその場で生まれる新しい演劇的な音楽 を創造したかったのだろう。ちなみに、ローリング・サンダー はアメリカン・ネイティヴのことばで「真実を語る」という意味もある。
ボブのアイデアに賛同するアーティストたちもこのツアーに加 わった。集まった仲間は、ジョーン・バエズ、ジャック・エリ オット、ロジャー・マッギン、アレン・ギンズバーグ、ミッ ク・ロンソン、ボビー・ニューワースなど。さらに日によって はジョニ・ミッチェルやパティ・スミスなども参加した。コン サートではディランのセットを中心に、多くのミュージシャン たちもそれぞれ歌った。
ほかにもこのツアーでボブは、コン サートだけでなく、同時に映画もつくることにした。のちに4 時間の大作映画『レナルド・アンド・クララ』として公開されることになるが、ステージのライヴ映像に加えてミュージシャ ンたちに役柄を与えて即興的な演技をフィルムに収めようと、サム・シェパードが脚本家として参加していた。
ノーベル文学賞を受賞したボブ・ディランは、ソングライ ター、レコーディングアーティスト、パフォーマー、映画監 督、画家/彫刻家など多方面で才能を発揮しているが、ライ ヴ・パフォーマーこそディランの真髄であり、ボブの魅力は 1988年以降、現在も続けているネヴァー・エンディング・ツ アーのステージにあるとぼくは思っている。その原点が、ロー リング・サンダー・レヴューだ。
この歴史的なツアーの模様は 2枚のライヴアルバム『ローリング・サンダー・レヴュー』と 『激しい雨』(ソニー・ミュージック)、サム・シェパード著 『ローリング・サンダー航海日誌』(河出文庫)、映画『レナ ルド・アンド・クララ』(残念ながらDVD発売はされてないが、YouTubeで探せば簡単に見られる)に残されている。
≪著者略歴≫
菅野ヘッケル(すがの・へっける):1947年生まれ。70年にICU(国際基督教大学)を卒業し、CBS・ソニーに入社。すぐに洋楽部に配属され、10年間ディラン担当ディレクターをつとめる。78年にはライヴアルバム『武道館』を制作。その後CBS・ソニー出版を経て86年に独立し、セヴンデイズを設立。74年にシカゴで初めてディランのコンサートを見て以来、現在までに270回以上見ている熱狂的ファン。現在もディラン関係の翻訳やライナーノーツの執筆など、ディランと関わる活動を続けている。主な訳書は『ボブ・ディラン自伝』。東京在住。
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