2015年12月19日
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2015年12月19日
1968年4月に公開されたタイガースの主演映画第1作『世界はボクらを待っている』は、グループ・サウンズ(GS)最盛期の幕開けとなった1月の日劇ウエスタン・カーニバルにおける必殺曲「君だけに愛を」の映像から始まってクライマックス・シーンには映画撮影を兼ねて開催した武道館コンサートの模様を取り込むなど、タイガースの実際の音楽活動と、特に女性ファンがイメージする星の王子様のような非日常的虚構を実に上手く合体したファンタジー・ミュージカル・コメディであり、現実から飛翔出来ない日本の歌謡映画のセンスを遥かに超えた境地に達していたと思う。
が、当のメンバーたちは、その荒唐無稽な部分を学芸会的で恥ずかしいと勘違いしたようで、そうした意見も取り入れたと言われる主演映画第2作は、音楽好きな地方の高校生が東京に出てプロとしてデビューするという等身大っぽい設定となった。
この前年にデビューしたタイガースは、地味めな「僕のマリー」に続くダンサブルな「シーサイド・バウンド」と、一転して優雅に迫る「モナリザの微笑」を連続ヒットさせ、1968年初頭の「君だけに愛を」で大ブレイク。
当時発足したばかりのオリコンでは、奇しくも同じ京都出身で、大半のメンバーの年齢も同じ、さらにレコード発売日までもが重なったフォーク・クルセイダーズのメガヒット「帰って来たヨッパライ」にトップを押さえられ続けて2位に甘んじたが、続く「花の首飾り」と「シー・シー・シー」は連続1位。
この年の後半にはメンバー初の自作曲も含むトータル・コンセプト・アルバム「ヒューマン・ルネッサンス」も創り上げるなど、まさに頂点に立った感があった。
このように充実した年の暮れに公開された当映画は、そうした実際のタイガースの大活躍に至るサクセス・ストーリーとはいえ、実はほとんど前史の部分で終わってしまっている。
もっとも、当時のTVなどはタイガースだらけなのだから、映画の続きは現実で、というコンセプトだったのかもしれない、と無理やり思い込んでみたりもするのだが、やはり今となってはチト物足りない。
最後に少しだけ映る、この夏に後楽園球場で開催されたコンサートの模様は、今では「タイガースDVDボックス」で長めに観れるようになったが、本物の象なども登場する大掛かりなものであり、同年末にローリング・ストーンズが行なうことになるスタジオでのTVショー「ロックン・ロール・サーカス」に先行した感もあるのだが。
ちなみに、当時のポスターなどはクリスマス・ムード濃厚なヴィジュアルだったが、それは公開時期に合わせたもので、内容には全く関係無し。
ともあれ、この1968年こそはタイガースに限らずGSブームが頂点を極めた年であり、GS主演映画も、タイガースの2本、芸達者なスパイダースは「大進撃」「大騒動」「バリ島珍道中」「にっぽん親不孝時代」の4本、ヴィレッジ・シンガーズの2本「思い出の指輪」「虹の中のレモン」と、その同じ斉藤耕一監督が撮った、関連するパープル・シャドウズ「小さなスナック」を題材とした1本、また今ではカルト映画としても知られる前田陽一監督の「進め!ジャガーズ 敵前上陸」が公開されたが、さらにGSがゲスト的に出演した映画も数多く、GS研究の第一人者だった故・黒沢進氏の調査によれば、この1年間だけで40本も!
TVとは違って、特に上記のGS主演映画は全部DVD化されており、リアルタイムの動くGSが見られるのはもちろん、レコード音源とは異なる別テイクや、中には映画でしか披露されていない曲もあるので、GSを「DVDで聴く」のも一興でしょう。
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