2015年05月22日

山口百恵の「ロックンロ-ル・ウィドウ」

執筆者:小貫信昭

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山口百恵の「ロックンロ-ル・ウィドウ」のシングル盤ジャケット。久しぶりに見たけど、実にカッコいい。ちなみにリリ-スは1980年の5月21日である。切り貼りでコラ-ジュが施されているあたり、明らかにパンクの流れを感じる。当時の彼女がお茶の間のセンタ-にいた国民的歌手だったことを思うと、このジャケットはつくづく大胆だ。イラストというのも彼女としては珍しい試み。そしてもちろん歌も演奏も一級品だ。彼女は一般にロック歌手とはカテゴライズされないけど、この曲はガ-ルズ・ロックの名曲としてのちのちまで記憶されていくことだろう。


ただ、なかにはおっちょこちょいもいて、「結婚前から百恵ちゃん、後家さんのウタなんか歌っちゃって」と、そう勘違いした人もいたみたいだ。しかしこの場合のウィドウ(widow)とは、「ゴルフウィドウ(golf widow)」といった言葉をヒントに言い換えたものと推測される。実際、歌を聴いてみると、ダンナ(彼氏でも可)がロックンロ-ルにうつつを抜かし、自分を蔑ろにしていることへの不平不満を綴った内容になっている。
単に不満を綴っただけじゃなく、ロックンロ-ル好きの男性諸君の痛いところも突いてる。「そ、それ言われちゃったらさぁ。“♪かっこばかり さきばしり”って、確かにそうだけどよぉ、でもロックンロ-ラ-、カッコつけなかったら何やりゃあいいのよ!?」。皮ジャンの匂いとともに、どこかからそんなボヤキが聞こえてきそうである。


さて、A面の話はここまで。実は今回、僕が書きたかったのはむしろB面なのだ。それは「アポカリプス・ラブ」という作品である(この時代の百恵ちゃんと言えば、詞は阿木燿子さん、曲は宇崎竜童さん)。このシングル盤を手にした時、“アポカリプス”って何のことだか、さっぱり分からなかった。しかもこの歌詞、いきなり1行目はこう始まる。

“♪あおざめたうまをみよ”

衝撃だった。「青い果実」の“♪あ-なた-がのぞむなら-”も衝撃だったが、別の衝撃だ。精一杯反応するにしても「こんなタイトルの小説が、確かあったよな…」、くらい。で、歌詞カ-ドの途中に注釈があって、この歌は「ヨハネ黙示録」からの引用を適宜織り込みながら綴られていることが分かった。でもそう言われても困った。「ヨハネ黙示録」という言葉は知っていたが、具体的な内容は把握してないわけだ。で、くどいようだけど、そもそも表題の“アポカリプス・ラブ”とはなんなのか?


あれからうん十年経って、やっと今回調べてみることにした。すると“アポカリプス”(“アポカリュプシス”と表記することもあるらしい)が、つまりギリシャ語で「黙示」という意味のようなのだ。そして黙示は即ち、覆いを外してすべてを明らかにすること…。このあたりを踏まえて再び歌を聴いてみると、この恋は、もはや抗うことも適わず終りを遂げるのだ…、ということを伝える内容なのだと分る。つまり覆いがはずされたことで露わになったのが、そんな運命であったのだ。舞台は歌詞にもあるように、メソポタミアの古代都市バビロン。悠久の時を越え伝えられた、若き男女の悲恋…。阿木燿子さんのこの実験的な歌詞は、当時の山口百恵だったからこそ実現した気がする。


“アポカリプス・ラブ”じゃわかんなかったよ-。そういうことなら早く言ってよ-。今にしてみたら、そうも思うわけだ。しかし初めて接したあの頃、僕はこの歌を、意味不明ながらも歓迎してもいた。これはこれで、体のどこかが気持ちよかった。 1980年前後の若者の文化状況として「難解なものって気持ちいい」というのは確かにあった。いまでも難解なもの、難解だらけになっちゃうと目眩を起すけれど、時々適宜に難解であるなら大歓迎だ。滅茶苦茶は一秒たりともイヤだ。“難解”と“滅茶苦茶”は似てるようで大違いなのだ。

「ロックンロ-ル・ウィドウ」山口百恵 写真提供:ソニー・ミュージックダイレクト

ソニーミュージック 山口百恵公式サイトはこちら>

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