2015年12月13日
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2015年12月13日
今から48年前の今日1967年12月13日は、東京・大手町サンケイホールで『ザ・タイガース・チャリティー・ショー』が開催された日。主催は渡辺プロダクション、後援・朝日新聞東京厚生事業団。ある身障者の女性ファン(19歳)から送られてきたファンレターがきっかけで企画されたコンサートだった。
当時タイガースは、「シーサイド・バウンド」「僕のマリー」の連続ヒットで大ブレイク後、まだシングル発売前の新曲「君だけに愛を」をライヴやTVで披露。ジュリーの<指差しポーズ>がファンたちを熱狂させ、まさに破竹の勢いで先輩のスパイダースやブルー・コメッツを追い抜き、名実共にGSの頂点に君臨していた。
一方で、このチャリティー・ショーのひと月前の11月5日には、奈良あやめ池の5千人収容野外ステージで行なわれたタイガース・ショーに約1万人の観客が押し寄せたため、将棋倒しとなったファン20数名が重軽傷を負うという事故が発生。これを機に、熱狂的なGSブームに眉をひそめていた世の<良識派>たちによるGSバッシングがメディア等で開始される。ロカビリー・ブーム、エレキ・ブームの昔から繰り返される社会現象化した音楽ムーヴメントの宿命と言えるだろう。
その矢表に立たされたのがGSの象徴ともいうべきタイガースで、すでに収録を終えていたNHK『歌のグランドショー』の出演シーンは削除され、内定していた『紅白歌合戦』出場も白紙撤回。確実視されていたレコード大賞新人賞にはノミネートすらされなかった(大賞はブルー・コメッツ「ブルー・シャトウ」)。そして<みなさまの>NHKは、<公序良俗に反する>という理由でタイガースをはじめとする長髪系GSすべてを番組から締め出したのである。
こうした世間のバッシングをかわすイメージ回復のための慈善公演という意図も主催者側にはあったのかもしれない。しかし、もはや時代の寵児たるタイガースにそんな小細工など必要なかった。平日(水曜日)夜にも関わらず収容人員限界の1700人を超すファンで埋め尽くされた会場は、オープニング曲からラストまで文字どおり熱狂と興奮の渦に包まれたのである。
当日のセットリストは下記のとおり。
【第一部】
01.サティスファクション
02.ラスト・タイム
03.マイ・ガール
04.ニューヨーク炭鉱の悲劇
05.オーケイ!
06.ロング・ロング・ホワイル
07.ブルー・シャトウ
08.ビートルズ・メドレー(ミッシェル~ガール~アンド・アイラヴ・ハー~イエスタデイ)
09.タイム・イズ・オン・マイ・サイド
10.ジャスティン
11.タイガースのテーマ(モンキーズのテーマ)
【第二部】
01.ダンス天国~ラララ
02.マイ・ジェネレーション
03.ホリデイ
04.アンダー・マイ・サム
05.僕のマリー
06.シーサイド・バウンド
07.モナリザの微笑
08.落葉の物語
09.君だけに愛を
10.ストーンズ・メドレー(エヴリバディ・ニーズ・サムバディ~ペイン・イン・マイ・ハート~アイム・オールライト)
11.アイ・アンダースタンド~きよしこの夜
リストの中で、ローリング・ストーンズ66年のヒット・シングル「黒くぬれ!」のB面曲「ロング・ロング・ホワイル」という怖ろしくマニアックな選曲が異彩を放っているが、おそらく、先輩バンドのレパートリーと被ってはならないという不文律があった『ナンバ一番』時代からのステージ・レパートリーなのだろう。先輩リンド&リンダースが「黒くぬれ!」を演っているので、仕方なくB面曲を選んだということか。
同じく先輩バンドのブルー・コメッツの大ヒット曲「ブルー・コメッツ」を取り上げているが、これは『象印スターものまね大合戦』(テレビ朝日系)に出場したタイガースがブルコメに扮してこの曲を演奏。見事優勝して賞品のヨーロッパ旅行を獲得したことに由来する。残念ながら超売れっ子の過密スケジュール故にこのヨーロッパ旅行が実現することはなかったが…。
コンサートの模様はライヴ・レコーディングされ、翌68年2月にアポロンよりオープンリール、カセット、8トラックの3種類のテープ作品としてリリース。テープのみの販売ということもあって、熱心なファン以外にはほとんどその存在も知られぬまま、いつしか市場から消えてしまった。長年タイガース・マニア垂涎のお宝アイテムだったが、2000年6月にリリースされたCD12枚組『ザ・タイガース・パーフェクトCD BOX~ミレニアム・エディション』で初CD化が実現している。
また、第二部の模様は録画され、3日後の12月16日(土)午後4時からフジテレビで放送。その中継料収入やプログラムの売り上げを含めてこの日の純利益は約50万円に及び、事業団を通して全国の慈善団体・施設等に寄付されている。2013年11月にリリースされた『ザ・タイガース フォーエヴァーDVD BOX –LIVE & MORE-』では、当時『スポニチ芸能ニュース』で放映されたこのコンサートの模様をほんの少しだけ観ることができる。
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