2015年12月01日
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2015年12月01日
1967年6月1日にリリースされたビートルズのアルバム『サージェント・ペッパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』は、アルバムをシングルとは異なる性格のメディアとして捉え、アルバム全体を通してひとつのテーマを表現する所謂<トータル・コンセプト・アルバム>の先駆けとして、それまでシングル曲+カヴァー曲、もしくはオリジナル新曲といった構成のアルバム作りが大半だったポピュラー音楽シーンにちょっとした<革命>を巻き起こした。
ビートルズに続けとばかりに67年~68年にかけて、ローリング・ストーンズ、ビーチ・ボーイズ、キンクス、フー、スモール・フェイセス、ジェファーソン・エアプレイン等が続々とコンセプト・アルバム形式の作品を発表。日本でもブルー・コメッツ『ヨーロッパのブルー・コメッツ』(68年2月)、フォーク・クルセダーズ『紀元貳阡年』(68年7月)、スパイダース『明治百年、すぱいだーす七年』(68年10月)といった同傾向のアルバムがリリースされている。
そんな状況の中、マネージャーの中井國二をはじめとするザ・タイガース制作スタッフ陣の間で、デビュー・アルバムがライヴ盤、2ndアルバムが主演映画のサントラ盤(実際に映画の音源は1曲も収録されていなかったが…)だったタイガース初の本格的スタジオ録音オリジナル・アルバムとなる3作目をコンセプト・アルバム仕立て作品にする案が浮上。1968年6月18日、東京・有楽町の渡辺プロダクション本社で行なわれたスタッフ陣とメンバーたちのミーティングで、「ポンペイ最後の日」や旧約聖書に題材を求め人類の誕生から世界の終末と復興までを描くという壮大なテーマが決定した。
このミーティングで、新作アルバムの作家陣には、従来の橋本淳(作曲)&すぎやまこういち(作曲)コンビ一辺倒ではなく、タイガースのライバル、テンプターズに「エメラルドの伝説」を作曲した村井邦彦や「花の首飾り」の補作詞を手がけたなかにし礼など、新進気鋭の作家たちを起用。メンバーの森本太郎と加橋かつみも自作曲を提供することになった。
これまでタイガース作品でメンバーが作詞や作曲を手がけたことは一度もなかったが、加橋は以前からソングライティングに意欲を燃やしており、度々『週刊ティーンルック』誌上で自作の詩を披露しているし、森本も公式に発表することはなかったが、作曲の真似ごとや詩を書いたりはしていた。彼らが作家陣に抜擢の理由はそれだろう。アルバムを構成する各トラックを「光」「誕生」「初恋」「平和」「戦争」…等のテーマに分けて楽曲作りが行なわれた中で、両者は「初恋」「失恋」を担当。こうして出来上がったのが加橋の「730日目の朝」(初恋)と森本の「青い鳥」(失恋)だったのである。
「730日目の朝」は1968年8月8日、「青い鳥」は同年9月19日にレコーディングされ、当時タイガースと同じ日本グラモフォンから日本盤がリリースされていたヴァニラ・ファッジの3rdアルバム『ルネッサンス』からヒントを得たと思われる『ヒューマン・ルネッサンス』と名付けられた新作アルバムに無事収録。11月25日(実際は当初告知された発売日より遅れたため11月30日、12月1日の諸説ある)にリリースされた。
タイガースのメンバーのオリジナル作品が初めてレコード化された記念すべき2曲だが、外部作家たちが提供した他の収録曲と並べて聴いても何の遜色もないもグレードの高い作品だった。当然、制作陣の間では当初からシングル・カットを目論んでいたようで、『ヒューマン・ルネッサンス』制作時の10月14日に「青い鳥」のシングル用再レコーディングが行なわれている。そして、この日一緒にレコーディングされた橋本淳&すぎやまこういちコンビ提供の最後のタイガース作品「ジンジン・バンバン」とのカップリングで、今から47年前の今日1968年12月1日にタイガース8作目のシングルとしてリリース。オリコン4位まで上るヒットとなったのである。
シングル・ヴァージョンの「青い鳥」はオーケストラ・サウンドが主体だったアルバム・ヴァージョンとは趣が変わり、従来のタイガースのシングルのようなバンドと管弦楽器のアンサンブル感に近かった。沢田研二と森本太郎のデュオもシングルでは沢田のパートを前面に出したミックスが施され、アルバムでは森本のソロだったサビの「青い鳥~青い鳥~♪」という部分も沢田のソロに切り替えられていた。この件に関して沢田は不満だったらしく、後年のインタビューで「太郎のソロを僕が奪ってしまったようで、太郎にも太郎のファンにも申し訳ない気持ちでいっぱいだった」と当時の心境を語っている。
「青い鳥」に関する興味深いエピソードがある。2008年9月に中井國二氏と森本太郎氏を招いたトークショーがあって筆者が司会を担当したのだが、その席上、中井氏が「<青い鳥>は太郎がタイガースのデビュー前に書いていた」と発言したのだ。森本氏は「いや、そんなことはない。『ヒューマン・ルネッサンス』のミーティングで依頼されてから書いた」と反論。中井氏も「絶対、デビュー前だ」と譲らない。
結局、中井氏の記憶違いではないかということで話は収まったのだが、2年前ぐらいにネットで元リンド&リンダースのメンバー(名前を失念!)による「ファニーズ時代の森本太郎が<青い鳥>という自作の詩を見せてくれて、それに自分が曲を付けてリンド&リンダースが『ナンバ一番』のステージで演奏した」という証言を発見。のちにタイガース版で世に出たものとほぼ同じ歌詞で、曲違いの「青い鳥」が1966年に存在していたというのである。
中井氏が話していた<タイガースのデビュー前>というのは、ファニーズ獲得のため『ナンバ一番』に足蹴く通っていた時期で、その頃、彼は「青い鳥」の存在を知ったということか? すでに故人となられた氏に真相を伺うわけにもいかず、またひとつタイガースの謎が増えた…。
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