2016年01月26日
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2016年01月26日
子役時代から活躍していたため、既に50年を超える長いキャリアを持つ小川知子は1月26日が誕生日。広島に生まれ、東京で育った彼女が児童劇団に入ったのは小学五年生の時であったという。1960年にドラマ『ママちょっと来て』でデビューして仕事をこなすうち、65年にスカウトされて東映に入社。同期に大原麗子がいた。『悪魔のようなすてきな奴』でスクリーンデビューも果たすが、実際に彼女の名が全国区となるのは、やはり歌手になってからであろう
高校卒業後すぐに出演した『大奥㊙物語』で新人賞を受賞し、『続・大奥㊙物語』では主演に抜擢されるも、当時の東映のエログロ路線に思春期の彼女が抵抗を示したのは仕方なかったかもしれない。結局自ら申し出て契約を解除することとなり、1968年に東芝から「ゆうべの秘密」で正式に歌手デビューしてマスコミを賑わせた。“正式に”というのは、実はレコードはこれが初めてではなく、東映に入って2年目の1966年、TBSの音楽バラエティ番組『ビクター夢のスタジオ』で共に司会を務めていた久保浩とのデュエット「恋旅行」を歌ってビクターでプレデビューしていたからである。ヒットこそしなかったが、アメリアッチのリズムに乗せた佳曲で、B面の「この胸のときめきを」ではソロもとっている。
改めてのスタートとなった「ゆうべの秘密」は68年2月1日に東芝音楽工業から発売され、3月にはチャート1位を獲得。最終的に50万枚超の売り上げで年間8位を記録する大ヒットとなった。この曲のベースとなったのが、前年に伊東ゆかりが歌ったヒット曲「小指の想い出」であろうことは想像に難くない。詞の内容や曲調、全体の雰囲気もよく似ており、小川のちょっと甘えるようなボーカルが男性ファンの心を捉えた。レコーディングの際に発熱していたためにより吐息混じりの魅力的な歌声になったという噂も。作曲の中洲朗は岡崎友紀らを擁していた事務所の社長・長沢ローのペンネームだが、この曲に関しては、所属歌手のひとりであった千葉マリアの作だという説もある。チャートでは伊東ゆかりの「恋のしずく」と1位を競い合い、女性ポップス・シンガーの隆盛に大きく貢献した。東芝レコードで既に活躍していた奥村チヨ、黛ジュンと“東芝3人娘”として括られることもある。
続いて4枚目の「初恋のひと」も大きなヒットとなる。69年1月に発売。その翌月に恋人だったカーレーサーの福澤幸雄が事故死してしまったのは彼女にとってあまりに辛い出来事であったと思われる。直後に出演したフジテレビ『夜のヒットスタジオ』では歌の途中に泣き崩れるシーンがあり、大きな話題となった。“コンピューターの恋人選び”というコーナーで、恋仲が噂されていた森進一が登場したことで嗚咽して歌えなくなったいしだあゆみのケースと併せて、同番組が“泣きのヒットスタジオ”などと呼ばれる要因となったわけだが、それはまた別の話。「初恋のひと」が、それこそ「小指の想い出」の有馬三恵子=鈴木淳(当時は夫婦)コンビによる作品に至ったのも実に興味深いところだ。
70年代後半からは女優業へとシフトする中、ドラマ『金曜日の妻たちへ』での好演が評価されていた84年、久々に出されたシングル「忘れていいの」がヒットして、歌手としても健在であることを示した。カラオケでも人気のあるご存知のナンバーは、谷村新司とのデュエットで、曲の終盤で小川の胸元に谷村が手を滑り込ませるPVの演出がよく知られており、そもそもは小川の提案であったというが、自分が思っていた以上に谷村の手が入り込んできてちょっと困惑したと、後日小川が笑いながら語るのを聞いたことがある。ドラマのファンだったという谷村からのオファーで実現したレコーディングとのことで、小川のディスコグラフィーをさらに豊かなものとした名曲にめぐり逢えたことは幸福であったと思う。歌手時代の絶頂期に出演した『巨泉×前武 ゲバゲバ90分!』でのチャーミングなコメディエンヌぶりも印象的。最近のトーク番組では、一度も銀行に行ったことがないとか、夢は宇宙飛行士などというネタが暴露されており、元祖・天然キャラなのかもしれない。
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