2015年08月03日

大原麗子によるカルトな名曲「ピーコック・ベイビー」

執筆者:丸芽志悟

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2009年の本日8月3日、昭和を代表する女優の一人、大原麗子がこの世を去ってから、早くも6年になる(享年62歳)。音楽ファンにとっての大原麗子のイメージといえば、森進一の最初の奥さんという事実や、脂が乗ってきた1978年にリリースされたアダルトな女性の魅力満載のアルバム「愛のつづれ織り」以上に、この一枚のシングルに集約されているのではないだろうか。1968年(昭和43年・明治100年)3月、ひっそりとリリースされた初めてのレコード「ピーコック・ベイビー」がそれだ。



筆者は1980年代末期、昭和の「ロスト・ジェムズ」を追い求めるようになるはるか前に、蒲田の中古レコード店で「壁アイテム」として掲示されていたのを見て、このレコードを初めて認識した。その時は確かまだ5桁価格に達していなかったと記憶しているが、あの大原麗子がこんなレコードをという驚き、しかもどサイケなレタリングと鮮烈な衣装(二つ折りジャケットのため、上半身しか拝めなかったが)に目が点になり、同行した女優レコードとファンク好きのT氏共々衝撃を受けたものだ。
その後、1994年には、コモエスタ八重樫選曲による同名コンピレーション・アルバムで初CD化され、 一部好事家の注目を集めることになる(蛇足ながらこの「Japanese 70s Bomb」シリーズ、ビクターと東芝編以外の企画が流れたのが残念でしょうがない)。その後も筆者監修協力による「60sビート・ガールズ・コレクション」や、英国AceレーベルよりリリースされたGS時代の女性歌手のコンピ「Nippon Girls」など、コンピレーションへの再収録が度々行われている。


さて本題。A面「ピーコック・ベイビー」は、小林亜星作曲によるグルーヴィかつジャジーな逸品。流行のサイケイメージに縋りつこうとしながらも、どうしても保守性を捨て切れなかった当時のビクターにしては、かなりの冒険作と呼んでいいのではないだろうか。後の「寺内貫太郎一家」への出演以降、頑固オヤジ的印象を世間に浸透させることになる亜星氏であるが、サイケ時代の作品にはレナウンCMソング「イエ・イエ」や、モッドそのものと言える「ひみつのアッコちゃん」EDテーマ「すきすきソング」等があり、実はかなりヒップな作曲家の一人。同時期、日本グラモフォン/ポリドールに所属していたGS、ザ・ピーコックスのシングルB面に「恋のピーコック」を提供もしており、その姉妹作と捉えることもできる。「ピーコック・ベイビー」には、そのピーコックスではなく、同じ ポリドール所属のGSだったザ・ルビーズがコーラスのみで参加している。単なるお囃子という印象で、ラスト近くではメンバーの一人が歌い間違うというアクシデントが発生しているが、黙認されているのがまた可笑しい。そして、当時既に21歳になっていた麗子嬢の、カリスマ性を全く感じさせないコケティッシュな歌声。全くギミックはないものの、その天然さがジャケットの華麗さとコントラストを成していて、誠にサイケ。東大寺千弘による歌詞も、ヤボな朝日が出てきても踊り続けようというくだりが実にやさぐれていて魅力的。
B面は山口あかり作詞による哀愁のGS歌謡「顔を見ないで」。こちらは地味ながらまっとうなアイドル歌唱が聞ける佳曲。一部ボーカルを二重録音しておきながら、ギターソロが中途半端に終わっているのがいかにもB面ソングといった感がある。


GS時代にはシングル一枚、しかもノンヒットで終わった大原麗子だが、東映の女優としては「網走番外地」シリーズを筆頭に、お色気・任侠マドンナ要員として一気に勢いを加速していた時期であり、この一枚の持つ輝きは年々貴重度を増すばかりである。この曲をカバーしたキノコホテルも、当然リスペクト100%で臨んでいるので許してあげてね、天国にいる麗子さん。
大原麗子

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