2015年11月12日
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2015年11月12日
本日11月12日は、由美かおるが「奇跡の65歳」を迎える日。今でも都会を離れると思いがけず目にすることが多い「アース渦巻」の広告ボードとか、1986年から出演した「水戸黄門」で度々披露される入浴シーン、さらに恩師・西野皓三氏の提唱による美容メソッドの啓蒙者としての活動など、キラーコンテンツを多数擁する彼女であるが、その初期活動を避けて通ることはできない。そう、元祖アイドルガールズユニットというべき、あの「レ・ガールズ四人娘」の一員としての。
宝塚歌劇団出身の西野皓三氏により、1953年に旗揚げされた西野バレエ団は、文字どおり芸術的な側面からのモダンバレエの普及に尽くしていたが、61年公開された米国のミュージカル映画「ウエストサイド物語」の衝撃、さらにテレビの普及の影響で急激に洗練度を増していた日本のエンタテインメント界に対応するように、67年8月大勝負に打って出る。それ以前にも日活や松竹で女優活動に進出していた由美かおる、金井克子、奈美悦子、原田糸子をメインユニットに据え、音楽バラエティー番組「レ・ガールズ」の主役に配したのだ。これが見事に大当たり。後に第5の女にして悲劇のヒロイン・江美早苗を加え、昭和元禄期をレ・ガールズ旋風が駆け抜けた。
同番組の放映開始に半年先駆け、アイドルとして中心的存在だった当時16歳の由美かおるは、日本クラウンから「みんなあげましょう」でレコードデビュー。このレコード会社の選択が実に興味深い。
今でこそ、現存するメジャーレーベルの中では泥臭い存在と言えるクラウンだが、当時はまだ発足して4年目、怖いもの知らずの新進メーカーだった。だからこそすでに65年、日本のオリジナルロック第1号というべきザ・スパイダース「フリ・フリ」を世に送り出し、GSの先鞭をつけることができたのだ。ここで由美かおるを得たことにより、西郷輝彦や美樹克彦で実績を上げた「青春歌謡王国」にフレッシュな女の子を迎え入れ、従来のほのぼのとした青春歌謡と一線を画すキュートな持ち味に、バレエ仕込みの洗練された躍動感を加えた、GS時代に対応可能なニュー青春歌謡へと道を開いたのである。そのデビュー曲の作曲者には、「バラが咲いた」「夕陽が泣いている」などを手掛け、和製ポップスの担い手と言われた浜口庫之助が起用された。期待したほどのヒットにはならなかったものの、今振り返ってみると、いずれ到来するアイドルポップ革命を予感させる画期的な楽曲だったと思う。
以後、クラウンからはクリスマス商品も含め、計12枚のシングルをリリース。「レ・ガールズ」放映開始とほぼ時を同じくして発売された3枚目の「いたずらっぽい目」が最大のヒットとされているが、オリコン調査開始寸前にヒットのピークを迎えた為、チャートに記録が残っていない。その後の9枚はことごとくチャート入りを逃してしまい、タレントとしての人気にレコードの売り上げが比例しなかったのが、当時ならではのジレンマだったのである。
他のポップス系歌手やGSのものにも言えるが、67年〜69年にクラウンがリリースしたシングル盤のジャケットの気合の入り方は只者ではなく、色使いの派手さは他社を遥かに凌ぐ上、二つ折りのものも数多い。AB面に別々の写真をフィーチャーしたものに限らず、広げると全身像になる工夫も、「みんなあげましょう」で早々と実践されていたのである。よって、中古レコード店に出回る頻度も極端に低いのだ。由美かおるに関しても、特にポップス系の「PW品番」で発売された後期の6枚は、ヒットしなかった故希少度が高く、コレクター市場でかなりの人気を獲得している。音楽的には、その前のGS風味溢れる6枚目のシングル「だけど好きなの」が最も注目すべきものであるが。
71年にはフィリップスにレコード会社を移籍。20代前半にしては思い切り良すぎと言える、清楚かつ豊満なお色気を漂わせた女優活動に迎合するように、発表するレコードにもアダルトな魅力が溢れるようになったが、唯一異色と言えるのが、74年に出したノベルティ・ソング「ジャンポ!/ドン・ズバ」である。特に思わせぶりな歌詞を持つB面は、近年カルトクラシックとして再浮上し、もしかしたらクラウン時代の曲以上に知名度が高いかもしれない。その後80年に至るまでミノルフォン、コロムビアで時折レコードをリリースしながら、本格女優として成熟を積み重ねている。なのに肉体的には全く老いを感じさせない、生きる奇跡そのものだ。
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