2015年05月25日

平山三紀「真夏の出来事」

執筆者:榊ひろと

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この曲の発売日が5月25日だったと再認識して、そんなに早い時期のリリースだったのだと改めて驚かされた。当時の歌謡界のスピード感を考えれば妥当なところなのかもしれないが、“真夏”と謳っているのに梅雨入り前の5月末というのは、デビュー2作目の平山三紀の認知度では浸透に時間がかかるという読みもあったのだろう。さらに言えば男女の別れを暗示する歌詞の内容が、晩夏のような寂寥感を漂わせていることも見逃せない。実際のところエンディングの英語セリフでは“BUT WE’RE PART NOW”と名言、これが副題ともなっている。


じわじわ型でヒットを狙うというスタンスは曲調にも現れている。印象的なベースのフレーズを核としたリズム・パターンが淡々と繰り返され(サビは少し派手になるが)、そこに乗ってイントロやAメロが展開されていく言わばモータウン的な手法は極めて画期的。同時期の筒美京平作品である南沙織「17才」の鮮烈さや尾崎紀世彦「また逢う日まで」のインパクトには及ばないが、歌メロとアレンジを一体的に発想する“筒美サウンド”の初期における完成型のひとつと言っていいだろう。


当時としては取り立てて速くも遅くもないBPMながら約4分20秒にも及ぶというテンポ感も絶妙。そのためか間奏はAメロともサビとも違うコードとフレーズで簡潔に纏められていて、そのあたりの場面転換も効果的だ。4年後のソニーにおける再録バージョンではほんの少しだけテンポアップされている。作詞の橋本淳によると歌の舞台は三浦半島の油壺かいわいということだが、この湘南でも房総でもない都心から近いようで遠い距離感も“最後のロングドライヴ”に最適という気がする。


息の長さという点では歌手・平山三紀(みき)と作曲家・筒美京平との40年以上にも及ぶコラボレーションも驚異的である。デビュー当時には橋本=筒美コンビの秘蔵っ子として、楽曲制作/育成/プロデュースはもちろんのことマネジメント的な部分まで担っていたという。特に筒美は他の作詞家とのコンビも含めて70~80年代に大量の楽曲を彼女に提供、その濃密さと気合いの入り方は初期のロールモデルであったバート・バカラックとディオンヌ・ワーウィックの関係をも凌駕しているのではないか。


1997年のCDセット『筒美京平HITSTORY』を契機として野口五郎、郷ひろみ、太田裕美、岩崎宏美といった古くからの“筒美系”歌手がミレニアムの前後に相次いで久々の楽曲提供を受けたが、00年代・10年代と続いて新作を歌ったのは平山みきだけである。しかもその中にはライヴのみで披露された書き下ろし曲まで含まれているという。


平山三紀

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