2015年08月20日

エレキ・バンドからGSへ…我が国ポピュラー音楽の潮流を変えたエポック・メイキングな作品。寺内タケシとブルー・ジーンズ「ユア・ベイビー」

執筆者:中村俊夫

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今からちょうど50年前(1965年)の今日8月20日は、寺内タケシとブルー・ジーンズのグループ名義としては6枚目のシングルとなる「ユア・ベイビー」がリリースされた日。1962年に結成以来、インストルメンタル・コンボとして活躍し、63年以降はエレキ・ギターを主体とした所謂エレキ・インスト・バンドの先駆けとなった彼らにとって、このシングルは画期的な一枚であると同時に、我が国のポピュラー音楽史においてもエポック・メイキングとなった作品だった。それは、この曲がブルー・ジーンズ初のメンバーによるヴォーカル&コーラスがフィーチャーされた自作自演曲だったからである。


「ユア・ベイビー」誕生の伏線となったのは、その前年64年9月16~27日に後楽園アイスパレスで開催された『世界サーフィン・パレード』で、来日した英国のバンド「リヴァプール・ファイヴ」(日本側プロモーターが勝手に「リヴァプール・ビートルズ」と名付けていた)とブルー・ジーンズが競演した時。リヴァプール・ファイヴが持ち込んだ今まで見たことも無い機種のアンプ、マイクなど機材の数々はもちろんのこと、初めて生で体験する本場の音のパワーと衝撃に圧倒された寺内タケシとメンバーの加瀬邦彦は、日本と英国のバンドの力量差をまざまざと見せつけられただけでなく、すでにビートルズのレコードを通して薄々感じていた、バンドのメンバーたちが演奏しながらヴォーカルとコーラスも手がけるという音楽スタイルの新鮮さを改めて実感。時代はすでにエレキ・インスト・バンドの時代ではなく、ヴォーカル&インストゥルメンタル・グループの時代に移行していることを悟ったのである。


さっそくブルー・ジーンズは提携していたヤマハにヴォーカル・アンプ、エコー・チェンバー、エレクトリック・ピアノ、そしてメンバーの人数分のマイクとマイク・スタンド等を発注。ステージ・レパートリーもビートルズやデイヴ・クラーク・ファイヴの歌ものを増やし、徐々にヴォーカル&インストゥルメンタル・グループとしての体裁を整えていく。そのうちビートルズのように自作自演のオリジナル曲を作ろうということになり、加瀬邦彦が作曲を手がけることに。彼はこれまでインスト作品を作曲したことは何度かあるが、歌ものは初めてだった。、作詞は加瀬のリクエストで同じ渡辺プロダクションの園まりや中尾ミエに歌詞を提供していた安井かずみに白羽の矢が立った。こうして出来上がったのが「ユア・ベイビー」で、加瀬(2ndギター)と岡本和夫(リズム・ギター)がユニゾンでリード・ヴォーカルを、寺内(リード・ギター)、石橋志郎(ベース)、鈴木八郎(キーボード)がコーラスを担当するという、過去のブルー・ジーンズには無いスタイルの作品であった。


ヴォーカル&インストゥルメンタル・グループによる自作自演曲といえば、ブルー・ジーンズより3カ月早くスパイダースが「フリフリ」をリリースしているが、終始パンク的な勢いを重視した怒涛のサウンドで突っ走る「フリフリ」と比べ、「ユア・ベイビー」はヴォーカルとコーラスのレスポンスなど、“歌もの”作品としての工夫に重点を置いている。いずれにせよ、この2曲がのちにグループ・サウンズ(GS)と呼ばれる音楽スタイルの源流となったことは間違いない。さらにフジテレビ『ザ・ヒットパレード』のチャート(視聴者の投票による)でも初登場18位という好調ぶりを見せていることに注目していたブルー・コメッツの井上忠夫(のちに大輔)は一念発起し「青い瞳」を書き上げ、66年3月にリリース。その前月にリリースされたスパイダースの「ノー・ノー・ボーイ」(かまやつひろし作曲)を加えたこれら4曲によってGSの時代の幕が切って落とされたのである。


そんな時代の潮目を早くに読み取り、ブルー・ジーンズという老舗看板を背負っていては来たるべき時代に対応できないと察した寺内と加瀬は早々とブルー・ジーンズを脱退。それぞれ新グループを結成する。寺内がいくつかのバンドからピックアップしたメンバーで編成したバニーズ、加瀬がアマチュアたちを集めたワイルド・ワンズである。


「ユア・ベイビー」を書いて音楽シーンの新しい潮流を築く先駆者のひとりとなった加瀬だったが、自分の新グループ、ワイルド・ワンズのレコード・デビューの段階で、その「ユア・ベイビー」に苦しめられることになる。デビュー曲として加瀬が用意した新曲「想い出の渚」を東芝レコードの制作担当者が気に入らず、過去に実績のある「ユア・ベイビー」のリメイクを提案してきたのだ。“安全パイ”でヒットの保険をかけたのであろう。しかし、それは加瀬にとって二番煎じでしかなく、何よりも自分が描いた新グループの音楽性とも異なるものだった。当然納得できるわけがなく、制作担当者と喧々諤々の言い争いとなり、最後は「想い出の渚」でなければ東芝からのデビューは辞めると加瀬が啖呵を切るまでにエスカレートする騒ぎとなった。結局、東芝側が折れて「ユア・ベイビー」は「想い出の渚」のB面に収録されることでケリがつく。


それにしても、加瀬の捨て身の抵抗が無ければ、ワイルド・ワンズは「ユア・ベイビー」でデビューしていたわけで、そうなるとたしかに加瀬が懸念する二番煎じ感は否めないし、果たして発売後10日間で10万枚を売った「想い出の渚」と同等のセールスを記録出来ただろうか? そして、名付け親である加山雄三の「湘南サウンド」後継バンドとしての“潮の香り”的イメージを一般大衆にまで浸透させることが出来ただろうか? いささか疑問ではある。しかし、この「ユア・ベイビー」こそが、ソングライター加瀬邦彦の輝かしいキャリアの第一歩であることには間違いないのだ。

寺内タケシとブルー・ジーンズ

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