2015年09月20日

あの解散宣言の2ヶ月後にリリースされたキャンディーズ「アン・ドゥ・トロワ」

執筆者:馬飼野元宏

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今から38年前、1977年の今日9月21日に、キャンディーズの15枚目のシングル「アン・ドゥ・トロワ」が発売された。


その約2ヶ月前の7月17日、日比谷野外音楽堂でのコンサート中に、メンバーの口から突然の解散宣言が発せられた。「私たち、この9月で解散します」という衝撃のひと言。「アン・ドゥ・トロワ」はその騒動のさ中にリリースされたシングルであった。


作詞は喜多条忠、作曲は吉田拓郎。このコンビは前々作の「やさしい悪魔」に続いて二度目の起用となる。Aメロの歌い出しや「人は誰でも一度だけ~」の部分が典型的な拓郎節で、起伏が大きいが下降旋律を多用したメロディーが、秋らしくしっとりした色彩を与えている。馬飼野康二のアレンジもマンドリン、ハープシコードといった楽器を効果的に用いて、ことにアコーディオンのノスタルジックな響きが印象深い。サビで重なる3人のハーモニーの美しさも特筆すべき点で、B面のカーペンターズ(オリジナルはスティーヴ・イートン)のカヴァー「ふたりのラヴ・ソング」でのミキ(藤村美樹)のアダルトな歌唱法も含め、大人のキャンディーズを打ち出した、彼女たちにとっての新機軸といえる。だが、解散騒動の余波でこの曲は別の意味を持ってしまった。「人は誰でも一度だけ すべてを燃やす夜が来る」「今がその時 もう戻れない」といった詞が解散を示唆する内容であったことも、聴き手が想像を膨らませる結果となったのだ。


時系列を追っていくと、解散宣言の翌日に記者会見が行われ、約2週間後の8月2日の新聞記事には、当初の9月末解散を撤回し、翌年3月に延期する旨が報道された。その後、レコード、ライヴ、ラジオ等のメディアを巻き込んで、様々なイベントが企画され、キャンディーズは翌年4月4日の後楽園球場での「ファイナル・カーニバル」へ突き進んでいくのだが、77年の8~9月段階では、まだその空気は出来上がっていなかった。解散への具体的な展望が見えない中で、「アン・ドゥ・トロワ」をテレビで歌う彼女たちも吹っ切れた姿ではなく、聴き手もどう受け止めていいのか戸惑っていたように思う。


ファンの熱気は高かったが、彼女たちの解散を支持し応援するその熱量がライト層や一般の人たちに伝わるまでは、少しのタイムラグがあったようだ。実際、「アン・ドゥ・トロワ」のオリコン・チャートは最高7位で、セールスも前作「暑中お見舞い申し上げます」とそう変わらない。一般層を巻き込んでのムーブメントを起こすには、もう少しの時間が必要だったのだ。この時期のキャンディーズを取り巻く状況は、解散宣言の衝撃と、ファイナルへの高まりの狭間で一種のエア・ポケット状態に陥っていたのかもしれない。彼女たちのファン組織である全国キャンディーズ連盟(全キャン連)が10月1日に「キャンディーズ・カンパニー」を設立し、元マネジャーの大里洋吉(現アミューズ会長)が専属プロデューサーとして復帰して様々なプロモーションが企画され、人々がファイナルへのカウントダウンを否応なしに意識させられるのは、もう少し後のことである。今思うと、このエレガントな名曲は、熱狂の手前の静けさを伝えているかのようだ。


なお、「アン・ドゥ・トロワ」にはボツになった別アレンジのテイクが存在し、それは「アン・ドゥ・トロワ パートⅡ」として、同年12月5日にリリースされた5枚組アルバム『キャンディーズ1676日』に収録された。吉田拓郎も自身のアルバム『大いなる人』でセルフ・カヴァーし、歌の最後で「さよならキャンディーズ」とひと節歌い、拓郎なりの送別ソングとなっている。

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