2015年12月23日

1974年12月23日、山口百恵「冬の色」が初のオリコン1位を獲得

執筆者:川瀬泰雄

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1973年5月に14歳で「としごろ」でデビューして、それほど目立ったこともなかった山口百恵が、9月に発売された2作目の「青い果実」の“あなたが望むなら私何をされてもいいわ”という歌い出しの歌詞で話題になり、そこから「青い性路線」ともいわれた戦略が始まった。それは3作目の11月21日発売の「禁じられた遊び」にもつながっていった。


僕自身はこのシングルから担当ディレクターになったのである。担当になった時点でシングルはすでにこの路線で行くことが当然のこと、という状態であった。そして次のシングル1974年3月発売「春風のいたずら」、6月「ひと夏の経験」とこの路線は続いていた。「ひと夏の経験」での“女の子の一番大切なものをあげるわ”という歌詞も意味深であり話題になった。アップテンポの曲だということと、歌詞の中の「一番大切なもの」は真心だというようにも取れる抽象的なものであり、15歳の百恵本人が淡々と歌い、清潔感を保って歌っていたおかげで、好奇心を持ったインタビューアーの「女の子の一番大切なもの」って何ですか? という質問にも百恵は毅然として「真心です」と答えていた。しかし、直接このことを百恵本人に確かめたことはなかったが、大人たちが作った歌を歌わされていたという気持ちは強く持っていたのだろうと思う。デビューしたばかりの14歳の女の子に、スタッフの大人たちが自分を売るために真剣に企画していることに対して反対意見を言うなどということは、出来るわけもなかった。アルバムもすでに5枚ほどリリースされていて、その中では14~5歳の年齢相応の恋に対する憧れなどがうたわれている。純文学のようなタイトルの曲もあり、百恵自身もそういった沢山の作品を歌っていることで精神的に中和されていたのだろうとおもう。その後、シングル6作目は僕が井上陽水のアルバム『二色の独楽』の録音の為にロサンジェルスに行っていたために制作に参加できなかった、雑誌『明星』で募集された原案をもとに千家和也作詞(原案: 川緑浩幸)、馬飼野康二作曲の9月発売の「ちっぽけな感傷」がリリースされた。


そして7作目が12月発売の今回のテーマの「冬の色」である。


初のオリコン1位となり、6週にわたり首位を守った。「青い果実」や「ひと夏の経験」など話題になった作品も首位にはなっていなかった。


何故ちょっとおとなしい地味な印象のこの作品が1位であり続けたのかを考えてみた。この頃女優としてテレビドラマの「赤いシリーズ」の出演や映画『伊豆の踊子』の主役もやり始めた時期であり、百恵自身に演技力がついてきたこともあり、歌うことでの表現力もついてきた。我々スタッフも抑えた詞の内容でも十分勝算ありと考えていたように記憶している。「青い性路線」もこの辺で終わりにしていかないと限界が来てしまうというということもわかっていた。多分ファンも同じような気持ちで百恵を応援していたのだろう。次はもっと過激になっていくのかも知れないという想像の中で突然、同年代の女子高生なども素直にこの曲が好きだと言えるような純愛路線の作品がリリースされた。


その後スタッフの間での共通のテーマでもあった作品での「ある種の裏切り」はここから始まった。百恵の歌もそれまでのアップテンポの曲の中で淡々と歌うという歌い方ではなく、歌いだしの“あなたから許された口紅の色は、からたちの花よりもうすい匂いです”など抑えて歌う部分と“突然あなたが死んだりしたら、わたしもすぐあと追うでしょう”という少女なりの覚悟を持つ表現部分などメリハリがついている。この歌い方が「ささやかな欲望」での百恵の初期の千家和也、都倉俊一作品での名歌唱につながっていった。


その後、この感情表現やメリハリの付け方はますます磨きがかかり、1年半後に出会った阿木燿子、宇崎竜童作品で頂点を目指していったのである。

写真提供:ソニー・ミュージックダイレクト

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