2016年02月03日
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2016年02月03日
1975年(昭和50年)の本日2月3日付オリコンチャートで、桜田淳子の「はじめての出来事」が1位を記録。8枚目のシングルにして初の(そして唯一の)No.1。奇遇にも前週まで1位を続けていたのは、「花の中三トリオ」(当時は既に高一になっていたが)の同志にしてライバル・山口百恵の初No.1シングル「冬の色」であり、歌謡界が遂にアイドル旋風の到来を受け入れたことを証明している。
「スター誕生!」から7組目のレコードデビュー(女性ソロとしては4人目)を「天使も夢みる」で73年2月25日に果たした淳子は、早々と順調にアイドル街道を走り始める。「この花は私です…」というセリフがあまりにも衝撃的な同年11月の4枚目「花物語」から78年6月発売された23枚目のシングル「リップスティック」まで、11位とニアミスで終わった2曲も甘く見て勘定すれば、全てのシングルがオリコンベスト10到達という凄い持続力。その間、何度かの音楽的シフトチェンジを見せているが、一般的には最初のドラマティックな路線変更と思われている中島みゆき作品「しあわせ芝居」の前に、一つ大きな山があると筆者は感じている。それがこのシングル「はじめての出来事」である。
「ほほえみ天使」のキャッチフレーズを提げて登場して以来、淳子には「何で"純子"じゃないんだよ」と思わせる程、「純潔」のイメージが付きまとっていた。恥じらいがちな瞳の真上にちょこんと乗ったキャスケット、そして汚れを知らない少女っぽさを漂わせた歌声。実は私こう見えて大胆なのよというイメージを初期から漂わせていた百恵と対照的な、あっけらかんとしていて実は天上の人、みたいな女の子に見えた。当時小学生だった筆者は、百恵派とも淳子派とも言えない立場でありつつ、単純に歌が好きという立場からは淳子の方に遥かに魅力を感じていた。
7枚目のシングル「花占い」までは、そんな恋に対して奥手な少女の心情が素直に歌われていたし、曲のイントロにリコーダーなどの笛系の音や、ナチュラルな音色が多用されていたのも、そんな彼女の純粋さを増幅していたような気がする。そんな乙女ワールドから一歩踏み出したのが「はじめての出来事」だ。何せ歌い出しの歌詞からして「口づけのその後で〜」である。
同時期の百恵のシングル曲のファーストインパクトも相当なものだったが、それに比べるとさりげないながら、歌い出しとしてはかなり衝撃的だ。「この花は私です…」から1年で、彼女の恋心はここまで膨らんだのか。デビューから「しあわせ芝居」の前作「もう戻れない」まで一貫して作詞を担当した阿久悠にとっても、これが淳子第2章のスタートという意識はあったに違いない。そして、イントロに使われたシンセの音色の軽やかさも、前作までの世界から明らかに次の次元に突入したことをうかがわせる。端的に言えば、アイドル歌謡からアイドルポップスへの進化だ。このインパクトとキャッチーさが、この曲をNo.1に押し上げた原動力ではないか。
その後淳子は、「はじめての出来事」の阿久悠・森田公一コンビによる「十七の夏」「夏にご用心」「気まぐれヴィーナス」などを始め、よりポップ度を増した曲でヒットを連発し、安定路線に入る。流行の歌謡曲はテレビで聴くものと割り切って、アニマルズの「朝日のあたる家」のシングルなんかを買うませがきになっていた筆者は、その頃にはすっかり百恵派に寝返っていたのである。
蛇足になるが、昨年夏横浜赤レンガ倉庫で開催された「70sバイブレーション」での「阿久悠ナイト」では、「はじめての出来事」の前作にあたる、「月刊明星」の歌詞公募企画から生まれた「花占い」をかけることにした。個人的に淳子と言えばこの一曲だと思っているし、阿久悠が公募詞の脚色を行ったのも特殊な例だったからである。その2ヶ月後観た異端シンガーソングライター、町あかりのライヴの出囃子にこの曲が使われたのを聴いて、自分の判断は正しかったとほくそ笑んだ。一瞬レコードのサイドを間違えて「はじめての出来事」のイントロをちょっとだけ流してしまい、「今日はこちらはかけません」と謝ったのには目をつむってもらって(汗)。
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