2015年11月21日
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2015年11月21日
1978年11月21日山口百恵の名曲「いい日旅立ち」がリリース。谷村新司作詞・作曲によるもの。一月後の12月21日に発売されたアルバム『二十歳の記念碑 曼珠沙華』の1曲目に収録されている。
当時は百恵のCMソングやTV主題歌のタイアップに関しては、基本的にシングルのB面に収録するというのが原則だった。
今のように積極的にCMとのタイアップをレコード会社が代理店にお金を払ってタイアップしていただく、などということをする時代ではなく、音楽製作スタッフとしてもプライドがあり、むしろCMとのタイアップの場合は、タイアップ料を、楽曲使用料として徴収し、それを作詞家、作曲家や制作側が分配するというのが当たり前だった。
それ以前にも僕がかかわったCMタイアップで大ヒットしたジェリー・ウォレスの「マンダム~男の世界~」がオリコン首位を取ったことなどもあったが、これはあくまでもCMソングとしてシングル1曲分の長さのものを作ってレコードとして発売するという形だった。
これまでのシングル盤においても、A面はあくまでもオリジナル曲を収録し、TV主題歌やCMタイアップ曲はB面に収録するという手法をとっていた。
CBS/SONYの酒井政利プロデューサー経由で電通から「日本国有鉄道(国鉄、現JR)」とタイアップの話が持ち込まれた。ホリプロの会議にかけたところ一大キャンペーンだからA面で勝負する楽曲で制作してみようということになった。
酒井氏と共に電通での打ち合わせに出かけた。
「いい日旅立ち」というタイトルが、国鉄の旅行誘致キャンペーンのコピーとしてすでに決まっていた。後に知ったことだが、国鉄のキャンペーンのスポンサーであった「日本旅行」と「日立製作所」の会社の文字をとって「日」「旅」「立」をパズルのように組み合わせて作ったコピーだった。
この「いい日旅立ち」というコピーを生かしてくれる作家は誰なのだろうか? ということを酒井氏と検討した。ここまでシングル3作品で、阿木燿子・宇崎竜童作品が続いたこともあり、シングル候補は別の作家がいいだろうということになった。そこで、これまでもアルバムで、スケールのあるいい作品を沢山作ってくれた、谷村新司氏にお願いしようという事になった。当時、参宮橋近くのマンションにお住まいだった、谷村氏を酒井さんの部下で、カルメン・マキなど沢山のプロデュースもしている優秀な女性プロデューサー金塚晴子さんと一緒に訪ねて行った。
「♪あ~あ~日本の何処かに、私を待ってる人がいる」ときっと日本中をコンサート・ツアーなどで廻り全国を知っているだろう谷村氏ならではの、見事に国鉄の意向も完璧に取り入れた、大きなサビを持つメロディ (写真は谷村氏のデモテープのカセット)が出来上がってきた。
旅の情景が目に浮かんでくる大傑作だった。人選に間違いはなかった。
きっと百恵の代表曲になるだろうという予感があった。
百恵の歌は、「♪あ~あ~日本の何処かに~」で大きく伸びやかに歌った後の、一番低くなるメロディの「♪いい日旅立ち」の、「♪いい」や「♪たび」の低音部分に、百恵独特の声の響きがある。しかも、その後の「♪日」や「♪ち」のファルセット(裏声)のメロディを実に綺麗に歌っていて、このCMのテーマのキャッチ・コピーを強く印象づける歌にしている。
川口真氏のアレンジは、ハープとピアノから始まり、郷愁のあるトランペットのメロディというイントロが、この曲を、より印象的なものにしている。
川口さんご自身のアレンジで気に入っている楽曲はと聞かれると?
「やっぱり山口百恵の『いい日旅立ち』なんですよ。」
アレンジに関して川口真さんは「打ち合わせの時、川瀬くんからスケールの大きい感じにって言われたんだよね。それでイントロからトランペットのソロを使ってみようって。そういう曲ってほとんど無かったから。『いい日旅立ち』は曲の中身とは関係のないイントロをバンと当て込んでる。イントロ独自のメロディで勝負って感じですね。そういうイントロを書いてる時っていうのは編曲家というよりも作曲家なんです。個人的にアレンジ作業はイントロがすごく重要だと思っていて、何からやるかっていうと、イントロから考える。逆にイントロができたら、もう終わったも同然。イントロがうまくできたら、全部うまくいくって思ってるくらいですよ。谷村新司さんが『いい日旅立ち』をご自分で歌う時にもあのイントロを使ってくれたことはすごく嬉しかったですね。」と語っている。
CMとの相乗効果もあり、デモテープを受け取った時の予想通り、大ヒットになった。
2007年には「日本の歌百選」に選ばれている。
百恵引退後に全曲アレンジをし直して、百恵の歌だけを新しいアレンジの曲にはめ込んでいった自分でも傑作だと思う3枚のCDアルバムを作ったのだが、その1枚目の『百恵回帰』では萩田光雄さんのピアノとストリングスだけのアレンジバージョンを聴くことが出来る。
百恵の歌はこの新しいアレンジを聴いて歌ったかのように見事に百恵の歌になっている。このシリーズを作っていて感じたことは、百恵の歌声は、例えば元々バラードだった曲をリズムを強調したアレンジにし直して、そこに百恵の歌を差し込んでいった曲でも、全くリズムに違和感を感じさせず、最初からそのカラオケを聴いて歌ったように百恵自身の歌にしてしまう、という不思議な包容力を持っていることを、萩田さんと感心したことを思い出した。やはり稀有な存在だった。
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