2016年01月14日
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2016年01月14日
キャンディーズは1975年の今日、1月14日に東京有楽町にあった日本劇場(通称=日劇)のステージに初めて立った。
日劇と言っても1981年には閉鎖~解体され、その跡地には有楽町マリオンが建てられているので有楽町=日劇というイメージはもう薄れてしまっているが、断面が円形のその美しいフォルムのいくばくかはマリオンの建物にも受け継がれている。
その最初の日劇出演こそドリフターズのショウのゲストという形であり、出演時間も短かったが、やがて日劇は彼女たちのライヴの「主戦場」になり、バック・バンド、MMPとの初共演やミュージカル「スタンバイOK」の初演まで様々なチャレンジの場ともなっていく。
ところで、昨年末の12月26日、TBSの年末特番<たけし&安住が贈る!「伝説の芸能60年史」>の最後で、スーちゃんのエピソードが紹介されていたのをご覧になった方も多いのではないだろうか? そこでは「(キャンディーズ解散への)カウントダウンが始まるとスーちゃんの実家の前には連日、多くのファンの姿が…」というナレーションと共に、その実家の釣具店の前に全国から集まってきたファンたちへのインタヴュー映像も流され、今どきのアイドルとは違う、ファンとの圧倒的な「距離」の近さを感じさせてくれた。もちろんランもミキも、ファンからすれば親しみやすい存在であったことは間違いないが、やはり一番年下のスーちゃんは、ファンからしても親しみ安さを象徴する存在だったのではないかと思う。
もうひとつ、キャンディーズとファンたちの「距離」の近さを象徴するものと言えば、コンサート中にファンと彼女たちの間を実際に「つなぐ」ことになった紙テープのことも忘れられない。後楽園球場での解散コンサートでも、そのスーちゃんが「私たちのために紙テープを投げてくださって本当にどうもありがとうございます」と述べる感動的な場面があった(コンサートで紙テープに関する感謝を述べるのはだいたいスーちゃんの役割だったようだ)。
その紙テープを熱狂的なファンが舞台の上の歌手に向けて投げる、というユニークな応援作法の発祥の地が日劇だった、というのはご存じだろうか? 時はキャンディーズが初めて日劇のステージに立った1975年1月から遡ること約17年の1958年2月、日劇で第1回「ウェスタンカーニバル」が開かれた頃のこと。発案したのは、キャンディーズも後に所属する渡辺プロの当時の副社長、渡辺美佐だった。彼女は都内のジャズ喫茶等で盛り上がりを見せ始めていたロカビリー歌手たちを集めて日劇で「ウェスタンカーニバル」をやろうと企画した際、「歌手が出てきたとき、紙テープを投げて、ほかの人たちをあっといわせよう」と何人かのファンが相談していたのを耳にする。それを聞いてすぐ、自ら問屋街に乗り込んで大量に紙テープを仕入れ、それをファンの女の子たちに配って盛り上げてくれるよう頼んだのだという(野地秩嘉著/マガジンハウス刊『渡辺晋物語』による)。
話を70年代に戻すと、キャンディーズ初の日劇でのワンマン・コンサートも1975年8月に、その「ウェスタンカーニバル」の第54回目の一部として行なわれている。そして、日劇から始まったキャンディーズの「カーニバル」は、その後、蔵前国技館での2回のビッグ・コンサート、そして後楽園での解散コンサートにまで受け継がれていくのだが、彼女たちのコンサートが日劇での「ウェスタンカーニバル」から受け継いだものはその名称だけではなかった。「ファイナル・カーニバル」でのスーちゃんの紙テープへの感謝コメントは、ファンとの絆を大切にした彼女たちの歩みだけではなく、結果として、所属プロダクションの歴史をも踏まえた集大成的なものにもなっていたのだ。残念ながら紙テープは、キャンディーズ解散から3年後のある事件をきっかけに、アイドルのコンサートの場からは消えていくことになる。
写真提供:ソニー・ミュージックダイレクト
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