2015年07月17日

1977年7月17日。キャンディーズが解散宣言をした日。

執筆者:寺田正典

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1977年7月17日。キャンディーズが解散宣言をした日。1970年代中~後半に青春期を過ごしたかつての男子のかなり多くが、特別な思いを持って振り返る日付なのではないだろうか。


その夏のツアー“サマー・ジャック77”の初日の日比谷野外音楽堂のステージ終盤にそれは起こった。激しいダンスとファンとのコール&レスポンスで会場の盛り上がりが頂点に達した時、3人が急に抱き合って号泣し始め、ランが切り出したのだ。

「あたしたち、皆さんに謝らなければならないことがあります。あたしたち、今度の9月で解散します!」


キャンディーズは伊藤蘭(1955年生まれ、愛称=ラン)、田中好子(1956年生まれ、愛称=スー)、藤村美樹(1956年生まれ/愛称=ミキ)の3人組。解散宣言の時点では21~22歳。この若い3人の女の子が、芸能業界の中にしっかり敷かれていたレールからの離脱を宣言してしまったのだ。コンサート会場での出来事だったとはいえ、この発言は芸能界だけでなく、広く社会にも衝撃を与えることになった。

さっそく翌日、“引退表明”の真意について、初期にライヴの拠点としていた銀座メイツでの緊急記者会見が開かれたが、やはり芸能マスコミの追求は厳しかったようだ。まだまだこれからがあるのに、自らこの世界に“決別”する必要がどこにある? 当然ながら芸能界の先輩たちもそういう思いを若い3人に対して抱いたようで、同年7月10日放送のフジテレビ「夜のヒットスタジオ」では、そういう重たい“視線”の中で健気に、当時ヒット中の「暑中お見舞い申し上げます」を歌うキャンディーズの姿が捉えられていた。


注意したいのは、野音での“解散宣言”が、所属事務所である渡辺プロ主催で行なわれた記者会見では“引退表明”と、微妙にニュアンスが変わっていること。「この世界でもらった名前を自ら勝手に捨てるということは、今後、芸能界で生きていくことはできないんだぞ」というような圧力があったのかどうかはわからない。ただ、“解散宣言”と“引退表明”をつなぐ意味を持たされてしまったのが、野音でランが叫ぶように言った「普通の女の子に戻りたい」という言葉であり、そのインパクトのある一言がメディアを通じて一人歩きしてしまったことは彼女たちを苦しめることにもなる。それと同時に、当初の宣言より延びた1978年4月4日に後楽園球場でと決められた解散コンサート(ファイナルカーニバル)に向けてキャンディーズは、そんな業界の雰囲気の中で彼女たちを守るように「解散支持」の方針打ち出すに至った全国キャンディーズ連盟を代表とするファンたちの熱狂的な後押しを受け、そこから“奇跡の9か月”と呼ぶべき活動ぶりを見せていく。


その中でも特に印象的だったのは、それまでスー→ランの順で任されてきたシングル曲の“センター”に立ったことのなかったミキがふたりの後押しもあって「わな」(12月)で初めて中央で歌った話とか、ファンの奮起により初のシングル・チャート1位を達成した最終シングル「微笑がえし」(2月)のエピソード。解散(卒業)という期限付きの“最終ゴール”を設定した上でのファンとの一体感の醸成、センター・ポジションをめぐるドラマ、そして最高位を目指してのファンとの共闘等々…。今どきのアイドルの「物語」の構成要素の核の部分が実は“奇跡の9か月”に出揃っていたことは注目されていい。


しかしその最終シングルB面収録の「かーてん・こーる」で彼女たちは、ユニゾン中心でしかもデジタル編集技術によって支えられている今どきのアイドルたちには望むべくもない実に繊細で完成度の高いハーモニーを聴かせてくれる。最終的にキャンディーズは、ハイ・ファイ・セットとの高度な共演も可能なほどの実力を身につけるに至っていたのだ。

写真提供:ソニー・ミュージックダイレクト

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