2016年03月03日
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2016年03月03日
2013年3月3日、ポップ・シーンを代表する実力派シンガー、須藤薫さんが亡くなられた。そして早いもので、あれから3年を迎えようとしている。しかし彼女がこの世を去ったという感じは未だせず、もしかしたら突然ドアを開けて「みんな、何してるの?」なんて言いながら飛び込んでくる感じすらするのだ。
私が彼女の存在を知ったのは、中学から高校にかけての時期だった。その切っ掛けは当時のめり込んでいた大滝詠一さんの音楽で、1981年リリースの『A LONG VACATION』を聴いて人生が変わってしまった私は、手当たり次第ナイアガラ関係の作品に手を伸ばし、貪欲に聴き込んでいた。さらに1982年の『NIAGARA TRIANGLE Vol.2』を通して杉真理さんに惹かれた私は、作家としての杉さんの提供作も探すようになっていた。そんな時に過去を振り返り、大滝さんと杉さんの存在が交差したのが薫さんのアルバム『Chef's Special』に収録されていた「あなただけI LOVE YOU」であり、その後は『Paradise Tour』『Amazing Toys』なども聴き込んで薫さんの世界に引き込まれていった。
今改めて考えると、ちょっと憂いを秘めた歌声、そして情感が込められていながらも湿っぽくならないバラード、オールディーズ・マナーでありながら80年代流のポップさをも両立させた独特の感覚、といったものに惹かれたのだろう。彼女の作品は優れた作家とスタッフ、演奏陣に恵まれた理想的なものだと、今改めて思う。
時は流れ、私はレコード会社へ就職し、偶然にも杉さんと仕事をする機会に恵まれた。そしてこれを切っ掛けとしてその後、改めて薫さんと出会い、彼女がこれまでに発表した全てのソロ・アルバムと、杉さんとのユニット名義による作品をリイシューすることになり、その制作を担当した。リイシューにあたっては、紙ジャケの仕様やデザイン、ボーナス・トラックのセレクト、マスタリングに至るまで、全ての過程を経験することが出来、ソニー乃木坂スタジオで聴くオリジナル・マスターの音は、本当に格別だった。
2007年1月にリリースした須藤薫&杉真理名義によるアルバム『ポップ・ラウンド・ザ・ワールド』の作業は、特に思い出深いものとなった。タイトルはブルース・ジョンストンの『サーフィン・ラウンド・ザ・ワールド(サーフィン 世界をまわる)』から思いついたものだ。このアルバムは、一時、結婚・出産を経て引退状態にあった薫さんが、杉さんとのユニットで本格的にシーンに復帰し、1999年から2000年にかけてリリースした3枚のオリジナルCDを1つにまとめたものだった。しかし単なる編集盤ではなく、ここには新録曲「Forever Young」が追加された。歌入れでは、80年代と同じようにディレクションする杉さんと、それに素晴らしい歌声で応える薫さんの姿があった。あのスタジオでのシーンは、忘れられないものとなった。
薫さんが旅立たれて3年。しかしずっとこれからも薫さんは生き続ける。常に明るく、前向きでありながら、ちょっとだけ天然キャラで、それでいて周囲への気遣いを忘れない、そんなみんなからとても慕われた彼女は、いつまでも私たちの心の中で、その素晴らしい歌声や作品と共に愛され続けるのだ。なお2016年3月3日、彼女が残した未発表ライヴ音源が『「パラダイス・ツアー」ライヴ 1981』としてソニー・ミュージックダイレクトから初CD化される。2ndアルバム『Paradise Tour』発売日に東京・芝の郵便貯金ホールで行われた初のワンマン・コンサートの模様を収めた貴重音源だ。是非当時の雰囲気と初々しいステージをお楽しみ頂きたい。
『「パラダイス・ツアー」ライヴ 1981 』写真提供:ソニー・ミュージックダイレクト
OTONANO>須藤薫『「パラダイス・ツアー」ライヴ 1981』特設サイトはこちら>
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