2016年04月25日
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2016年04月25日
41年前の4月25日は、シュガー・ベイブのアルバム『SONGS』とシングル「DOWN TOWN」が同時にリリースされた日だ。
シュガー・ベイブは1970年代を代表するバンドのひとつとして知られている。『SONGS』は彼らが残した唯一のアルバムであり、故・大瀧詠一が設立したナイアガラ・レーベルのファースト・リリース作品でもある。しかし、発売当初はほとんど話題にもならず、レコード店で見たことが無かった、とメンバーも言っていたほどで、当然セールスも芳しくなかった。その上、発表後約1年でシュガー・ベイブは解散してしまったのだから、普通なら歴史の中に埋もれてしまっても仕方がないアルバムだった。
それでも『SONGS』は廃盤になることなく、時代を越えるロングセラーアルバムとなり、今では70年代を代表する名盤の1枚となっている。その理由として、ソロ・アーティストとして脚光を浴びていった山下達郎や大貫妙子の出発点としてこのアルバムが注目されたということもあっただろう。けれど、なんといってもその音楽性、完成度の高さが、 その時々の音楽ファンに支持されてきたということが大きいのだと思う。
振り返ってみれば、あの時代にシュガー・ベイブというバンドが現れたのは不思議と言えば不思議だった。大瀧詠一のプロデュースでレコードデビューしたこと、はっぴいえんどと同じ風都市に所属していたことなどから、その流れで見られることが多いけれど、音楽的にはけっしてはっぴいえんど的ではなかった。というより、シュガー・ベイブの音楽性はあの時代のなかできわめて特異なものだった。ブルースでも、ハードロックでも、ウエストコースト系でもない。はっきり言えば、当時の日本のどのバンドとも似ていなかった。だからこそ、彼らは当時のロックシーンで浮いた存在にならざるを得なかったのだ。
当時、彼らのサウンドに対して軟弱という声もあった。それは、当時のリスナーやプレイヤーの間に少なからずあった、演奏スタイルのハードロックっぽさ、ブルースっぽさこそがロックの本質であるという思い込みから発せられた声だった。しかし、『SONGS』を聴けば、シュガー・ベイブが彼らの言うような軟弱なバンドではなかったということがわかるハズだ。彼らの楽曲はポップだけれどダイナミックなビート感にあふれている。ロックンロールのビートの上に、いかにクリエイティブでポップなイメージを描けるか。それを純粋に自分たちの手で実践した、いわばガレージパンク的スピリットを妥協なく追及した結果として、シュガー・ベイブは「どこにもない音楽」を生み出したのだ。
その音楽が軟弱に聴こえるからと言って、その音楽家が軟弱とは限らない。その意味で、シュガー・ベイブはきわめて戦闘的なバンドだった。そして、その音楽もポップではあっても、少しも軟弱なものではなかった。むしろ、あの時代において類型的ではなく個性にあふれた異端的音楽だったのだ。むしろ、異端的であったからこそ、シュガー・ベイブの音楽は、今も多くの人の心に届くものになっていたのではないか。
それはシュガー・ベイブに限ったことではないだろう。はっぴいえんどにしても、RCサクセションにしても、そしてサザンオールスターズにしても、その時代の異端としてシーンに登場している。そして、その時代の風潮に妥協せず、戦闘的にその異端を貫き通したからこそ、その音楽は時代を越えた存在感を発揮し続けているのだ。
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