2015年11月08日

1982年の11月8日、松田聖子の「野ばらのエチュード」(作曲/財津和夫)がオリコン・チャートで1位を獲得

執筆者:馬飼野元宏

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1982年の11月8日、松田聖子の「野ばらのエチュード」がオリコン・チャートで1位を獲得した。3作目の「風は秋色」以来、通算&連続9作目の1位である。


「野ばらのエチュード」は、松田聖子の作品の中でも地味な印象で、振り返られることが少ない。作曲の財津和夫は5作ぶり4回目のシングルA面起用だが、途中、大滝詠一が書いた「風立ちぬ」や、松任谷由実が呉田軽穂のペンネームで作曲した「赤いスイートピー」からの3連作に比べ大きな話題もなく、グリコのCMに起用されたことぐらいか。前サビながら全体にゆったりしたメロディーとシンプルなアレンジで、歌い出しの“トゥルリラー、トゥルリラー”がないと、シングルとしてはインパクトの少ないものになっていただろう。


財津は、聖子の担当ディレクター・若松宗雄に「ビバルディの『四季』のような曲を」と依頼され悩んだというが、この発注からは、同曲の立ち位置、そして若松ディレクターの狙いが読み取れる。実は彼女のキャリアにおいて、重要な楽曲なのだ。


松田聖子の所属するCBSソニーは、70年代にアイドル・ポップスの隆盛を牽引したメーカーだが、同社のアイドルは伝統的に “季節感”を歌に持ち込むことが多い。南沙織、山口百恵、キャンディーズなど、3ヶ月に1枚リリースされるシングルには、季節感を取り入れることが必須であった。この伝統は80年代に入っても松田聖子に受け継がれ、デビュー曲「裸足の季節」から「野ばらのエチュード」までの11作すべてに季節の彩りとそこに存在する少女の心象が歌われている。加えて”リゾート”もテーマに織り込まれ、アルバム曲では海外リゾートを舞台にした作品も多い。若松ディレクターは「時代の中にどんな楽曲を放り込むか、と考えると季節感が必須」と語っており、それには鮮度が大事と考え、完成した楽曲も聖子にはギリギリまで渡さなかった。その理由は「練習するほど形は仕上がるが、鮮度の部分はどんどん落ちていくから」だという。


聖子が秋にリリースする楽曲は、どれも旅への願望が歌われている。海辺の町を訪れ、失った恋人の腕の中で旅をしたいと願う「風は秋色」。高原を舞台に “別れはひとつの旅立ち”と言い切って次のステップへ向かう「風立ちぬ」。そして喜びも哀しみも20才なりに知った女性が、違う自分を見つけるため“知らない街を旅してみたい”と歌う「野ばらのエチュード」。聖子にとって秋は旅立ちの季節なのである。若松ディレクターは、20才になった松田聖子の、第一期の3年間を総括する意味で“『四季』のような曲”と発注したのではなかろうか。松本隆の詞も、それまでの“季節の中のリゾート・ソング”らしい小道具やシチュエーションが少なく、心象に傾いた内容になっている。実際に次作「秘密の花園」以降、シングルでは季節感が薄れ、ファンタジックで抽象性の高い内容と、「瞳はダイアモンド」「ハートのイアリング」などリアルな恋愛劇の一瞬を切り取るポップスの二路線が同時並行で歌われていった。


「野ばらのエチュード」は一聴すると地味に思えるが、季節感とディテールにこだわったアイドル第一期を総括し、より心象に傾いていった第二期とをつなぐミッシング・リンクのような楽曲である。松田聖子はこの曲があってこそ、20才の自身を回想し、大胆なイメージ・チェンジを必要とせず自然な形で次のステップへと旅立っていけたのだ。


この曲はアルバム『Candy』に収録されたが、全編ウィンター・リゾートムードの作品が並ぶ中、違和感なく溶け込んでいる。財津和夫は同盤に「星空のドライヴ」「未来の花嫁」というファンに人気の高い2曲を提供しており、ソングライターとしても絶好調だったことが伺えるのだ。また同年末に出た企画盤『金色のリボン』には別バージョンが収録されたが、こちらは同じ大村雅朗が優雅なストリングスのゴージャスなアレンジを施し、シングルに比べ派手なサウンドになっているのが面白い。

写真提供:ソニー・ミュージックダイレクト

ソニーミュージック 松田聖子公式サイトはこちら>

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