2016年05月19日
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2016年05月19日
今から30年前、1986年(昭和61年)の本日、5月19日付のオリコンチャートの1位が何だったか、すぐ思い出せる方はいますか? と訊いといていきなり答えを出します。
その曲は、国生さゆり「夏を待てない」。
前年1985年にフジテレビ「夕やけニャンニャン」から登場し、アイドルの在り方を根っこから変えてしまったおニャン子クラブの会員番号8番。通算4人目となるソロデビュー曲は、未だにそのシーズンになると頻繁に耳にするスタンダード曲となった「バレンタイン・キッス」である。本曲は、それに続く第2弾シングルとなる。元気印アイドルが輝く季節・夏に相応しい弾けた楽曲。まず最初に耳に残るのは、本人の強気な性格とまるで反比例するような、実直そのものの歌声。おニャン子の「非芸能人」っぽさを象徴する音だ。当時はその事実だけでも相当アレルギーを感じる者が後を絶たなかったが(それこそ歌手志向が強い一部のアイドル本人に至るまで)、今聴くとその飾りのなさがかえって新鮮な気がする。当時急激に進歩を遂げたデジタルサウンドの派手さが、中和剤として効果的に活きている印象。作曲を手掛けたのは、名ベーシストにしておニャン子の主要曲の多くを手がける(そして、後に会員番号12番・河合その子を射止める)後藤次利その人。
ここから、チャート1位獲得記念日という事実に着目してみる。5月10日に発売されたこのレコードは、9日後にオリコンで1位に初登場。初動売上枚数は13万枚強となっている。オリコンの週間チャートは、基本的に前々週水曜日から火曜日までの売上を集計し、翌月曜日に発表するシステムを採っており、土曜日に発売されたこの曲は、最初の4日間で13万枚という驚異的数字を叩き出したことになる。それだけ、当時のおニャン子の勢いは凄まじかった。チャートを眺めてみると、2位は前週1位に初登場した同じくおニャン子の岩井由紀子・高井麻巳子によるうしろゆびさされ組「象さんのすきゃんてぃ」で、この段階でも5万枚台をキープ。以下、本田美奈子、レベッカ、小泉今日子、渡辺美里と、前週登場した新曲が安定して上位に居座っている。強力な初登場曲が他にないのは、恐らく発売時期がGW明けという、流通業界にとっては不利なタイミングだったためであろう。その隙間を敢えて狙って、国生サイドは強力な新曲を送り込んできたのである。
そして、1986年のチャート1位事情。1月第2週から3週1位をキープした会員番号4番・新田恵利のソロデビュー曲「冬のオペラグラス」を最後に、3週連続1位獲得曲が全くなくなり、その現象は翌年12月、光GENJIの第2弾「ガラスの十代」が4週1位を独走し始めるまで続くのだ。更に、2週1位を続けた曲も86年に限ると3曲しかない。いずれもおニャン子関係。それ以外の42週は、目まぐるしく1位が交代しており、内26曲がおニャン子関係。つまり51週中合計35週をおニャン子関係が独占したことになるのだ。ちなみに翌年8月「夕ニャン」が終了するまで、更に11曲がそれに上乗せされている。正に社会現象。
これは当時のレコード産業事情を考えると、別に不思議なことではない。86年の年間チャート1位、石井明美「CHA-CHA-CHA」の売上枚数は累計58万枚であり、メガヒット大勃発となった9年後の年間チャートにこの数字をあてはめてみると、57位に該当する成績でしかない。コンパクトディスクが主流となり、メディアミックスを核にレコード産業が大逆襲を始めるまでは、あと3年程待たねばならなかったのである。そんな中、おニャン子関係のシングルはコンスタントに10万枚前後の初動を記録し、さらに数週上位に居座るパワーを有していたのだ。現在のアイドルの多くにそれを求めるなんて、まず不可能だ。
それまでの「ヒット曲」の動きからは考えられないこの現象を読み解くには、それほどの時間を要することはない。ある時点から、月曜日に「公表」されるオリコンチャートの順位が、前週金曜日の夕方に放映される「夕ニャン」の番組内で「フライング発表」され、そこで1位になったことが明らかになると、視聴者も一体となって「お祭り」になる。番組終了間際まで、それがコンスタントに続いたというわけだ。そして、レコード会社側もそのお祭りをパブリシティに利用すべく、1週間分の売り上げが確実に数字に反映される水曜日に商品を発売するという傾向に、この頃から突入することになる。それ以前は、余程の「臨時発売」というケースでない限り、1日とか21日といった決められた日付に発売日を設定し、そのスケジュールを元に制作を進行させていたのであった。もっとも、英米では決まった曜日にレコードを発売するのが、それ以前にも当たり前であったのだが…。
インターネットとSNS、「会いに行けるアイドル」、CDを「積む」ことなどが、アイドルとの関わり方を根本から変えてしまった今となっては想像できない話だが、おニャン子はある意味その手のメディアハイプの先駆けでありながら、今のアイドルと完全に異質だったのも否定できない。芸能界体質に染まらないごく普通の女の子がブラウン管の向こうという遠い世界にいて、電波越しの男の子たちに「一緒にお祭りしようよ」と呼びかけているのだ。その呼びかけにコンスタントに答えた人が10万人前後いたなんて、今から思えば骨太な時代だったなと思う。それから、もう30歳。当時既に生を受けていた者は、今では全員立派な「大人」だ。ここで語られる資格は立派にあります。
最後になるが、個人的に国生さゆりの思い出というと、おニャン子に参加する遥か前、「ミス・セブンティーン・コンテスト」に出場したコネで、CBS・ソニー(当時)に「レコード会社対抗運動会」の陸上競技要員としてスカウトされ、その映像をデビュー後に見たことが印象深い。俊足アイドルの代表を印象付けたわけだが、今となってはレコード会社がスポーツで競うというお正月の風物詩がたまらなく懐かしいのである。
『バレンタイン・キッス 』『夏を待てない』写真提供:ソニー・ミュージックダイレクト
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