2015年10月07日
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2015年10月07日
松田聖子の「風立ちぬ」(1981年10月7日発売)は、80年代の日本のアイドル・サウンドをリードし、新しいビート感覚を創生する起点となった重要な曲である。
作詞は松本隆、作曲編曲は大瀧 詠一。松田聖子のデビュー曲「裸足の季節」から、一つ前の6枚目「白いパラソル」までは、ニューミュージック系作家の佳曲の数々。そこには70年代から続く安定した楽曲のトーンを感じるだろう。しかし「風立ちぬ」は明かにその流れを変える強いエモーション、こだわりのリズム、そして新しい曲の構造がある。
あの松田聖子が当初「難しくて歌えない」ともらしたこの曲。幾度かのトライの後「歌えました」と嬉しそうに大瀧 に報告したという。技量で追従を許さない聖子が噛み砕いたもの、それは何だろう?
大滝の最も好きな女性歌手は弘田三枝子。それを彷彿とさせる勢いを「か・ぜ~たち~ぬ~!」という強いシャウト感覚だ。
さらに60年代のある種の和製ポップスは、歌だけでなく演奏も凄まじい。天才歌手・弘田三枝子の「ヴァケーション」歌唱を可能にしたのは、当時のジャズ・ミュージシャンのナイスなテクニックだ。
しかし70年代には、強力なスタジオ・ミュージシャンも台頭する一方、日本の歌謡曲はフォーク化によりかなりパンチを欠いていった面もあった。そんなソフト化を吹き飛ばすきっかけのサウンドが、山下達郎の「ライド・オン・タイム」や大滝詠一「ロング・バケイション」などで生み出された、強力なリズム・セクションだ。双方はフュージョンの時代を経た音色を存分に生かした骨太なAORロック・リズムを構築した。それが「風立ちぬ」に応用されたのである。
「風立ちぬ」という曲が持つ「パンチ」を作り出したのは聖子の歌唱と、リズム編曲だったのだ。
曲の下地はジミー・クラントンの「ヴィーナス・イン・ブルー・ジーンズ」やダイアン・リネイの「キス・ミー・セイラー」コーラス部には、フランキー・アヴァロンの「ヴィーナス」といった極上の60年代メロウポップスの明確な引用。しかも複雑に入り組んで、追跡を許さない。様々なポップスとロックを断片にし、新しいリズムの土台に寄せ合わせて再構築する。
一見関係ないように見えるが、そのアプローチは、まさにロキシー・ミュージックの結成思想が込められた曲「リメイク&リモデル」(改造と最構築)そのものではないか? そうしたやり方は、それまでになかったもの。
このヒットによってアルバム『風立ちぬ』のA面は大瀧 詠一に任されることになった。このA面は「ロング・バケーション」を半分に凝縮したような展開になっている(大瀧 自身は『大瀧詠一ソングブックⅠ』で『ナイアガラ・トライアングルvol.2』の凝縮版といっているが、間違いなく、これはミニ『ロング・バケーション』だ)。
そしてアルバムB面は、「白いパラソル」以外は鈴木茂が編曲。全曲作詞、松本隆という、80年代随一のはっぴいえんど祭りアルバムとなった。
次作「赤いスイートピー」以下、松任谷由実、細野晴臣と、はっぴいえんど近辺の作家編曲家陣の起用が次々と大成功し、怒濤の聖子黄金時代が造られる。
写真提供:ソニー・ミュージックダイレクト
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