2016年05月20日
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2016年05月20日
1973年5月、ビートルズ初のオール・タイム・ベスト盤が2枚組LP2組という形でリリースされたのは“事件”だった。
いわゆる赤盤・青盤、『1962-1966』『1967-1970』は、もともとはアメリカのオーディオ・メーカーが売り出した非公式な4枚組LP“The Beatles Alpha Omega”を撃墜するためにキャピトルが企画したものだが、EMIも賛同し、英国に残るマスター・テープからジョージ・マーティンが編纂するという“公式度の高いベスト盤”が誕生したわけである。
当時ビートルズのレコードは、英国オリジナル盤とアメリカ編集盤に準じたものに加えて、契約がゆるかった66年までのあいだに各国で勝手につくられた編集盤がカタログに残っていた。独自編集のアルバムや独自カップリングのシングル/EPは日本でも出ていたから、ビートルズは、その代表曲を簡単に押さえたいと思っていた中学生にはとてもやっかいな存在でもあった。我々の学校でも「全曲を制覇するにはどう買えばいいのか?」は話題で、英国オリジナル・アルバムとアルバム未収シングルを集めるのが手っとり早いという結論が導き出されていたぐらいである。
けれども、そんな話をできる仲間はクラスに2~3人だった。ビートルズを聴いていたのは全校生徒の5パーセント程度、洋楽ロックとなると3パーセントに満たなかったのではないかと思う。
赤盤・青盤が出る直前まで、ちょっと田舎のレコード屋さんの壁には『レット・イット・ビー』やサイモン&ガーファングルの『明日に架ける橋』が飾ってあった。日本の洋楽史に残るモンスター・セールスを記録した70年発表の2枚ではあるが、リリースから3年近く経ってもそれというのはないだろう。いま思えば、リスナーをバカにしたような話だ。私がよく通っていたレコ屋は少しマシだったが、それでも72年暮れぐらいまで、ポールの『ラム』やジョンの『イマジン』、ピンク・フロイドの『おせっかい』やレッド・ツェッペリンの『Ⅳ』といった71年の名作が壁に並んでいた記憶がある。洋楽の、とくにアルバムに関してはレコ屋の知識が追いついていなかったから、長く売れているものを目立つところにディスプレイする、という単純な理由だったのだろうが…。
赤盤・青盤はそういうのんびりしたペースを変えた、画期的なアルバムだった。解散という区切りがついたことで評価が定まり、別格として扱われるようになったビートルズの歴史が、たった3時間で俯瞰できるというスピード感が中高生にはうってつけで、洋楽への入口としても最適だったからだ。
けれども、どうやったらビートルズの全曲を攻略できるかを考え、すでに何枚もレコードを買っていた我々の前に、突如「〈ミッシェル〉って良い曲だよね~」などと言い出す“にわかファン”が現れたのには辟易だった。そのうちに、「あれれ? きみはまだ赤盤も青盤も買ってないの?」なんてヤツまで出てくる始末。アタマに来た私はジミ・ヘンドリンクスの映画のサントラ盤2枚組なんてのを無理して買って、「ビートルズはもう解散してるじゃん。これからはこういうのだよ」と見せびらかしたりしたものだ。いま考えれば、「おいおいジミヘンはもう死んじゃってるぜ」とツっ込んでくるヤツがいなかったこともお笑いだけれど、洋楽は本当にその程度にしか知られていなかったのである。
赤盤・青盤が出たころ私が夢中で聴いていたのは輸入盤屋でついに見つけたヴェルヴェット・アンダーグラウンドだったが、ヴェルヴェッツの話をできる友だちは、13クラスあった学年でたったひとりしかいなかった。
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