2016年06月05日
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2016年06月05日
1962年6月6日はビートルズがEMIの初めてのオーディションを受けた日。
最近の研究では、オーディションとは名ばかりで、契約に基づいた初のEMI公式レコーディングだったとの説もあるが、どちらにしろ、ジョン、ポール、ジョージ、ピートの4人はさぞかし緊張していたことだろう。貴重なそのセッションの音源は1995年発売の「アンソロジー1」で聴くことができる。
ところで、このセッションを見学した日本人がいたらしい。その人とは、作曲家の船村徹だ。船村が2002年に著した『歌は心でうたうもの』に、その記述があり、元々は同年の日本経済新聞の「私の履歴書」に連載していたものだ。
担当者(ロン・リチャーズ?)に意見を聞かれ、「あの汚いグループは面白い」と、やんわりとながら若きビートルズを推した船村。後年のポピュラー音楽史に残る輝かしき活躍を考えれば、流石な慧眼ではないだろうか。もっとも一寸思い出して書いてみた程度の記述で、大事にも思っていない印象が感じとれる。
そもそもの渡欧にいたる動機だが、東映製作のアニメ映画『少年猿飛佐助』の音楽を船村が担当、後に映画が「マジック・ボーイ」のタイトルで、米MGMの配給で海外に公開され、評判となる。その音楽が高い評価を受け、英EMIと仏パテ・マルコーニから招待があったからとのことらしい。
当時、自由な海外の渡航はできない時代であり、その上、船村のプライベート面のトラブルもあり、願ってもない渡欧だったようだ。渡欧は2年余りに及び、コペンハーゲンに一軒家を借り、英EMI社や仏パテ社にも足を運んだ、とある。
1961年3月に出発したようだが、直前まで、村田英雄「王将」の作曲とレコーディングに立ち会っていたらしい。「王将」はまず1961年9月にLPの収録曲として発表され、後の1961年11月にシングルとして発売したので、実に発表まで半年の開きがある。
アメリカン・ポップスが全盛の中 あえて古臭さを推した作品を作ろうと思ったものらしいが、これほどの反響が出るとは思っていなかったそうだ。予想外の大ヒットを受け、日本に一時帰国し、村田の歌舞伎座での公演で指揮を振り、1回歌っただけでは客は納得せず、実に計5回も指揮を振った、とある。
作曲家としては、ポップス、ロック系の曲は少ないものの、国産ロック第一号とも称される小林旭の「ダイナマイトが百五十屯」(1958年11月発売)の作曲者である。しかし、陽気な音頭のようなロカビリーで、「陰」のイメージの多い船村作品では、少々、異質な作品といえるだろう。
内藤洋子「白馬のルンナ」(1967年7月発売)や、舟木一夫など若者向けのヒット作もあるが、極め付けの曲は森本和子の「ハイティーンゴーゴー」(1966年4月発売)や、船村門下の弟子で民謡歌手志望だった、海道はじめの「スナッキーで踊ろう」(1968年1月発売)のような怪作ではなかろうか。「スナッキー」を調査したテレビ番組でも、「(ビートルズに代表される)ロックの隆盛に対応しようと思った」とインタビューで答えていたものを見た記憶がある。
リズム歌謡などにも対応したビクター専属の吉田正などとは違い、ポップス系の作曲家ではないが、時流に乗ろうとしても、ロックに適合できなかったといってしまっては酷だろうか? しかしながら、先に記述した傑作、怪作を聴いてみると、船村徹を「演歌の大御所」というだけの評価も、一寸惜しいような気持ちも感じてしまう。
船村徹とビートルズという繋がらないもの同士の奇妙な縁だが、世の中にはこういう縁もあるものなのかも知れない。
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