2018年09月24日
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2018年09月24日
まもなく日本にやってくるポール・マッカートニー。今回も、愛妻ナンシー・シェヴェルと仲良く手を繋ぎ、「押忍(オス)」と言いながら空港にやって来るのだろうか。
そのナンシーはポールの3番目の妻になるが、ポールの妻と言えば、ビートルズ解散のショックでスコットランドの農場に引きこもったポールを励まし、ソロ活動へと気持ちを上向きにさせたリンダが、ポールにとってもファンにとっても「長年の伴侶」として忘れがたい存在だろう。リンダはその後ウイングスのメンバーとなり、21世紀を迎える直前までポールに寄り添った。ポールが別々に寝たのは80年に日本で捕まって「ダーク・ルーム 」で過ごした時だけだったというほどの仲睦まじさだった。あくまでポール曰く、ではあるけれど。
さて、9月24日はリンダ・マッカートニーの誕生日である。生きていればポールより1歳上だから77歳だった。2人の出会いは、67年5月15日に遡る。ロンドンのナイトクラブ「バッグ・オネイルズ」にジョージィ・フェイム・アンド・ザ・ブルー・フレイムズの演奏を聴きにきたポールがリンダと出会う。さらにその4日後の5月19日、ビートルズのマネージャー、ブライアン・エプスタインの自宅で開かれた『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』の完成記念パーティーに、リンダはカメラマンとして顔を出し、ポールと再会した。幸いにもポールにあれこれ質問するリンダとの「ツーショット」が残されているが、まんざらでもないポールの表情は見逃せない。さらに翌68年5月14日、アップル設立のための記者会見をニューヨークで開いた際に2人は再会し、これがきっかけで交流が深まっていった。
リンダ・イーストマンは、1941年、ニューヨーク郊外の高級住宅地スカーズデイルで、弁護士の父と、衣料品店を創業した資産家の娘だったという母の間に生まれた。1歳の誕生日には、音楽関係の仕事を主にしていた父から、「リンダ」という曲をプレゼントされた。この曲は、父がソングライターのジャック・ローレンスに依頼して書いてもらったものだが、47年にレイ・ノーブル楽団(全米1位)、63年にジャン&ディーン(全米28位)のヒットとなったというのだから、リンダは、「ビートルズと女たち」の中ではオノ・ヨーコに匹敵する「裕福な子供時代」のエピソードの持ち主でもあったわけだ。
62年に、まだ大学生だったリンダは、地質学者のジョセフ・メルビル・シーと結婚し、ヘザーをもうけるが、1年足らずで離婚。その後、プロの写真家デヴィッド・ダルトンと付き合うようになり、それがきっかけでカメラの道へと進む。そして66年、ローリング・ストーンズが『アフターマス』の宣伝のためにニューヨークを訪れ、ヨットでパーティーを開いた際に撮った写真が気に入られ、それがきっかけで、音楽関連を主とした写真家としての道が開けた。その後、60年代後半にかけてリンダが撮影した著名なロック・ミュージシャンの写真は、彼女の写真集『Linda McCartney's Sixties: Portrait of an Era』(92年)などに掲載されている。
写真家の仕事を得たことがポールとの出会いに繋がり、69年3月に2人は結婚。リンダが癌で98年4月17日に亡くなるまで、3人の子供メアリー、ステラ、ジェームスと家族仲良く暮らした。長女メアリーは写真家、次女ステラはファッション・デザイナー、長男ジェームスはミュージシャンとして活動を続けている。
ポールが菜食主義や動物愛護に関心を持ち、加えて相撲好きになったのも、すべてリンダの影響によるものだ。闘病中のリンダのためにポールは、「シーサイド・ウーマン」などの過去の曲も含むリンダ唯一のソロ・アルバム『ワイド・プレイリー』を98年に制作し、亡くなった後の2000年には、クラシカル作品『ア・ガーランド・フォー・リンダ』(00年)をリンダに捧げた。
≪著者略歴≫
藤本国彦(ふじもと・くにひこ):『ビートルズ・ストーリー』編集長。主な編著は『ビートルズ213曲全ガイド 増補改訂新版』『GET BACK...NAKED』『ビートル・アローン』『ビートルズ語辞典』『ビートルズは何を歌っているのか?』『ビートルズはここで生まれた』など。映画『ザ・ビートルズ~EIGHT DAYS A WEEK』の字幕監修(ピーター・ホンマ氏と共同)をはじめ ビートルズ関連作品の監修・編集・執筆も多数。
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