2017年06月29日
スポンサーリンク
2017年06月29日
1966年6月29日午前3時39分、台風騒動の中、日航機412便「松島」がビートルズを乗せて羽田空港に到着。この日は1日中、記者会見や取材などが中心となった。
翌30日夜から7月1日昼夜、7月2日昼夜の3日間の5公演が武道館コンサート。
初日30日夜、前座が終了した後19時35分頃、待ちに待ったビートルズが登場。
ダーク・グリーンの大きな襟のついた、黒い上下のスーツ。上着はダブルのボタンで、赤いシャツ、というのが生で初めて見るビートルズの衣装だった。
見慣れたリンゴのラディックのドラムと、ポールのヘフナーのバイオリン・ベース。しかし、ジョンとジョージのギターは初めて見るエピフォン・カジノだ。
この日のギターやベースのチューニングは半音下げてあった。台風の中の来日での疲れのせいでの考慮だったのだろう。ただ、そのために全体のチューニングにしまりがなく、それに加え、武道館のステージのマイク・スタンドのセッティングやステージの揺れなどのおかげで、回転してしまうマイクをポール・マッカートニーが歌いながら何度も直すシーンがあるという、あまり良いステージではなかった。
この公演でテレビで収録されたのは6月30日の夜と7月1日の昼の部の2回。
7月1日の昼の部はさすがに前日のマイクセッティングなどは直してあり、ビートルズの楽器もレコードで聴くのと同じ、正しいチューニングに直されていた。
前日の衣装の黒い上着が白地に赤のピン・ストライプの上着に変わっている。黒のズボンと赤いシャツは同じだった。日本テレビでオンエアされたのは、この1日の昼間に収録されたステージが、その日の夜にオンエアされた。
今回はこの7月1日昼の部のコンサートと、レコーディングされた音源とを比較してみることにする。
1曲目「ロック・アンド・ロール・ミュージック」
ビートルズは登場すると、簡単なチューニングやギターの音が出ているかどうかを確認する。ジョン・レノンがいきなり、ギターでコード「E7」を「♪キャ・キャ・キャ・キャ」と弾き、歌い始める。ジョンの歌に続いて、全員の音が入って来た時に、軽い驚きがあった。
この曲のイメージとしてはリンゴ・スターの叩くシンバルは8分音符で叩いているのだと思い込んでいた。ステージで1小節で4回という4分音符でシンバルを叩くのを見て、「あれ!こんなに楽に叩いているの?」と手を抜いているのではないかと思ったほどだった。1957年にイギリスで発売されて以来、ビートルズがずっと聴きまくっていたチャック・ベリーの曲。レコーディングでこの曲はポール・マッカートニーがピアノを弾き、そのために珍しくジョージ・ハリスンがベースを弾いて4人で演奏している。しかもテイク1でOKを出しているほど演奏し慣れた曲なのだ。このポールの弾くピアノのドライブ感が耳に残っていたためにちょっと弾んだ8ビートと錯覚していたのだった。
ステージではいつものビートルズと同じ編成でポールがベースを弾き、ジョージがギターを弾いている。その結果、ピアノで弾いていた「♪If You wanna dance with me」の歌のバックのユニゾンのフレーズはギターが弾いている。
曲が終わると同時にジョンが2曲目「シーズ・ア・ウーマン」のイントロの「E7」を2拍、4拍のリズムで「♪ンッ・キャ・ンッ・キャ」と弾き始める。「♪E7→D7」を2小節ずつ弾き次の「A7」を弾くと同時にポールのベースと、リンゴのドラムスが参加してくる。そしてポールのリード・ボーカルだ。ワン・コーラス目はジョージはまったくギターを弾かず客席に向かって手を振っている。この曲もレコードのリズムトラックのレコーディングではジョージは間奏しか弾いていないのだ。ツー・コーラス目からはポールのピアノが歌のメロディをなぞる音がオーバーダビングされているのだが、ステージではそれをジョージがギターで弾いている。間奏後のサビはカットされていて、エンディングのポールのシャウトで盛り上がって終わる。
初めてポールの喋りが入ってきた。「ドウモ、ドウモ、サンキュー」という日本語混じり。次にジョージが歌う曲を紹介する。3曲目「イフ・アイ・ニーデッド・サムワン」。ジョージはギターを来日直前に入手した2台目のリッケンバッカー360/12、新しい12弦ギターに持ち替える。7フレット目にカポタストが付いている。ちなみに前日30日夜の半音下げたチューニングの時は、6フレット目にカポが付いていた。サビのジョンのスリー・フィンガー風のピッキングは良く聴こえている。
曲が終わると、今度はジョンの喋り。4曲目「デイ・トリッパー」を紹介する。ほとんどレコードと変わらない構成。ジョンの魅力的な声が印象的だ。
曲終りですぐに喋り無しで5曲目の「ベイビーズ・イン・ブラック」のイントロだ。このボブ・ディランにインスパイアされた曲も、この時期よく演奏していただけあって、ほとんどレコードと変わらない演奏である。間奏ではワルツを踊るようなステップを見せる余裕さえある。ビートルズの実力が発揮されている。4人だけでこのサウンドをキープしているのは、ハンブルク時代から演奏し続けてきた4人のライブ経験が生きている。前座をつとめた日本人のバンドはほとんどが、歌手とバンドという昔からのスタイルだった。ビートルズは演奏と歌やコーラスを4人だけで賄っているのである。
今度はジョージが挨拶代わりの曲紹介、6曲目「アイ・フィール・ファイン」。ジョンがイントロのフィードバックの「ギヨーン」という音を出そうとして、ギターをアンプに近づけて、ギターの4弦の開放音の「D」を弾くが、それ程効果は出ていない。そのまま印象的なイントロのリフをアップ・ストローク中心のピッキングで弾く。この曲もレコード通りのグレードの高さを見せつける。
曲が終わるとまたジョージの喋りで7曲目「イエスタデイ」を紹介する。曲紹介と同時に、ジョージではなく、ジョンがギターでコードを弾き始める。ポールがベースを静かに、ほとんど触る程度に弾きながら歌っている。たまにジョージがストリングスのフレーズのようなオブリを入れるが基本的にはジョンのギター1本のバックでポールが歌っている。これまでのステージでの「イエスタデイ」はポールがアコースティック・ギターに持ち替えて歌うというケースが多かったので、このパターンは初めてだった。
ポールの歌が「ウー・ウー・ウー・ウー・イエスタデイ」で終わると、そのままポールがリンゴの歌う8曲目「アイ・ウォナ・ビー・ユア・マン」を紹介。リンゴはこの意外とテクニックが必要な、少し弾んだリズムのドラムスを難なく叩きながら歌っている。前日はリンゴのボーカルマイクのセッティングが低すぎて、歌いにくそうだったが、このステージでは正しい高さに直っている。
歌い終わってリンゴが左手でマイク・スタンドをどけている時に、「サンキュー・リンゴ」とジョンの声が入り、9曲目「ノー・ホエアー・マン」を紹介する。「イフ・アイ・ニーデッド・サムワン」についで一番新しいアルバム『ラバー・ソウル』からの選曲だ。
この2曲はコーラスが中心の曲なので、セット・リストに入らないと勝手に思いこんでいた。これは嬉しい驚きだった。レコードではジョージが間奏の最後で出す、1弦の5フレットでのハーモニックスの「ピーン」という音は昨日、5フレット目の「E」が出にくかったために7フレット目の「B」を弾き直し「ピーン、ピーン」と2発鳴らしたが、この日は始めから7フレット目の「B」のハーモニックスを鳴らしていた。間奏後のコーラスで、ジョンが歌詞を間違えポールを見ながら適当に誤魔化すシーンがあったが、これも良くあるジョンらしいので、よいシーンが見られたということだろう。
ポールの「ドウモ、ドウモ」の喋りの後、またまた驚きの曲紹介だ。わずか2週間前に発売されたばかりの複雑なコーラスの10曲目「ペイパーバック・ライター」を紹介した。さすがにこの曲は絶対にセット・リストに入らないと思っていただけに、本当にビックリ。突然、ジョンとポールのハーモニーで「♪ペイパーバック・ライター」と歌いだし、伸ばしているところに重ねて、ジョージが「♪ペイパーバック・ライター」と追いかける。そこにギターのリフが重なってくるという複雑な構成の曲だ。レコードではコーラスのダブル・トラッキングなどで、もっと複雑な音の積み重ねだったが、ステージでも十分に聴きごたえのあるハーモニーやアレンジになっていた。
そして、とうとう最後の曲になってしまった。11曲目「アイム・ダウン」である。ポールがずっと作り上げたかった本物のロックン・ロールであり、「ロング・トール・サリー」に匹敵する曲を作るということを意識して作った曲だ。いまや、この2曲はステージ最後の曲の定番になっている。レコーディングでは2回ある間奏の2回目は、ジョンがVOXのオルガンを弾いていて、前年の1965年8月15日の伝説のシェイ・スタジアムのコンサートでもジョンは肘でオルガンを弾いていた。武道館のステージにもVOXのオルガンはセットしてあったのだが、残念ながら、一度もオルガンを使うことはなかった。曲が終わると、アンコールは無し。4人は手を振りながらステージの後ろに消えていった。
3日間で全5回のステージをこなし、最初で最後のビートルズ来日公演は終了した。
≪著者略歴≫
川瀬泰雄(かわせ・やすお):東京音楽出版(ホリプロ)で井上陽水、浜田省吾、山口百恵など、キティ・レコードでH2O、岩城滉一、吉永小百合などの音楽プロデュースを担当。独立後は、松田聖子、 岩崎宏美、裕木奈江などを制作。約 1,600曲を手がけた。『真実のビートルズ・サウンド』、『プレイバック 制作ディレク ター回想記』、『ニッポンの編曲家』、4月13日発売の「真実のビートルズ・サウンド完全版 全213曲の音楽的マジックを解明」(リットーミュージック)の著書もある。
本日10月18日は、ロックン・ロールのパイオニアのひとりチャック ベリーの誕生日。御存命ならば92歳を迎えたことになる。チャック・ベリー、バディ・ホリー、エディ・コクランといった自作曲をギターを...
1966年6月30日のザ・ビートルズ来日公演以来、東京・九段の日本武道館(以下武道館)は、洋邦ポップ/ロック・アーティストのコンサート会場としても親しまれてきた場所であろう。その後も、モンキーズ...
今から38年前の今日1980年1月16日、ウイングス初の日本公演ツアーのため成田に到着したポール・マッカートニーが税関で逮捕。9日間に亘る勾留生活秘話と驚愕の“シークレット・ライヴ”。text ...
曲の出だしやアルバムの1曲目で聴き手を「アッ」と驚かせる。ビートルズにはそうした工夫や仕掛けが多い。カウントで始めたり、いきなり歌い出したり、SE(効果音)を入れてみたり、という具合にだ。そんな...
本日はリンゴ・スターの誕生日。懐かしきブリティッシュ・ビート時代の名ドラマーには、洒落たドラミングのテクニシャンが何人もいたけれど、リンゴ・スターはむしろその対極だった。重く深いビート感を持ちな...
映画『ハード・デイズ・ナイト』は、64年7月6日にロンドンのパヴィリオン劇場で初公開された。ロンドンで行なわれるテレビ・ショーに出演するビートルズの2日間をドキュメンタリー・タッチで追ったこの瑞...
本日7月5日は『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』の日本発売の日である。いわずとしれたビートルズの最高傑作盤と知られている。しかし60年代当時この盤を買った若者の間での評...
ポール・マッカートニー「カミング・アップ」はそのアルバムからの第1弾シングルとして発売され、80年6月28日に全米1位となった。とはいえ、1位になったのは、A面に収録されたポールのソロ名義のスタ...
ジョージ・ハリスンと「言わなくても通じる」付き合いを長く続けていたのは、元「ラトルズ」のダーク・マックィックリーことエリック・アイドルである。ラトルズはご存知のとおり、ビートルズのパロディ・バン...
1968年3月16日付けの全米シングル・チャートにおいて、オーティス・レディングの「ドック・オブ・ザ・ベイ」が第1位に輝いた。彼にとって念願のナンバーワン・ヒットだったが、前年の12月10日に起...
1969年1月30日は、映画『ザ・ビートルズ~EIGHT DAYS A WEEK ‐ The Touring Years』の最後の場面にも象徴的に登場する、アップル・ビル屋上で劇的な演奏が披露さ...
今日11月24日は、ザ・ビートルズのレコード・デビュー前のドラマーだったピート・ベスト75歳の誕生日。世界的ロックスターにはなれなかったが、今やビートルズ“存命組”として、ポール・マッカートニー...
1968年9月28日はメリー・ホプキン「悲しき天使」がイギリスでチャート1位を獲得した日となる。アップル・レコードの設立に際して、ポール・マッカートニーは有望な新人アーティストを探していた。そん...
「新鮮で純粋だった。何と言っても存在感があった」1961年11月9日、リヴァプールのキャヴァーン・クラブで演奏する4人を初めて見た際のビートルズのマネージャー、ブライアン・エプスタインによるコメ...