2018年01月16日

今から38年前の今日1980年1月16日、ウイングス初の日本公演ツアーのため成田に到着したポール・マッカートニーが税関で逮捕される

執筆者:中村俊夫

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今から38年前の今日1980年1月16日午後3時頃、ウイングス初の日本公演ツアーのために妻のリンダや子供達、ウイングスのギタリスト、ローレンス・ジューバと共にニューヨークから成田空港に到着したポール・マッカートニーは、税関で荷物検査を受けた際にスーツケースの中からビニール袋に入れた219グラム(当時の末端価格で約70万円)の大麻が見つかり、大麻取締法違反と関税法違反で東京税関成田支署に現行犯逮捕された。ポールの身柄は直ちに東京・中目黒にある関東信越地区麻薬取締官事務所に移送。簡単な取り調べの後、深夜には新橋の警視庁留置施設に収容された。以後、取り調べのために新橋と中目黒を往復する以外は監禁状態の留置所生活が始まる。


勾留中のポールは「22番」と番号で呼ばれ雑居房に収容された。毎朝起床後に点呼があり、朝食はバターを塗ったパンとチーズ、みそ汁の他、ベジタリアンの彼のために煮野菜が供されることもあった。この朝の日課で覚えたのだろう。帰国後ポールは「ニジュウニバン」「テンコ」「ミソシル」という日本語を友人たちに得意げに披露していたそうだ。後年のインタビュー(2001年4月24日付英デイリー・メール紙)で「最初の三日間はとっても怖くてほとんど眠れなかった。眠れたとしてもひどい悪夢にうなされた」と当時の心境を語っているが、「体操の時間」と称される運動場での喫煙タイムだけは他の囚人たちと話すことが許されたので毎日楽しみにしていたらしい。


この「体操の時間」に通訳を務めたのが過激派メンバーの大学生で、彼を通じて拳銃密輸事件にからみ仲間を射殺した罪で勾留されていた元広域指定暴力団の幹部とも言葉を交わすようになる。ポールは彼のことを「背中に大きな入れ墨があるヤクザ」と鮮烈な印象で記憶していた(前出のインタビューより)。そして、彼のリクエストに応えてポールは、出所前日の就寝前の夜7時頃、床を叩いてリズムをとりながら「イエスタデイ」や「上を向いて歩こう」をアカペラで歌ったそうだ。囚人たちは拍手喝采し、看守の警官も見て見ぬふりをしていたという。この警官もヤクザ氏を通じてポールのサインを貰っていたというのだから当然だろう。そう、後にスネークマン・ショーのアルバム『急いで口で吸え』(81年)で話題を呼んだギャグ「はい、菊池です」は実話だったのだ。ちなみにこの警官、その後、本件が発覚して地方に飛ばされたそうである。


9日間の拘留期間を終えた1980年1月25日、ポールは強制送還され成田空港を飛び立った。75年にもマッカートニー夫妻の過去のドラッグ関係裁判歴を理由に法務省がビザを取り消したために、11月19日~21日まで予定されていたウイングスの日本武道館公演が中止になっているが、今回も東京、大阪、名古屋で計11回行われるはずだった公演は中止。チケット9万4千枚はすでに完売しており、ポールの事務所は当時の金額で約200万ポンドとも言われている損害賠償金を支払ったため、一時的に事務所の運営にも支障をきたしたという。そして、ウイングスの日本公演は永遠に幻となってしまったのである。


本来、二度の麻薬がらみ事件での公演中止ということで、ポールは入国管理局のブラック・リストに登録され、日本には永久に入国できないと思われていた。しかし、10年後の1990年3月、ビートルズでの日本公演以来24年ぶりにポールはソロ来日公演を実現しているのだ。これには、人質の釈放と引き換えに犯人の要求に応じ勾留中の仲間を解放した70年代の日本赤軍事件と同じような超法規的措置が、ポールの事件にも取られ、逮捕はおろか80年にポールが入国したという事実さえ法務省や検察庁の記録から抹消されているからという説(当時の担当麻薬取締官の証言)もある。真偽のほどは明らかでないが、勾留中に英国大使をはじめエドワード・ケネディ米上院議員や英国会議員からも日本政府に抗議があったらしいので、外交上の問題までに発展するのを恐れた政府の対応策のひとつとして、考えられなくもないだろう。


この事件関連の音楽作品としては、ウイングス解散後のポール初ソロ・アルバムとなった『マッカートニーⅡ』(80年)収録の「フローズン・ジャパニーズ」「ダーク・ルーム」、デニー・レーン3枚目のソロ・アルバム(80年)のタイトル曲で日本ではシングル・カットもされた「ジャパニース・ティアーズ」が有名。ポールが逮捕されている間、日本滞在中の家族の面倒をみていた元サディスティック・ミカ・バンドの福井ミカが、リンダを伴ってYMOの新作アルバム『増殖』(80年)のレコーディング現場を訪れた際に、ポールの囚人番号「22番」を用いたナレーションで飛び入り参加した「ナイス・エイジ」も忘れられない。このナレーション部分で聴ける「He’s coming up like a flower」というフレーズは、『マッカートニーⅡ』収録曲でシングル・カットされた「カミング・アップ」のヒントとなったものと思われる。


留置所での“シークレット・ライヴ”の呼び掛け人となったヤクザ氏は、15年の刑期を終え出所後、関東某所で肉体労働をしながら農業に従事。ポールが獄中で歌ってくれた「イエスタデイ」を聴いたことが更生するきっかけとなったと語る彼の半生とポールとの心の触れ合いは、瀧島祐介・著『獄中で聴いたイエスタデイ』(鉄人社)に詳しい。ぜひ一読をお勧めする。

「マッカートニーⅡ」「ジャパニース・ティアーズ」「カミング・アップ」ジャケット写真撮影 協力:中村俊夫


≪著者略歴≫

中村俊夫(なかむら・としお):1954年東京都生まれ。音楽企画制作者/音楽著述家。駒澤大学経営学部卒。音楽雑誌編集者、レコード・ディレクターを経て、90年代からGS、日本ロック、昭和歌謡等のCD復刻制作監修を多数手がける。共著に『みんなGSが好きだった』(主婦と生活社)、『ミカのチャンス・ミーティング』(宝島社)、『日本ロック大系』(白夜書房)、『歌謡曲だよ、人生は』(シンコー・ミュージック)など。

獄中で聴いたイエスタデイ 単行本(ソフトカバー) – 2015/9/17 瀧島祐介 (著)

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