2017年06月28日
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2017年06月28日
ポール・マッカートニーが、80年の幻の日本公演でも間違いなくやっていた新曲。今回のテーマはその曲――「カミング・アップ」についてだ。
「定型」に則ったメロディアスな曲を書くだけでは、きっと飽きちゃうんだろう。何でもできちゃうポールは、だからこそ、前衛音楽やクラシックやテクノやハウスなど、気の赴くままに録音し、時には作品として発表する。「カミング・アップ」も、もしかしたら発表されずに埋もれた曲で終わっていたかもしれない。というのは、この曲が収録されたアルバム『マッカートニーⅡ』はもともと、YMOなどのテクノ・サウンドを気に入ったポールが、車の中で自分で楽しむために作った曲のひとつだったからだ。でも、周りに聴かせたら好評だったので、ポールは、それならアルバムとして公表しようという気になったというわけだ。2枚組で発表できるぐらい曲数も多かったが、さすがに「商業的」には1枚のほうがいいという判断があり、最終的には全11曲収録のアルバムとなった。
「カミング・アップ」はそのアルバムからの第1弾シングルとして発売され、80年6月28日に全米1位となった。とはいえ、1位になったのは、A面に収録されたポールのソロ名義のスタジオ・ヴァージョンではなく、B面に収録されたウイングスの79年のグラスゴーでのライヴ・ヴァージョンだった(全英はA面が2位)。ウイングスのライヴで取り上げるほどポールはこの曲を気に入っていたということだ。実際、89年以降にコンサート活動を再開させたポールは事あるごとに「カミング・アップ」をライヴで披露している。2017年の日本公演も含め、最近は「公開リハーサル」の場でたまに演奏するぐらい。なんで本チャンでやらないのだろうか。
この曲を気に入っていたのは、ポールだけではなかった。「まさか!」という声も聞こえてきそうだけれど、ジョン・レノンである。息子ショーンの子育てを中心に76年以降、主夫生活を送っていたジョンは、80年4月9日に一家で休暇を兼ねてロング・アイランドのコールド・スプリング・ハーバーに到着した。その翌日、車中のラジオから流れてきたのが、ポールのニュー・シングル「カミング・アップ」だった。個人秘書だったフレッド・シーマンの回想によると、ジョンはポールの新曲に刺激を受け、翌日も「頭から離れない」と言って、メロディを口ずさんでいたという。
ジョンはその後に「ディア・ヨーコ」を作曲。さらに6月から7月にかけて、滞在していたバミューダで「ビューティフル・ボーイ」「ボロウド・タイム」「アイ・ドント・ウォナ・フェイス・イット」「アイム・ステッピング・アウト」「ディア・ヨーコ」「ウォッチング・ザ・ホイールズ」「サーヴ・ユアセルフ」「ウーマン」「クリーンアップ・タイム」の9曲のデモ・テープを作成し、音楽活動再開に向けて再び歩み出した。と、このように、ポールの「カミング・アップ」がジョンのやる気を引き出したというのは、二人の「ライバル関係」を思うと、とてもいいエピソードだと思う。
「カミング・アップ」は、PVも面白かった。ポールがバディ・ホリーやハンク・マーヴィンなど“自分”も含めて10人に扮した演奏シーンを収めた秀逸な映像で、マイク片手に中央で歌うポールは、90年の日本公演で同じくマイク1本を握りしめて「P.S.ラヴ・ミー・ドゥ」を歌った時のようなカッコ悪さは微塵もなかった。ドラムのロゴに“THE PLASTIC MACS”と書かれているのも、ローリング・ストーンズの映画『ロックン・ロール・サーカス』(68年)に“The Dirty Mac”名義で出演したジョンへの洒落た返答のようで、それもまた二人の“仲の良さ”を表わしているように思えた。
もうひとつ、YMOの『増殖』(80年)に収録された「ナイス・エイジ」にまつわるちょっとしたエピソードがある。その曲のナレーションは元サディスティック・ミカ・バンドのミカによるもので、ミカは、ポールが日本で捕まった時の囚人番号「22番」の状況を「ニュース速報」として読み上げている。そこに“Coming up like a flower”という一節も登場するのだ。来日時にポールとYMOがレコーディングをするという噂もあったので、ウイングスのライヴで披露されていた「カミング・アップ」をすでにYMOのメンバーは耳にしていたのかもしれない。
≪著者略歴≫
藤本国彦(ふじもと・くにひこ):CDジャーナル元編集長。手がけた書籍は『ロック・クロニクル』シリーズ、『ビートルズ・ストーリー』シリーズほか多数、最新刊は『GET BACK… NAKED』(12月15日刊行予定)。映画『ザ・ビートルズ~EIGHT DAYS A WEEK』の字幕監修(ピーター・ホンマ氏と共同)をはじめビートルズ関連作品の監修・編集・執筆も多数。最新刊は『ビートルズ語辞典』。
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