2017年07月05日
スポンサーリンク
2017年07月05日
本日7月5日は『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』の日本発売の日である。いわずとしれたビートルズの最高傑作盤と知られている。しかし60年代当時この盤を買った若者の間での評判はどうだったのだろうか? 僕の周りの68年当時のロック好きなお兄さん方の共通見解は「ビートルズはハードな『リボルバー』が一番イカす」というものだった。ヴァニラ・ファッジ、クリーム、ジミヘンが人気で、翌年レッド・ツェッペリンがデビューする。ようするに若者の好みは、よりヘヴィーな音を求めて急旋回していたのだ。
僕は71年頃に赤いヴィニール盤で買ったが、そんな時代の中で「大人しいな」と思ったことをまざまざと思い出す。
問題は日本人が、めざせ新三種の神器=ステレオでステレオバージョンを聴いていたことだ。
『ザ・ビートルズ・サウンド最後の真実』でジェフ・エメリックはこう言う。「真のビートルズ・ファンならばモノ・バージョンを入手すべき。ステレオとは比較にならないほどの時間と労力がモノには投入されている」と。しかし日本人は60年代当時、すでに、三種の神器に追いつけ!とステレオを応接間に置き出していた。モノラルプレーヤーは普及していなかった。
だから、日本人はステレオの『サージェント~』しか知らない。僕が真のモノ・バージョンを聴いたのは14年のモノ・アナログ・ボックスだった。(2009年のモノCDボックスは何故かレベルが低く、本物の迫力を出していない)それは『リボルバー』に感じたゴリゴリとした手ごたえだった。
今回のリミックスステレオ版は、そんなパワフルなモノ盤の手ざわりをステレオミックスで実現するために行われたプロジェクトだ。今までヘナヘナとしたステレオバージョンしか聴いたことのないほとんどのビートルズ・ファンのために為された作業だ。だから作為的にリミックスでサウンドを誇張したりしているわけではない。
さらに従来の盤では到底知りようのない、ラジカルなビートルズが、今回の「セッション・トラックス」のバージョンで現れた。タイトル曲や「ゲッティング・ベター」「ラブリー・リタ」等、のヘヴィーなサウンドはどうだろう? 管、弦、装飾的な上物を取り去り、下から出てきたのは、驚くべきヘヴィーネスであった。分離されて低音要素を増し暴れるベースとギター。そして、どっしりと重いドラム。リンゴの好きな低いチューニングや録音の創意工夫で得られた音像だ。
それはずばり90年代のグランジ・ロックの祖先なのだ。ビートルズは「ヘルター・スケルター」の前に、すでに1967年にグランジを発明していた。
「セッション・トラックス」を聴いて今どきのエンジニアが、大げさなエフェクトをかけたんじゃないかと勘違いする人もいるかもしれない。しかし、ナチュラル音でレコーディングされたサウンドだ。ベースやドラムの低音成分をガシっと捉えること。それが現在までのロックのハード化への道だったのだ。「低音がリードするロック・サウンド」の発明だった。
ポール・マッカートニーは自らがグランジの元祖であることを示すように、2013年映画『サウンド・シティ』サウンドトラック盤「Cut Me Some Slack」という曲で、ニルヴァーナのデイヴ・グロールと共演を果たしている。それはやはり「ヘルター・スケルター」に似た曲だった。
70年代以降、マルチトラックに録音した個々の音色を機械内で徹底的にいじくりまくるという時代が来る直前に、ビートルズはすべてのロックに先がけて、そんなサウンドを得たが、そのため、その時代でなくしては得られない、ナチュラルだがトリップ性も高い音響感があることもその魅力である。
『サージェント~』のみが持つ、気品あふれるエコー感だ。当時のアナログ・エコー・チェンバーが大きな役割を果たした。ほとんどの曲でボーカルと楽器にリヴァーヴが聞かれる。「ウィズ・ア・リトル・ヘルプ~」「フィクシング・ア・ホール」では特に顕著だ。
この時期、EMIでは社を挙げて「響き」に取り組んでおり、「アンビオフォオニック・システム(Ambiophony)」という技術も「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」のオーケストラの録音で使用された。アビイロードスタジオ1の壁は洞穴のようになっており、そこに100個のスピーカーを均等に配置、送り込む信号のディレイ(遅延)を少しづつ変えることで部屋の音響特性をコントロールするという、とんでもなく凝った音響設計である。
サイケだが気品があり、何よりも音色の粒が揃っている。そして今回のリミックス盤でわかる通り、グランジに負けないロック魂がベースとなっている。
だから『サージェント~』はビートルズで最大の成功を収めた。
『サージェント~』が発売された時、米ライター、ラングドン・ウィナーによれば「ララミー、オーガララ、モーリン、サウス・ベンド~(どの街からも)トランジスタ・ラジオ、ポータブルのハイファイからメロディーが聴こえてきた」という。「修復できないほどばらばらになっていた西欧という意識がほんの一瞬、ひとつになった」(『メイキング・オブ・サージェント・ペパー』より)というほど文化的衝撃力をこの盤は持っていたのだ。
この盤の地味なイメージを刷新するため、ぜひ、今回のリミックス盤を聴いてみていただきたい。
≪著者略歴≫
サエキけんぞう(さえき・けんぞう):大学在学中に『ハルメンズの近代体操』(1980年)でミュージシャンとしてデビュー。1983年「パール兄弟」を結成し、『未来はパール』で再デビュー。「未来はパール」など約10枚のアルバムを発表。1990年代は作詞家、プロデューサーとして活動の場を広げる。2003年にフランスで「スシ頭の男」でCDデビューし、仏ツアーを開催。2009年、フレンチ・ユニット「サエキけんぞう&クラブ・ジュテーム」を結成しオリジナルアルバム「パリを撃て!」を発表。2010年、デビューバンドであるハルメンズの30周年を記念して、オリジナルアルバム2枚のリマスター復刻に加え、幻の3枚目をイメージした「21世紀さんsingsハルメンズ」(サエキけんぞう&Boogie the マッハモータース)、ボーカロイドにハルメンズを歌わせる「初音ミクsingsハルメンズ」ほか計5作品を同時発表。
「動く4人」の生身の映像を初めて観たファンの衝撃は、どれぐらい大きかったのだろうか。ザ・ビートルズの日常をセミ・ドキュメンタリー風に仕上げた初の主演映画『ハード・デイズ・ナイト』(公開当時の邦題...
1970年4月10日、新学期が始まったばかりの夕方、帰宅して僕が開いた夕刊には「ポール、ビートルズを脱退」の記事が大きく載っていた。翌日、4月11日「レット・イット・ビー」はビルボード誌のシング...
70年4月17日に発売されたポール・マッカートニーの初ソロ・アルバム『マッカートニー』は、ザ・ビートルズ時代の名曲・名演を期待していたファンに、思いっきり肩透かしを食らわせた。全14曲中、ヴォー...
レッド・ツェッペリン通算7枚目のアルバムとなる『プレゼンス』は、1976年の3月末にアメリカで発売(英国ではいつものようにその少し後に発売)。75年にリリースされた前作の『フィジカル・グラフィテ...
ザ・ビートルズが、自身の会社アップルの事務所をロンドンに開いたのは1968年4月6日のこと(4月16日、22日説もある)。自分たちの目の届く範囲で、独創的なアイデアを幅広く集結させながらやりたい...
ザ・ビートルズが全米ヒット・チャートに遺した前人未到の記録の中でも、とりわけ華々しく語られているのが、シングル・ランキングのトップ5独占であろう。日付は1964年4月4日。ビルボード誌Hot 1...
1月3日はビートルズの育ての親であるプロデューサー、ジョージ・ヘンリー・マーティンの誕生日である。ジョージは6歳でピアノを始め、音楽にのめり込んでいったものの、「仕事」にする気にはならず、最初に...
1962年1月1日は、ビートルズがデッカのオーディション受けた日である。よりによって、元旦にレコード会社のオーディションが行なわれることになるなんて、リヴァプールの「片田舎」からロンドンの「都会...
1962年9月11日のビートルズのデビュー・シングル・セッションは、新参者だったリンゴ・スターにとって、一生忘れることのできない思い出の日になったに違いない。1週間前の9月4日にまずEMIスタジ...
曲の出だしやアルバムの1曲目で聴き手を「アッ」と驚かせる。ビートルズにはそうした工夫や仕掛けが多い。カウントで始めたり、いきなり歌い出したり、SE(効果音)を入れてみたり、という具合にだ。そんな...
62年8月16日は、ビートルズのドラマーがピート・ベストからリンゴ・スターに代わった「歴史的」な日である。「歴史的」とつい書いてしまったが、そう書けるのはビートルズが「歴史的」な存在になったから...
ビートルズ来日50周年を記念して誕生したアップル・コープ社公認のTHE BEATLESオフィシャルウォッチ。大人のビートルズ・マニアには堪らない全世界限定1966個のプレミアム商品。大人のビート...
本日はリンゴ・スターの誕生日。懐かしきブリティッシュ・ビート時代の名ドラマーには、洒落たドラミングのテクニシャンが何人もいたけれど、リンゴ・スターはむしろその対極だった。重く深いビート感を持ちな...
映画『ハード・デイズ・ナイト』は、64年7月6日にロンドンのパヴィリオン劇場で初公開された。ロンドンで行なわれるテレビ・ショーに出演するビートルズの2日間をドキュメンタリー・タッチで追ったこの瑞...
1966年6月29日午前3時39分、台風騒動の中、日航機412便「松島」がビートルズを乗せて羽田空港に到着。翌30日夜から7月1日昼夜、7月2日昼夜の3日間の5公演が武道館でのコンサートだった。...
ポール・マッカートニー「カミング・アップ」はそのアルバムからの第1弾シングルとして発売され、80年6月28日に全米1位となった。とはいえ、1位になったのは、A面に収録されたポールのソロ名義のスタ...
ジョージ・ハリスンと「言わなくても通じる」付き合いを長く続けていたのは、元「ラトルズ」のダーク・マックィックリーことエリック・アイドルである。ラトルズはご存知のとおり、ビートルズのパロディ・バン...
1968年3月16日付けの全米シングル・チャートにおいて、オーティス・レディングの「ドック・オブ・ザ・ベイ」が第1位に輝いた。彼にとって念願のナンバーワン・ヒットだったが、前年の12月10日に起...
1969年1月30日は、映画『ザ・ビートルズ~EIGHT DAYS A WEEK ‐ The Touring Years』の最後の場面にも象徴的に登場する、アップル・ビル屋上で劇的な演奏が披露さ...