2018年03月26日
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2018年03月26日
生まれたばかりのヒナは、目の前にある、動いて声を出すものを親だと覚え込んでしまうという。いわゆる「刷り込み」という学習行動だが、筆者にとって「歌謡曲の母」ともいうべき存在が、誰あろう、いしだあゆみなのである。物心ついた頃、彼女の歌に出合っていなければ、きっと「歌謡曲愛好家」にはなっていなかった。
その刷り込みは3歳のある日、テレビから流れてきた、ある歌によって行われた。そう、彼女の出世作「ブルー・ライト・ヨコハマ」だ。1968年12月に発売されたこの曲は、昨年(2017年)、作曲活動50周年を迎えた巨匠・筒美京平が初めてオリコン1位を獲得したミリオンヒットであり、歌謡ポップス時代の到来を告げた記念碑的作品。その名曲の登場をリアルタイムで体験できたことは僥倖としか言いようがないが、年端もいかぬ幼稚園児に、橋本淳が紡いだ、大人の恋の歌詞の意味など分かるはずもない。おそらくキャッチーなメロディーと、小唄風の独特の唱法に惹かれたのであろう。もちろん、いしだのバービー人形のような美貌も、歌の魅力を一層引き立たせていたに違いない。誰だって、お母さんは綺麗な方がいい。3歳児といえども、美的感覚はあったはずだ(たぶん)。こうして曲と歌手、両方に心を奪われた筆者はすぐにドーナツ盤を買ってもらう。来る日も来る日も、ポータブル式プレイヤーで「ブルー・ライト・ヨコハマ」を聴き続ける幼稚園児。その姿に両親は呆れていたが、それでもテレビに彼女が登場すると「ほら!君の好きなあゆみちゃんが出ているよ」と教えてくれた。やがてその異常なハマリぶりは、親戚にも知られることになる。
CDが登場してからはすっかり死語になってしまったが、かつて「レコードが擦り切れるほど」という表現があった。文字どおり、それくらい聴き込むという意味であるが、実際に擦り切れたという話はあまり聞かない。だがこのときの筆者は身を以てそれを経験した。幼児ゆえ、誤って傷をつけてしまった可能性もあるが、いずれにしても、聴けない状態になるほど繰り返し聴いたことは間違いない。そしてパニックを起こした。お母さんと引き離された子供と同じである。それを聞いて不憫に思ったのであろう。当時、横浜に住んでいた伯母が、新しい「ブルー・ライト・ヨコハマ」を買い与えてくれた。「そんなに好きなら、横浜のおばさんが買ってあげる」。そう言われて2枚目の「ブルー・ライト・ヨコハマ」を手にした筆者は、母親と再会を果たしたマルコのような心境だった(アニメ『母をたずねて三千里』の放送はずっと後になってからだが・・・)。約半世紀前の出来事だが、今でも、いしだの名前や「ブルー・ライト・ヨコハマ」を聴くと、あの頃の記憶が鮮やかに甦り、甘酸っぱい多幸感に満たされる。もしかしたら彼女は、歌謡曲の魅力に目覚めさせてくれた母親であると同時に、初恋の人でもあったのかもしれない。
そのいしだあゆみは1948年3月26日生まれ。本日で古希を迎える。長崎県佐世保市に生まれ、大阪府池田市で育った彼女は4人姉妹の次女。5歳から始めたフィギュアスケートの選手として活躍していたが、その一方で児童劇団でも活動しており、梅田コマ劇場での初舞台を経て、62年に上京。作曲家、いずみたくの門下生となり、本名の“石田良子”名義でフォノシートを何枚かリリースしたのち、64年4月に「ネェ聞いてよママ」で、ビクターからレコードデビューを飾っている。劇団出身ということもあって、TBS系ドラマ『七人の孫』(64~66年)に出演するなど、女優としても活躍するが、歌手としては大きなヒットに恵まれず、4年間で23枚のシングルを発表したのち、68年にコロムビアに移籍。その第3弾シングルが前出の「ブルー・ライト・ヨコハマ」であった。大ブレイクしたいしだは、その後も「あなたならどうする」(70年/オリコン最高2位)や「砂漠のような東京で」(71年/同3位)など、コンスタントにヒットを放ち、NHK紅白歌合戦には通算10回出場している。イヴ・サンローランのオートクチュールを纏い、都会に暮らす女性の心情をたおやかに歌う姿は紅白名物の一つであった。73年公開の映画『日本沈没』で演技力が評価されてからは、『青春の門 自立篇』(77年)や『駅 STATION』(81年)など、大作映画への出演が相次ぎ、実力派女優としての地位を確立。テレビドラマでも『祭ばやしが聞こえる』(日本テレビ系/77~78年)、『阿修羅のごとく』(NHK/79~80年)、『北の国から』(フジテレビ系/81~82年)、『金曜日の妻たちへ』(TBS系/83~85年)など、各局の話題作で印象的な役どころを演じきり、次第に女優としての活動が中心となっていく。
とはいえ、決して歌を忘れたわけではなかった。77年にはティン・パン・アレイとのコラボレーションによるアルバム『アワー・コネクション』を、そして81年にはフュージョンバンド、PARACHUTEのメンバーを演奏陣に迎え、ユーミンや岩谷時子が作詞を手がけたセルフタイトルのアルバム『いしだあゆみ』を発表。前者は2013年に紙ジャケ盤が発売され、後者は2017年に初CD化されるなど、今なお名盤として音楽ファンに愛され続けている。86年には渡哲也とのデュエット曲「わかれ道」がオリコン9位のヒットを記録。93年には16年ぶりの出場となった紅白歌合戦で「ブルー・ライト・ヨコハマ」を披露するなど、折に触れて歌手の顔を見せてくれたが、最近は歌の世界から遠ざかっているようなのが残念でならない。
数々の名唱を聴かせてくれた「歌謡曲の母」の作品を、誕生日の今日は心ゆくまで味わいたい。
「ネェ聞いてよママ」「ブルー・ライト・ヨコハマ」ジャケット撮影協力:鈴木啓之
≪著者略歴≫
濱口英樹(はまぐち・ひでき):フリーライター、プランナー、歌謡曲愛好家。現在は隔月誌『昭和40年男』(クレタ)や月刊誌『EX大衆』(双葉社)に寄稿するかたわら、FMおだわら『午前0時の歌謡祭』(第3・第4日曜24~25時)に出演中。近著は『作詞家・阿久悠の軌跡』(リットーミュージック)。
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