2018年03月28日
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2018年03月28日
1977年(昭和52年)の本日3月28日、オリコン・チャート1位を射止めたのは、ピンク・レディー「カルメン'77」。ということで、恒例のPL夜話、77年春の巻です。
実は、筆者の棚に最初にやってきたPLのレコードこそ、この「カルメン'77」のシングルだった、はず。というのも、1月25日にリリースされたファースト・アルバム『ペッパー警部』を入手したのは、このシングルより先か後か、今となっては記憶が有耶無耶なのだが、人気を急激に高めていたPLに興味津々だったのを察した父が買ってきてくれたのは確かだ。「ペッパー警部」と「S・O・S」のシングルには、手元に置きたくなるほど深入りしなかったのかなぁ。いずれにせよ、小学校高学年にして、やっとレコードというメディアの面白さに目覚めていた時期のお話。
その「S・O・S」が、前年11月25日にリリースされてから3ヶ月近くかけてチャートの1位まで登りつめ、いよいよPLブーム本格到来という矢先の3月10日に、「カルメン'77」はリリースされた。今度はチャート登場2週目で1位獲得という早業。デビューから半年かけて練り上げた国民的アイドルへの導火線は、ここにきて一気にボルテージアップした。
ところで「カルメン」というと、一般的には何と言ってもビゼー作曲によりオペラ化された、フランスの作家プロスペル・メリメによる恋愛小説のイメージが大きい。まず最初にこの固有名詞(女性名)と関連付けられる言葉は「情熱」の2文字であり、ビゼーのあの威勢のいいメロディーを聴くと、いやがうえにも口に赤い薔薇の花を咥えて舞い踊る女性の姿が思い浮かんでしまう。
20世紀のポップ・カルチャーにも当然このイメージが影響を及ぼしてきた。67年にはハーブ・アルパートが、ビゼーの曲をアレンジしたポップ・インスト・ヴァージョンを発表しているし、ビゼーとは無関係ながら、65年にはブルース&テリーが「カルメン」という、ニック・デカロ作曲によるシングルをリリース。この主人公の女性も神秘的なスペイン女だ。73年はその名もズバリ、カルメンという米国のバンドが「フラメンコ・ロック」という斬新なジャンルを提げデビューを果たしている。ジタンのパッケージを模したセカンド・アルバム『舞姫』のジャケットに見覚えある方も多いだろう。
そしていよいよ77年になるわけだが、当時人気絶頂だったロックスターといえば、ラズベリーズから独立したエリック・カルメンだ。その影響力は、セカンド・アルバム『雄々しき翼』のレコードそのものが、大場久美子のファースト・アルバム『春のささやき』の歌詞カードの写真にちゃっかり登場するまでに及んでいた(当時エリックが所属していたアリスタ・レーベルは、クーミンの所属する東芝EMIから販売されていた)ので、「カルメン」が旬ワードになる条件はさらに増えたと言っていい。
そこに年号「'77」が加わるわけだが、前年にはベートーヴェンの交響曲第5番をディスコ風にアレンジした「運命'76」が大ヒットしており、このタイトルの語感も「カルメン'77」のタイトル付けに影響を及ぼしたに違いない。ついでにセルジオ・メンデスのバンドも71年より「ブラジル'66」から「ブラジル'77」へと名前を変えており、こちらの語感もなんとなく「カルメン’77」の元ネタとなってるような。
しかし何と言っても、「です」「ます」調を多用した阿久悠の歌詞のインパクトこそが、この曲の勝因だ。文章として読むと、多少ダレる感があるけれど、都倉俊一のメロディーとPLの歌唱により、見事なまでの躍動感に彩られてしまうのがまさに、魔法のような化学反応である。
そういえば、奇しくもこの曲が1位になる3日前に発売された狩人の「あずさ2号」と、この「カルメン'77」をシンクロさせる(どちらかのメロディーに違う方の歌詞を乗せるなど、いわば未熟な人力マッシュアップである)という遊びも当時よくやったなぁ。でも、作曲したのは同じ都倉俊一だもの。作詞家同士がお互い意識しあったのかなんて推測は、するまでもないだろう。発売日に殆ど時間差がないのだから。
時代の覇者PLのパワーは、ビクターの大先輩である橋幸夫「股旅'78」のタイトル付けに影響を及ぼす(!?)までに至っているが、さらに極端な副産物が10年以上経ってから生まれていることにも、この機会に触れておかねばならない。川本真理が歌う「じょんがらカルメン」がその曲だ。
88年11月、音楽文化の中心がほぼCDにシフトしていた時期に、7インチシングル盤とカセットしか発売されなかった理由は、この曲がリリースされた番号帯が「舞踊歌謡」というジャンルに特化していたことで合点がいくけれど(ちなみにシングルA面は「りんごっ娘音頭」である)、そんな状況に於いて、どう考えても「カルメン'77」に感化されたとしか思えない曲が登場してくるのは衝撃的である。特に「です」「ます」調を多用した歌詞は、そのものとしか思えない。青春歌謡黎明期を作り上げた作詞家・丘灯至夫が昭和の最後に放った、アイドル乱立期への返答である。
この曲は、筆者監修により昨年(2017年)10月にリリースされた、平成最初の10年(その前後も若干含む)のアイドルシーンを振り返るコンピレーション『コロムビア・ガールズ伝説 END OF THE CENTURY』に、唯一の初CD化(!)楽曲として選曲させていただいたので、興味を持たれた方は是非一聴していただきたい。
ニューリリースといえば、先月21日に増田恵子さん久々のソロシングルとして「最後の恋」が発売されたばかり。阿久悠の未発表作品に加藤登紀子が曲を添えた力作てある。還暦を迎えてもまだまだ伝説にはならないピンク・レディーのお二人に、躊躇わず「乾杯お嬢さん」だ。
≪著者略歴≫
丸芽志悟 (まるめ・しご) : 不毛な青春時代〜レコード会社勤務を経て、ネットを拠点とする「好き者」として音楽啓蒙活動を開始。『アングラ・カーニバル』『60sビート・ガールズ・コレクション』(共にテイチク)等再発CDの共同監修、ライヴ及びDJイベントの主催をFine Vacation Company名義で手がける。近年は即興演奏を軸とした自由形態バンドRacco-1000を率い活動、フルートなどを担当。 5月3タイトルが発売された初監修コンピレーションアルバム『コロムビア・ガールズ伝説』の続編として、新たに2タイトルが10月25日発売された。
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