2017年09月02日
スポンサーリンク
2017年09月02日
本日9月2日は、栗田ひろみの誕生日。あの超純粋美少女が、今日「還暦」という二文字に直面するなんてと、幻想が砕け散る方もいらっしゃるかもしれませんが、それが人生というものです。しかももうお孫さんがいらっしゃるとは。いいお子様に育っていただきたいものです。なので、あまりご本人様を妙に刺激することは書きたくありません…。
しかし、筆者はすでにデビューして2回目のコラムで、栗田ひろみについてわずか3行のみですが書かせてもらっています。風吹ジュンに関して規定文字数を埋める自信がなかったので(何せ2回目ですからね)、当時の他の純情派アイドル数名にも共に登場していただくことに、勝手に決めたのです。その後、コロムビアのコンピに麻田奈美の全音源を収録したという重責にも後押しされて、今度は栗田ひろみを主役に再登板となりました。
当時普通の高校生だった栗田ひろみが、突如オーバーグラウンドに浮上したのは1972年のこと。あの大島渚監督に見初められ、映画『夏の妹』のヒロインとしてデビュー。返還直後の沖縄を舞台に、その名の通り無垢そのものの少女「素直子」の青春がつづられる。そこから戦後沖縄の辿った複雑な道が浮かび上がるという、今見返してみると絶対複雑な感情が渦巻くに違いないストーリーである。1970年代初頭の、この手の社会派青春ロードムービーが語りかける世界は、今こそ振り返っておかねばと思う。『旅の重さ』とか、『16才の戦争』とか。
それから約半年後の73年3月、彼女にとって出世作となった『放課後』が公開され、井上陽水が歌う主題歌「夢の中へ」のヒットと並行して、彼女の大躍進が始まる。と言っても、映画の中のヒロインと同様、栗田ひろみは控え目で恥ずかしがり屋さんの少女だった。そんな彼女に、世の若者たちは一気に飛びつく。
当然、レコード業界も黙ってはいない(ここからやっと本題です、はい)。ワーナーから歌手としてのデビュー曲「太陽のくちづけ」が発表されたのは、73年2月10日のこと。この時はまだ「放課後」での大ブレイクは予期できてなかったに違いない。レコード会社側も、精々小柳ルミ子、アグネス・チャンに続くヤングポップス路線の一人としてしか位置づけしていなかったはず。ましてや、浅田美代子の「赤い風船」は4月の発売だ。「浅田美代子が売れたから、ひろみも大丈夫」というスタンスを彼女のスタッフがとった結果では絶対ない。
当時のトップアイドルの一人、天地真理の一連のヒット曲で勢いに乗る森田公一を作曲家に起用した「太陽のくちづけ」は、オリコン45位に達するヒットを記録。この曲で聴かれる彼女の歌唱には、73年でしか成し得ない甘酸っぱさが充満している。商店街のスピーカーから流れようものなら、即時卒倒しそう。でも、当時レコードを買った者たちは、こっそりターンテーブルに乗せながら、束の間の幻想を味わったに違いない。そう、まさに「歌うピンナップ」そのものである。
"その後、「初恋の散歩道」(オリコン88位)、「愛の奏鳴曲」(チャートインせず)と、シングル2枚のリリースが続いたが、レコード上に残された彼女の真骨頂は、なんと言っても唯一のアルバム『太陽と海とオレンジ』だ。何せ、急激に人気が盛り上がった最中での制作だったため、デビューシングルのAB面以外は、全てカバー曲により構成されている。同時期のアイドルのヒット曲(「17才」「水色の恋」)とか、オールディーズ(「パイナップル・プリンセス」「そよ風にのって」)とか。しかし、山口百恵ですら、初期のアルバムはそんな内容だった。十分に歌い慣れる時間を作らぬままレコーディングに臨んだと思しいだけに、シングル曲で免疫ができたファンでさえ、この12曲を走破するのは試練だったに違いない。しかも、これも当時のアイドルのアルバムの必修手段=モノローグが、ラスト3曲の「インストカバー」をBGMにする形でここぞとばかり展開され、よりタフな忍耐力を要求してくる。曲間のやや強引な効果音の挿入も、いかにも「コンセプトアルバム」流行時代の産物という感じだ。ラストシングルとなった「愛の奏鳴曲」では、当時のアイドルのシングルとしては異例の4分52秒という長さの中に、このアルバムの美学をうまく凝縮しているのだが、それでもトゥー・マッチという感が。"
74年以降は役者としての活動に専念しつつ、80年に結婚し、そのまま幻想の中に引っ込んでしまった栗田ひろみ。それでよかったのだ。歳を重ねてから、幻想をぶっ壊すような行動をしないこと、それこそがアイドルの鑑。といえども、97年に『太陽と海とオレンジ』が紙ジャケ仕様で再発されたり、主演映画がDVD化されたり、その都度当時を知らない新しいファンを甘酸っぱい世界へと誘い続けているのだから、レコード会社や映画会社には素直に感謝しましょう。
写真提供:鈴木啓之、丸芽志悟
≪著者略歴≫
丸芽志悟 (まるめ・しご) : 不毛な青春時代〜レコード会社勤務を経て、ネットを拠点とする「好き者」として音楽啓蒙活動を開始。『アングラ・カーニバル』『60sビート・ガールズ・コレクション』(共にテイチク)等再発CDの共同監修、ライヴ及びDJイベントの主催をFine Vacation Company名義で手がける。近年は即丸芽志悟 (まるめ・しご) : 不毛な青春時代〜レコード会社勤務を経て、ネットを拠点とする「好き者」として音楽啓蒙活動を開始。『アングラ・カーニバル』『60sビート・ガールズ・コレクション』(共にテイチク)等再発CDの共同監修、ライヴ及びDJイベントの主催をFine Vacation Company名義で手がける。近年は即興演奏を軸とした自由形態バンドRacco-1000を率い活動、フルートなどを担当。 5月24日、初監修コンピレーションアルバム『コロムビア・ガールズ伝説』(3タイトル)が発売された。
独特のハイトーン・ヴォイスと、ミニスカートにハイソックス。マイクを両手で持って懸命に歌う愛くるしい姿。本日8月20日はアグネス・チャンの誕生日。彼女の登場は70年代日本のアイドル・シーンに衝撃を...
1960年代末、「愛の奇跡」でデビュー・ヒットを飾ったデュオ、ヒデとロザンナの5枚目のシングル「愛は傷つきやすく」がリリースされたのは70年5月25日。発売から2ヶ月以上経った8月3日付のオリコ...
1972年8月1日、郷ひろみが筒美京平によるR&B歌謡の傑作「男の子女の子」でデビューした。この「男の子女の子」は、当時所属していたジャニーズ事務所にとっても本格的にダンス/ソウル的な方向性を取...
本日7月31日は、岡崎友紀の誕生日。テレビ急成長期が育てた近代アイドル第1号と呼んでも過言ではない彼女も、今日で65歳を迎える。「おくさまは18才」からもう半世紀近くが経ってるなんて・・・。 t...
ヒデキ、逝く。…1982年の本日、西城秀樹は通算42枚目になるシングル「聖・少女」をリリースする。作曲者は初めて起用された吉田拓郎である。互いに広島出身であるものの、デビューからしばらくは水と油...
1972年(昭和47年)の本日6月12日は、天地真理の3枚目のシングル「ひとりじゃないの」がオリコンチャートの1位を記録した日。その後計6週に渡って1位の座を独走し、売り上げ的にも真理ちゃん最大...
本日6月7日は岩崎宏美の28枚目のシングル「聖母(マドンナ)たちのララバイ」が、オリコンシングルチャートで1位を獲得した日。1982年のその日から、今日で36年が経過したことになる。5月21日の...
本日5月8日は、榊原郁恵の誕生日。還暦まであと1年というのが信じられない、親しみやすいキャラは今もなお健在。模範的アイドルとして、日本芸能史に燦然と残しておきたい一人だ。彼女のデビューのきっかけ...
44年前、1974年(昭和49年)の本日4月20日は、伊藤咲子のデビュー曲「ひまわり娘」が発売された日である。73年10月、東芝のレコード部門・東芝音楽工業株式会社は、英国の名門EMIレコードと...
1977年(昭和52年)の本日3月28日、オリコン・チャート1位を射止めたのは、ピンク・レディー「カルメン'77」。「S・O・S」が、前年11月25日にリリースされてから3ヶ月近くかけてチャート...
1972年(昭和47年)の本日3月13日、オリコンチャートの1位に立ったのは、天地真理の2枚目のシングル「ちいさな恋」だ。作曲に浜口庫之助を起用し、短調〜長調への鮮やかな展開に高貴なムードが漂い...
本日12月29日は、今もなお個性派女優として存在感を振り撒き続ける岸本加世子の誕生日。もう57歳を迎える。その大女優にも、若き日のレコード活動があるのをご存じだろうか。text by 丸芽志悟
1977年の本日12月19日、オリコン・チャートの1位に立ったのは、ピンク・レディー6枚目のシングルとなる「UFO」である。「UFO」の1位は翌年2月20日になるまで続き、その後もしばらく、PL...
1970年代の男性アイドルを牽引した新御三家。そのひとりとして、野口五郎、郷ひろみとともに活躍した西城秀樹は、野性味溢れるワイルドな魅力で人気を博し、アクションを交えたナンバーを次々にヒットさせ...
今年でプロ生活47年目を迎えた野口五郎のポップス歌手としての事実上のデビュー曲。実際には演歌調の「博多みれん」に続く第2弾シングルであることはよく知られている事実だが、15歳にして夜の盛り場を廻...
2010年の本日7月20日、幻のカルトアイドル女優・早乙女愛の訃報が伝えられてから、早くも7年が経過した。生きていれば58歳である。子育てに専念するため第一線を退いていたとはいえ、まだまだ真実を...
1977年に「硝子坂」でデビュー・ヒットを飛ばし、各種新人賞を獲得。その後も「潮騒のメロディー」や「私はピアノ」といったヒット曲を連ねた高田みづえは、様々なバラエティ番組に出演してタレントとして...
4月14日は桜田淳子の誕生日。1958年生まれなので、今年で59歳を迎える。桜田淳子の歌手キャリアは、その第一期にあたる14歳から19歳までの期間、常に阿久悠とともにあった。そして、20歳を迎え...
1978年の4月3日、ピンク・レディーの7作目のシングル「サウスポー」が1位を獲得した。彼女たちにとって初の、オリコン・チャート初登場1位作品である。デビュー以来継続している阿久悠=都倉俊一コン...
3月23日は女優・児島美ゆきの誕生日。名作ドラマ『北の国から』でこごみ役を演じた児島美ゆきは、一定の世代にとっては『ハレンチ学園』のキュートな女学生・十兵衛役がなんといっても強烈だろう。その後も...
1954年(昭和29年)の本日3月2日は、70年代のスーパーアイドル第1号、吉沢京子の誕生日。69年6月放映開始されたTBSのスポ根ドラマ「柔道一直線」で、桜木健一演じる主人公を一途に思うヒロイ...
1958年の今日、10月17日、70年代のアイドル界の隙間に足跡を残すことになる二人の女性が誕生している。フランス人男性と日本人女性の間に生まれたハーフであり、1974年6月25日、シングル「甘...
アイドル歌謡を手がけヒットを量産した筒美京平でも日の目を見ず埋もれた名曲もある。1973年8月に発売された小川みきの「燃える渚」という曲がまさにその1曲である。text by 佐々木俊英
43年前、1973年の本日、麻丘めぐみの「わたしの彼は左きき」がリリースされた。今日もなお歌い継がれている彼女にとっての代表曲であることはもちろん、衣裳や振り付けといったヴィジュアル面も含めて1...
風吹ジュンのデビュー年=1974年前後に活躍した「グラビアアイドル」に近い立ち位置にいたといえる女優・タレント達のレコード活動について、ちょっと振り返ることにしたい。 text by 丸芽志悟