2018年03月13日
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2018年03月13日
1972年(昭和47年)の本日3月13日、オリコンチャートの1位に立ったのは、天地真理の2枚目のシングル「ちいさな恋」だ。今日のコラムは、70年代の国民的アイドル第1号・天地真理の快進撃に関する、若干個人的な思い出話を軸としてみたい。
とにかく、その国民的アイドル振りを幼少期からリアルに体感しすぎて、しばらくは振り返る必要なんかないのでは、もっと重要視すべきものはいくらでもあるし、という感情を、彼女やその他数人の人気者達に対して抱いていたのは仕方ない。それを助長したのは、新世代アイドルを育てることに意地を注いでいた80年代以降のマスメディアによる、70年代ノスタルジアへの冷酷な仕打ちだった。
特に可哀想だったのは、クラシック作曲家界に於ける「3大B」的なこじつけではあるが、70年代初期のアイドル界に於ける「5大A」とでも呼びたい人達だ。主に自らの社会的立場が萎えを加速したアグネス・チャンは置いとくとしても、浅田美代子は「バラエティ番組で殺人的ボケをかます元アイドル」、あべ静江は「単なるうるさい近所のおばさん」。劣化とは無縁と思われた麻丘めぐみでさえ、バラエティ番組に担ぎ出される際は、必ずと言っていいほどデビュー前や現役時の辛い経験話を重点的にさせられていたのだ。
そして、かつて白雪姫だった天地真理は、いつの間にか「得体の知れない何か」にされてしまっていた。90年代終盤に、筆者が現在組んでいるバンドに名前を与えたとある体感型クイズ番組に回答者として出演した真理ちゃんが、無意識に「4文字言葉」を回答として叫んでしまったのを目撃してため息をついたのを覚えている。制作者側には、カットするよりも赤裸々に放映した方が、ネタとして面白いという意識があったに違いないが、ほんとマスメディアっていうのはそんなものである。真剣に取り合っていると、もたらすものは大抵悲しみ。
そんな日々に直面していたので、天地真理の歌は長年筆者の脳裏の中で静かに眠ったままだったのである。その眠りが覚醒したきっかけは、以前浅田美代子のコラムで書いたように、昨年から所謂「歌のない歌謡曲」のレコードを熱心に集め始めたことだ。
特に、真理ちゃんの人気絶頂期である72年〜74年のものが重点的に集まってきたので、デビュー曲から11枚目までのシングルA面全曲が、メロディだけとはいえ再び耳元に蘇ったのである。ファンキーなロックに生まれ変わった「虹をわたって」や、ティファナ・ブラスそのもののアレンジを得た「空いっぱいの幸せ」を聴いて、やっぱり名曲だなぁ、さすが国民的アイドルだなと感慨を新たにしたのだ。
前置きはこのくらいにして、そんな真理ちゃんのデビューは、71年10月1日発売されたシングル「水色の恋」だ。どのような経緯でこの曲が取り上げられたか、また曲そのものの生い立ちに関する複雑な話は、別の機会に譲るとして、ここで触れておきたいのは、この曲の存在が彼女の「フォーク出自」を何よりも増して明らかにしていることだ。
何せあの「スター誕生!」の放映開始が「水色の恋」発売のわずか2日後ということで、アイドル歌謡曲という概念はまだ皆無だった時代である。ヤマハのソングブックから見つけたという「水色の恋」は、フォークを基調としたポップスの黄金律に則った1曲であり、これは4ヶ月先駆けて同じCBS・ソニー(当時)からデビューした南沙織が、テンプレートとして米国のポップ・カントリーをもろ使用したのに似て非だった。当時ソニーには、フォーク系ポップスの旗手として本田路津子がすでに君臨していたが、他にも藤田とし子(=淑子、「ムーミン」のオリジナル歌唱で有名)、松木さよりなど、フォーク〜ポップスどっちつかずな女性シンガーが数名在籍しており、既にテレビドラマ「時間ですよ」でアイドル街道へと足を踏み入れていた真理ちゃんが、元々持っていたプレイヤー素質も手伝って(何せピアノは達者だし、「時間ですよ」でのギター演奏もガチ!)、フォーク路線を雛形としたのも納得がいく。これが3年後であれば、太田裕美のように弾き語り歌手としてのデビューもあったかもしれない。
続くシングル、今回の主題「ちいさな恋」では、作曲に浜口庫之助を起用。ハマクラといえば、日本の商業フォーク第1号「バラが咲いた」を筆頭に、フォーク系スタンダードと位置づけられる名曲を数多く世に送った達人である。短調〜長調への鮮やかな展開に高貴なムードが漂いつつ、親しみやすさも半端ない。若々しさと恥じらいが同居する名曲を得て、初のオリコンチャート1位。その座を4週間守り通した。
実はシングルに先駆けて、アルバムチャートでは2月から4月にかけ、さらにポール・サイモンを挟んで計13週間、ファースト・アルバム『水色の恋/涙から明日へ』が1位を記録。小柳ルミ子に1週1位を譲ったものの、その直後セカンド・アルバム『ちいさな恋/ひとりじゃないの』で1位を奪回し、8週間その座を死守するという、正に恐ろしい人気。蛇足だがルミ子の1週を除き、この72年のアルバムチャート1位は真理・拓郎・S&Gの3組でCBS・ソニー天下であった。凄すぎる。そういえば、洋楽ファンを主な購読層としていた音楽雑誌「ミュージック・ライフ」の人気投票の「国内女性歌手」部門にさえ、キャロル・キングやカーリー・サイモンと併聴できる日本の女性歌手を答えるのが難しかった当時、真理ちゃんの名前は上位に堂々と登場していた。正に幅広く、様々な層に愛された女性歌手であった。
そんな初期のアルバムに於いて取り上げられていたカバー曲も、殆どがフォークに類される曲。オリジナル曲にも、加藤和彦や菅原進(ビリー・バンバン)の書き下ろしがあり興味深い。76年にリリースされた最後のオリジナル・アルバム『童話作家』は、さだまさしによるタイトル曲以下、いよいよニューミュージックの世界に対応するかと予感させた一枚だったが、その頃になるとシングル曲が50位以内に入ることさえ難しくなっており、時代に取り残されてしまったのは残念であった。
フォークとの関連を中心に語ってしまったけれど、3枚目のシングル「ひとりじゃないの」を皮切りに、主に森田公一作品で怒涛の快進撃を見せた「白雪姫黄金時代」は、やはり鮮やかとしか言いようがなかった。もうちょっと声のトーンが高かったらなぁなんて、個人的好みを言ったってしょうがない。一連の曲を聴いていると、蘇ってくるのは輝きのみである。そして、これらの曲と共に「アイドル歌謡曲」は急激な成長と一般化を遂げたのだ。
そんな黄金期のことに関しては、またじっくり語れる機会が来るのを祈るとしよう。「味の素のマヨネーズの歌」がまた聴きたいな。
「ちいさな恋」写真提供:ソニー・ミュージックダイレクト
丸芽志悟 (まるめ・しご) : 不毛な青春時代〜レコード会社勤務を経て、ネットを拠点とする「好き者」として音楽啓蒙活動を開始。『アングラ・カーニバル』『60sビート・ガールズ・コレクション』(共にテイチク)等再発CDの共同監修、ライヴ及びDJイベントの主催をFine Vacation Company名義で手がける。近年は即興演奏を軸とした自由形態バンドRacco-1000を率い活動、フルートなどを担当。 5月3タイトルが発売された初監修コンピレーションアルバム『コロムビア・ガールズ伝説』の続編として、新たに2タイトルが10月25日発売された。
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